その一
ここから街の中心まで行くには四十五分もかかるが、静かでいいところだ。夜ともなればしんと静まりかえっている。街灯がフラフラと青白く灯っているばかりで、他に明かりらしい明かりはない。主要道から一本入った場所にあるので車の騒音に悩まされることもないし、中途半端な不良に絡まれたりすることもないのだ。
家の周りにおいてはの話だが。
壁は薄く冬の寒さは覚悟しなければいけないだろうが、少なくともこれから迎える季節にはもってこいのアパートだった。
明日は雨になるだろうが、それには興味はなかった。最近は世界中で天変地異とは言い過ぎだが、例を見ない異常気象状態だとテレビニュースのキャスターは語っている。だがそれについてもまた、三鷹修二の興味を引くには至らなかった。
築二十三年の木造アパートに住む修二は、大学へ行くために地方から出てきた。修二は自分がこれまで暮らしてきた田舎が嫌で、大学も大都市の専門学校を選び、上京し、そして一人暮らしをしている。部屋は風呂トイレ付きの(もちろんユニットバスだが)1DKで、家賃は月四万五千円。駅までは徒歩二十分だが、自転車を使えば何の苦労もない。むしろ不満があるとすれば、近くに大型の家電量販店がないことだ。修二は家電製品を見て回るのが好きだったし、最近の特にデジタルカメラの性能に感服し、惚れてもいた。その量販店はないが・・・我慢するほかなかった。
「こんな田舎町、絶対に出て行ってやる!」
そう地元では強気で周りに言いふらしていた。
友人の一人である片岡は修二言った。
「そんな田舎でもないし、お前はビビリだから都会は無理だよ」
実際にそれはほぼ、九割方当たっていた。修二の居たところは地方にしろそれなりに人は多かったし、それは修二の都会というものに対しての劣等感の現れだったのかもしれない。少しくらい遠くても家賃は安い方がいい、と修二は言うが、修二はあまり街の中心に近いところは怖かったのだ。大都会の中で生きていけるか心配だった。ただ大都会に行きたいと強く願っていた。そしてそんな中に住まう自分の像が何よりも格好良く見えたに違いない。
台所の窓を開けると道路を挟んだ向こう側に中古で買った自分の車が止めてある。ダイハツのミラだ。なんだかんだで二十万ほどもしたが、他はもっと高かったので結局これにした。しかし思ったより乗る機会は少ない。駅にしろ大学にしろ全く都会というのは駐車場がない。これが田舎だったら当たり前のように道路脇に止められるのに・・・修二はどちらかというと、下に止めてある鼠色の自転車の方のシートを暖めている方が長かった。
ミラと白いシルヴィアが止めてあるばかりの月五千円の安駐車場は、駐車場とは名ばかりで実際は草が自由に伸びた荒れ地に等しかった。だがないよりはましだった(駐車料金の安さも言い訳にはなるのだから)。
道路の向こう側に一軒の明かりがぽつんと灯っているのが見える。中では仲のよい家族が食卓を囲んでいて今晩はすき焼きでもやっているのではないだろうか?修二は考えながら、夕飯に食べたインスタントのみそ汁を入れたお椀を洗っているところだった。コンビニ弁当の空いたトレーをゴミ箱に押し込み、ミネラルウォーターをグイとやりながら、残った洗い物を洗った。
風が吹いて台所の窓から入るのを修二は吸い込んで、そしてゆっくりとはいた。
修二は手を拭いてテレビの前に戻った。ミネラルウォーターを机の上に置いてDVDデッキのコントローラーを手に、停止しておいた映画を再生した。映画は名作「ショーシャンクの空に」だ。修二はこの作品を何度見たかは分からないが、この映画のファンと同じくして修二もお気に入りの一本だった。ちょうど老人の服役囚ブルックスが仮釈放されていくシーンである。このあとの展開を思うと修二の心には虚しさと悲しさが溢れ出してくる。ブルックスは外の世界での孤独に耐えられず、ついには自殺をしてしまう。
「ジェイクを養うことは出来ない、さようならジェイク」
ブルックス老人と修二は二人してそう呟いた。
テレビではブルックス老人の手からカラスのジェイクが自由な空へ飛び立った。
修二には一人暮らしをする上で三つの決まり事がある。
一つは必ず一日一回、外の空気を浴びることだ。晴れていても、雨であっても、とんでもない風が吹いていても、一度は外へ出ることにしている。草木よろしく光合成が人間にも必要だと考えていたし、それに家の中ばかりにいると滅入るのはどの人間も同じことだろう。いつかは精神がやられてその類に陥ってしまうに違いない、というのが修二の見解だった。
二つ目は台所のシンクに洗い物をためないことだ。毎晩寝る前には必ずシンクの中を空にして眠る。
最後に煙草は必ず一日一箱までということだった。それ以上はどんなことがあっても絶対に吸わない、そう修二は誓っていた(煙草などは高校二年の頃にはすでに常習となっていた修二にとって自分自身だらしのないものに映っていた。しかし自分で思う悪習ほど止められないものはないのだ。取りあえずは減らすことにした)。
これらのルールが修二の生活にどれほどの規制を与えていたかは分からないが、修二はこれらを守ることで一人暮らしをして自由を勝ち得たとしても、自分を抑制させる必要があると思っていた。
ふとすると窓の所で何か音がしている。修二は映画を止めてしばらく耳を澄ました。音は止んだ。気のせいだろうか。何か、窓に爪を立てるようなカリカリという音が聞こえた気がしたが。修二は顔を強ばらせてふうっとため息をついた。
修二は水を飲んで映画を見始めた。この「ショーシャンクの空に」という映画のどこが好きかと聞かれると、希望を捨てることなく人生を生きる、だとか、辛いことがあればいいことがあるという教訓、だとか教師連が鼻を高くして説教をしているような、そんなさも上品な意見がよく聞かれるが、修二は少しだけ違った。修二は、幸福と不幸が人生の中では対になっていて不幸の先には幸福があるだとか、そういう人生論は好きではない捻くれた人間で、どこか税務所の帳尻あわせのような気がしてならないのだ。修二にとっては幸福も不幸も自分の力で勝ち取るものであったし、「ショーシャンクの空に」のアンディ・デュフレーンもまた自分の力で勝利を勝ち取ったのではないか。あの中に出てくる彼ら、レッドもノートン所長もそしてブルックスも不正を犯したり、最後は耐えられなくなり、命を絶つものもあったが、誰もが幸福を自分で勝ち取ろうともがいている。どの人間たちも崩壊しかけの勝利のために喧嘩を売るような目で明日を睨みつけている、そんな生き方が泥臭すぎて、これが修二を引きつける要因となったのだ。
カリ・・・カリ・・・カリ・・・
また外で何か小さな音がしている。今度は確かに聞こえる。気のせいではない。修二は剣呑な表情を浮かべて窓の方を見た。DVDを止めて、さっと身構える。音を立てないように窓に忍び寄る。DVDデッキが低く鈍い音をあげているのしか聞こえない。あとは窓の向こうの音だけしか聞こえない。
窓の外には小さな花瓶を置けるような小さなスペースが設けられており(ベランダ?出窓?そんな上品なものなんてない)、その向こうは一メートル半ぐらいの間をあけて隣のアパートの壁があるだけだ。そこに何かの気配を感じる。そんなに大きなやつではないが・・・修二はそっと近づいて、そして勢いよくカーテンを開けた。
修二は驚いて体をびくつかせ、下に置いてあったゴミ箱につまづくと危うく転げそうになった。窓の外にいた奇妙ななりをした奴と目があったのだ。修二には一瞬化け物か何かに見えた。幼い頃ホラー映画で見たような、人間を丸呑みにしてしまうような何かに。しかしそれは一匹の猫だった。部屋の明かりが窓に反射して幾分見にくいその猫はすぐそこに白と黄土色をした姿で座っていて、右の前足を窓に突き立てている。カリカリというのはその音だったのだ。
「おい、どこから来たんだ?こいつは」
独りごちながら修二はもう一度窓に近づいた。首輪がないのを見ると飼い猫ではなさそうだが、毛は綺麗で、野良猫というのにも品がある気がする。修二は煙草を吸う人間特有の忙しい呼吸をしながら猫を見やった。
猫は悪びれる様子もなく(それはそうだ。彼は何もしたつもりはないのだから)じっと修二を見ている。
「どうしたんだ?お前はどうした?」修二は呟くように言った。「おい、こら、ほーらほら、ミャーコ、タマ」
実家では柴犬のイチローを飼っているし、それに幼い頃には猫を飼っていた。そのため修二は動物が好きだった。猫は依然窓を引っ掻きながら小さく鳴いた。修二は鼻を鳴らすとにやりとして窓を開けてやった。体を乗りだして、猫に向かって手を伸ばす。猫は驚いたように身構えて修二との距離を取った。そして手が届かないところまで行くと、また腰を落ち着けて修二のことをじっと見た。
目の前の一匹の猫を見ながら修二は昔飼っていた猫のことを思い出していた。猫の名前はジェイクといった。名前の由来は「ショーシャンクの空に」(または「刑務所のリタ・ヘイワース」)のカラス“ジェイク”ではなく、「ダーク・タワー」シリーズのガンスリンガーのジェイク少年からとったものだ。どちらもスティーブン・キングの作品だが、猫のジェイクは後者のものだった。そのジェイクは長い間生き、結局十三年か十四年くらいの大往生だった。いや、誰かがジェイクの最期を看取った訳ではない。少なくとも修二以外は。そう、ジェイクの最後・・・修二自身もはっきり確認したのではないが、あれはおよそジェイクだった。
中学三年のその日、修二は学校からいつもの道を通って帰っていた。途中の公園を通り、ショートカットして帰る道。公園へ入ろうとして何の気もなしに道路に目をやると、道路の端に猫が一匹倒れていた。およそ車に跳ねられたであろう猫は、誰か親切な人に道路の端に避けられたようだ(跳ねられてそこに至ったのかも知れないが)。虎色の体毛を血で赤く染めてぐったりしていた。死んでいることは一目で分かった。ジェイクに似たその遺体を、ジェイク自身だと修二は一瞬で悟ったが、怖くなって見ないふりをした。猫なんていくらでもいるし、もちろん同じ毛色の猫がいるのは当たり前だ、そう修二は思った。しかし震えは止まらず、公園を抜ける際にトイレに入って修二は吐いた。ジェイクは確か昨日の晩、鮭の切り身を母親にねだっていたことを思い出してもう一度吐いた。
顔を上げて壁に書かれた落書きを見た。この落書きのことは知っている。トイレを使えば誰もが見える位置にサインペンで殴り書きされた落書きは「いつになれば よくがなくなる わかるきがする」と書いてあり、その下には赤色のペンで「よくならんし わからん」とコメントされている。何のことかは分からないが修二は息を切らしてその落書きを見た。この古き良き悪習慣がいつの頃から行われているのかは知らないが、どこの場所へ行っても必ずと言っていいほど発見できる、言わば野良猫のようなもの、と修二は理解していた。それに高架下に捨てられたコンビニ弁当のタッパや空き缶などとも同じだと。どちらにしろ誰かがその原因を考えてまとめ、そして処理しなければならなくなるのだ。どちらかがイタチでどちらかが猟師でしかない。
結局ジェイクは帰ってこなかった。家族は心配したが、いずれ父親が「像と一緒だ。死ぬところを見られたくなかったのだろう」そう言って家族を納得させた。それから一年後、柴犬のイチローがやってきた。
―― よくはなくならない わかりもしないさ ――
窓の外の猫を見ながら修二は、ジェイクとお前は違うんだ、そう呟いてしばらく眺めていた。やけに人間に慣れた猫は堂々とした面持ちで、そこに座り続けていた。
どれくらい経ったろうか。「もう閉めるぞ、お前は帰れ」修二は猫にそう告げると窓を閉めた。それからカーテンも閉めて、映画の続きを見た。