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そのニ




 明くる日、修二はまたあの奇妙な音を聞き、起こされた。カーテンの向こうから、カリカリ・・・カリカリ・・・窓を引っ掻く音がする。しかもその音は昨晩よりも大きな音で、少しずつ穴でもあけているかのように思えた。無視しようかとも考えたが、それでもやはり、修二は苛立たしげに体を起こすと、眉根を下げ、しわを寄せ、欠伸をした。そして机の上のミネラルウォーターを一口飲んでから窓へと向かった。

 少しきつめに言ってやろう、そうすればもう来ないはずだからな。

 修二は頭を掻いてカーテンの前に立った。そして勢いよくカーテンを開けると、今度は驚きが過ぎるあまりに彼は尻餅をついた。首を振りながら窓から目が離せない修二。その窓の外には昨日の猫だけではなく、さらに数匹の猫が集まっているではないか。修二は唾を飲み込んで窓まで体を引きずっていく。渇いた喉に唾液が絡んで呼吸がしにくくなる。修二は窓の錠が下がっていることに気がつくと、慌てて錠に飛びつき鍵を掛けた。ジェイクは自分で窓を開けて部屋に入ってきていた。入った後は立派に窓も閉めて見せた。

 ならば・・・

 修二は素早く部屋の中を見渡すと、侵入者がいないかどうか確かめた。ウサギを狙う狐さながらの隙のない目で部屋の中を睨みつける。冷蔵庫のモーターが鈍い音をあげて修二の気をさらう。それ以外に気配は感じない・・・どうやら侵入者はいないようだ。修二はほっとすると、力が抜けるようにため息を漏らした。それからもう一度窓の前に立ち、猫たちを見やった。

 一、二、三、四、どいつもこいつも自分のことを見ている、五、六、七、いったい何なんだこいつらは、俺は別に餌も何もやっていないのに、八、九、十、どういうつもりだ?十一、十二・・・そして十三匹、全部で十三匹もいやがる。

 窓の向こうにいる猫たちがまた窓を引っ掻き始めた。不快な音が耳に入ってくる。カリカリ・・・カリカリ・・・修二は拳を握って窓枠を叩いた。すると驚いた猫たちが一斉に窓から飛び退いた。しかし逃げるわけではなく、隣家との境にある塀の上に落ち着いて、色々な毛色の猫がずらりと並んでこちらを見た。その光景は修二にイチゴやブドウ、パイン、それにオレンジなど、色んな味の入ったサクマドロップスを連想させた。

「白いやつはハッカだ」修二はにやついて吐き捨て、それから腰を降ろして煙草に火を付けた。

 窓を睨んでいるとまた猫が集まってくる。今度は少し警戒した様子で青やら黄色やらの縦に割れた猫目をぎょろつかせているが、依然としてやつらの堂々たる態度は変わらない。今度はいささか冷静になって見ることが出来た。どうして集まってきているのだろう。考えても無駄なことだ。何も分からない。自分と猫との接点など、四年も前に別れたジェイクだけなのに。最後の姿を見たのは自分だけの、あのジェイクだけなのに。そういえば右から二番目の虎毛がジェイクに似ている、と修二は思った。お腹の中心が少し白いはずだ。もし生きていたなら、あのとき見たのはジェイクではなかったんだ。それならそれで嬉しいが・・・生きているならもう十八だな。

 修二は煙草を灰皿でもみ消して、さらにもう一本吸った。トーストを囓っているときも猫たちは変わらずそこにいたが、修二は近づいて、睨みつけたあと、カーテンを閉めた。

 それから三日間が経ったが、相も変わらず猫たちはそこにいた。変わったことと言えば道路の向こうの駐車場に野良犬が現れたことぐらいだ。それも三匹。一匹は完全に野良犬だろうが、他の二匹はどうやら飼い犬でどこかからやって来たらしい。修二は居つくようならその内保健所に電話して引き取ってもらう考えだった。

 猫たちには魚の切り身をやった。なつかせるつもりではなかったが、猫たちが見る限りでは何も食べずにそこにいることに気がつくと、何かやらなければ、と思ったのだ。この場所で死なれても困る。

 夜になって食事を済ませた後、洗い物を終わらせ、それから生ゴミを出しに外に出た。本当は夜出すのは禁止だが、収集にやってくる八時半にどうも起きられる気がしない。修二はゴミを捨て、荒らさないように周りに油断のならない目を向けた。駐車場には犬たちがまだいるようだ。暗闇の中で黒い影がうろうろしている。それから修二は道路の向こうの“幸せな家族の家”を見た。やわらかい明かりが輝いている。今晩も家族みんなで夕飯をつついているんだろう。修二は想像をめぐらせた。今晩は子供の大好きなハンバーグだろうか。父親は食後にビールをやりながら、子供たちがゲームをやるのを見ている。子供たちがきっと天才の予備軍であると、煌々とした目でうっとり見つめている。母親は洗い物をしながら明日の弁当のおかずを考えている。子供たちは何も考えていない。今が一番楽しいと思ってテレビに釘付けだろう。今晩は確か「天空の城ラピュタ」がやっていたはずだから。

 頭上で音がして、修二は見上げた。電線に何羽か鳥がとまっているようだ。紺青色の夜空に小さな黒い固まりが浮かんでいるのが分かる。それに星空だということも分かる。次いで明日は晴れだということが。修二は深呼吸をして家の中へ入った。

 その年は猛烈に暑かった。まだゴールデンウィークが終わったばかりだというのに半袖で歩く人は多かったし、テレビでは和歌山で海開きが行われた、などという報道さえ流されていた。俄には信じられないニュースだ、と修二は思ったが、自分が感じるこの暑さと、異常気象だという報道を思うと、なるほど、と手を打った。それに近所の街灯の下でメスのクワガタを見つけたのだ。しかしながらこれから梅雨の季節に入り、雨が降るようになるのだろうことは信じられなかった。つまりそれほどに暑かった。

 修二はあまりアパートでは過ごさなかった。暑さのために窓を開けたかったが、やつらが入ってくる気がしたし、それに外にも慣れておきたかったからだった。都会暮らしが修二の目標であり、上京してきた理由なのだから。そうあるべきだと修二は考え、外でうろうろしていたのである。




 最初の猫が現れて一週間が経った日、修二は深夜勤務の飴工場での仕分けのバイトを終えて家へ帰ってくるところだった。時間は朝の六時を少し回っており、その日もクソ暑い日だった。彼はコンビニで買ったスポーツドリンクを飲みながら、自転車を走らせて行く。しかし自分のアパートの前につくと、その異様な光景に目を奪われた。自転車を降りるとその場を離れ、残された自転車はフラフラとバランスをとったあと、ボクサーのように音を立てて倒れた。早朝の道路に音が響く。

 驚きのあまりに発狂しなかったことだけは運がよかったが、それでもしたからといって彼が責められるはずもない。それほどの光景だったのだ。

 アパートの前には、とりわけ彼の部屋の前には異常な数の犬や猫が集まっており、それも様々な種類、野良、ペット、さらには電線には鳥たちがずらりと整列しているのだ。修二はただ呆然と立ちつくしていた。スポーツドリンクを飲んでも味がないような気がする。いつも以上に呼吸が乱れて動悸がした。煙草を吸いたい、その衝動に駆られたが、同時に、煙草を吸うには部屋の中に入らなければならない、と妙なことも考えていた。

 実際に大切なのはもう誰も確認さえ出来ないということだ、と修二の頭の中で声が聞こえる。

 それは自分の声だった。

 その声はため息をついて修二自身の肩を叩いた。

 お前ん家の猫が死んだかどうかなんて、お前があの日に確かめなかったから、分からずじまいできちまった。そのせいでお前の家族は生きていると信じているぞ(事故じゃなく、立派に寿命を全うしたと思いこんでるぞ)。お前は彼を捜したか?いいや、探していないね。だってお前はこっちへ出てきたじゃないか。こっちで一人暮らしをするって、飼い猫も、お前自身の故郷さえも煩わしいと置き去りにしてこっちへ。

 一人きりでこっちへ・・・

 何もかも置き去りにして・・・







 以前投稿しました作品の中盤が、何故か抜けていることに気づきました。

 投稿させていただきます。

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