魔女は微笑むⅨ
冴木と大樹の二人は、フィギュア消失の話題もそこそこにとりあえずコラボカフェへ向かっていた。大樹が言うには展示スペースのすぐ隣がコラボカフェのようだと言っていたが、そこは至って普通のレストランだった。
「あれ? ちょっと待ってくれよ」
大樹がパンフレットを矯めつ眇めつ覗き込んでいると、レストランの奥の通路から見知った人物が現れた。いつも、想定外の場面で現れることが多いな、と冴木は不思議に思った。
「こんにちは、冴木さん」家政婦の恵美が小さく頭を下げた。「みれいお嬢様を誘わなかったことに関してはなにも言いません。まずは来てくださりありがとうございます」
「……どうも」
「それで、どうかなさいました?」
「あ、メイドさん」大樹がパンフから顔を上げた。「コラボカフェって、もしかして下ですか?」
「ええ、そうです」
「やっぱりか! わりぃな、賢。カフェやらバーやらレストランやら、色々あって見間違えてたよ」
初めて来る場所なのだから仕方がない。それに、スイーツは逃げたりしないだろう。冴木は気にしてないよ、と片手を挙げた。
「メイドさん、良かったら案内してくださいよ」
大樹が馴れ馴れしく言うと、恵美は首を横に振った。
「私はお仕えしている方の指示しか受けませんので」
柔らかい物腰で、物凄い従順っぷりである。冴木は使用人などの仕事も自分には向いていないだろうなぁ、と再び将来への不満を募らせた。
「ですが……ちょうど下に用事がありましたので、近くまではご一緒いたしますよ」
そういって恵美はちらりと冴木を見てから、くるりと背を向けてエレベーターの方へと歩いていった。ふわりと舞うメイド服も、こういったコスプレイヤーたちの中では馴染んでいる。
こちらのペースを気にせず進んでいくメイドのお言葉に甘えて、その背を追う。大樹も「ラッキー」と呟いてついてきた。
船内にエレベーターは三基あるようで、最初使ったのとは別のエレベーターだった。相変わらずの無音で目的地に着いて、通路に出る。
すぐ近くにあったのは、試遊機で遊べるゲーム体験コーナーだった。
「おお、すげぇ! VRゲームの体験版で遊べるって書いてあったのはこれか!」
「VRって?」
「バーチャルリアリティだよ。それこそさっき話に出た暗視スコープみたいなやつをつけてると、仮想現実に入り込めるんだ」
「皆、現実逃避が好きだね」
「今はAIも発展してきているから、これは随分と楽しめそうだぞ……!」
大樹はのりのりだが、本来の目的を忘れてしまっては困る。冴木はそのゲーム体験コーナーの奥にあるコラボカフェが視界に入り、無意識に歩みを進めていた。
ふと、視界の隅に見慣れたピンクレッドが見えた。歩きだそうとする足をとめて、目線を移す。
「あっ! 冴木先輩!」
天災、有栖川みれいがそこにいた。冴木は驚きのあまりその場に立ち尽くす。だがすぐに思考がキックダウンしてその視線は家政婦の恵美に向かった。
「……ごほん」
冴木の無言の訴えが効いたのか、恵美は僅かに視線を逸らした。恋のキューピッドごっこはまだ続いていたのかと溜め息を吐きそうになった。
「冴木先輩、会いたかったですわ!」
みれいは随分と上機嫌で冴木に近づいてくる。そのすぐ後ろに、いつものパーカーを着た一ノ瀬がいて小さく手を挙げていた。
「声が大きいよ、有栖川君」
冴木が暴れ馬を宥めるように、どうどうと片手を出すとみれいは微笑んだまま冴木の前で立ち止まった。
「事件ですわ、船長さんが殺されましたの!」
「何だって?」
「ですから、殺人事件ですわ!」
「……有栖川君、それはゲームの中の話だろう?」
「冴木先輩、それは当たり前ではありませんか」
急に憮然とした態度でいうみれいに、冴木は頭を抱えた。
「なんだ、みれいちゃんに一ノ瀬も来てたのか」大樹が白い歯を見せる。「ちょうどいいよ、皆でコラボカフェ行こうぜ。五人いれば限定コースター全部コンプリートできるしな」
こうしてミス研の四人と、家政婦の恵美を含めた五人でコラボカフェにいくことになった。恵美のいう用事とは、みれいの元に行くことだったらしい。元々会計は冴木がするつもりだったが、五人分となると流石に財布が寂しくなってしまう。帰りにでも大樹にお金を渡せばいいか、と予定を若干修正した。
案内されたテーブルに腰掛けて、コラボメニューの表を手に取る。種類が豊富だが注文はスムーズに進んだ。
冴木はスフレチーズケーキ。大樹はフォンダンショコラ。みれいがアップルパイ。一ノ瀬がロールケーキを頼んだ。中でも恵美がコーヒーゼリーと注文したときは、ここでも白黒かと冴木はこっそりと思っていた。
ケーキと一緒に注文したドリンクが先に届いて、大樹と一ノ瀬がコースターを回収して誰がどのコースターを貰うか議論を交わしていた。冴木はコースターは別に必要はないので問題ないが、二人の眼差しからは一歩も引く気配を感じ取れない。争いだけは避けて欲しいものだ。
「それで、冴木先輩。事件解決のために助言をいただきたいんですの」
「断る」
もうこれで何度目の依頼だろう、と冴木は辟易する。いつもみれいの周りで何かが起きて、毎回推理を強制させられる。もちろん、マインドコントロールされているわけではないが、どうにも断りずらい雰囲気を作られてしまうのだ。それを回避するには、初手から相手の動きを封じること。頑固拒否の態度を一貫していれば、流石の彼女も諦めるだろう。
「それでよろしいんですの? これは私たちミス研の沽券に関わりますわよ」
「そんな大層なサークルじゃないだろう」
「いいえ、私にとっては大事な場所ですわ」
みれいはそういうと、事件のあらましを話し始めた。いつのまにか、大樹と一ノ瀬もコースター選びが終わったようで話に聞き入っている。恵美は黙って紅茶を飲んでいた。冴木はホットコーヒーに砂糖を入れて、マドラーでぐるぐると混ぜながら話半分に話を聞いた。
「――と、いうことなんですの。どう思われます? 冴木先輩」
「その事件がゲームの中の出来事で良かったと思った。以上」
「もう、冴木先輩ったら……。私は犯人を教えてほしいんですのよ」
「どうして僕が答えを知っているていで話しているわけ?」
「いつだって皆さんが気が付かないことに気付いて、事件を解決してくださいますでしょう?」
「過大評価だよ」
冴木は呆れるように呟いて、ホットコーヒーを一口飲んだ。
みれいがいう推理なんてものは、冴木にとっては敬遠したいものの一つだった。考えれば考えるほど脳は疲労するし、時には気付きたくもなかったものに気付いてしまう。
ちらりと横目でみれいを見ると、冴木のほうを爛々と目を輝かせて覗き込んでいる。コーヒーを飲みながら推理をしているとでも思っているのか、その期待の眼差しをうけるのがどうにも居心地が悪かった。
そもそもなんで、彼女の前で推理をするようになったんだろう、と冴木は思い返していた。推理なんて大袈裟な言い方だ。冴木にとっては現状分析と、ちょっとした閃きとしかいいようがなかった。たまたまそれが真相を突いていただけに過ぎない。
だがそう……実はこうなんじゃないかと話したときの、みれいのぱっと花が咲いたような表情が、冴木の益体もない日常にちょっとした刺激を与えていたのかもしれない。最初は、こんな酔狂は一度きりだと思っていたのに。
推理をしたくないと思いながらも、みれいのころころと変わる表情を見たくて、何度も探偵まがいのことをしていたのではないか。それでも心のどこかに推理するのを躊躇う自分がいる。それは単に、自分がこの謎を解けなれば、みれいに失望されると思っているからではないか。
みれいが求めているのは名探偵の冴木だ。謎の解けない冴木を、彼女は求めてなどいない。
「冴木先輩?」
みれいがどこか心配そうな表情で冴木を覗き込んでいる。
冴木は自分のことについて考えるのは止めた。人の気持ちなんて、分からない。それは自分のことだってそうだ。だったら、今は提示された謎に向き合おう。こっちの謎に関してはもう、おかしいなと感じる部分が明確にあった。
「有栖川君は、コーヒーはブラック派だよね」
冴木が唐突に切り出すと、みれいは小さく首を傾げた。
「はい……それがどうかしましたの?」
「僕のこれも、ブラックなんだよ」
冴木の手元にはホットコーヒーがある。先ほどみれいの話を聞きながら砂糖を入れて混ぜていた。
「でもさっき、お砂糖を入れていましたわよね?」
「うん、でもミルクはいれていないよ」
「……それでもブラックコーヒーなんですの?」
「英語圏でブラックといえばミルクが入っていないものを指すことが多い。砂糖の有無は関係ないんだよ」
「え!」みれいが両手を合わせた。「ということになると……アマミヤさんが仰っていましたわ。
――砂糖を入れないと飲めないと言っていて、ブラックコーヒーが飲めないなんてちょっと子供っぽいなんて思ったりもしました。
「そう……アマミヤさんは砂糖が入っていてもブラックコーヒーだと認識していた。そして寄りを戻していたかは分からないけれど、アマミヤさんは船長室に行ったんだ。そうしたら、飲めないと言っていたブラックコーヒーが飲みかけで置いてあることに気が付いた。本当は砂糖の入っているコーヒーだったわけだけど」
テーブルの上には、飲みかけのブラックコーヒーと開いたワイングラスがあったとみれいは言っていた。そして、ゴミ箱にはスティックシュガーの袋。
アマミヤからしたら、飲めないコーヒーが減っているのだから船長ともう一人誰か居たのではと想像してしまってもおかしくないだろう。そしてアマミヤの前に操舵室から出ていたのは副船長カイバラと航海士のカワバタ。
カイバラはコーヒーが苦手、といっていた。勤続二十年ともあれば副船長がコーヒーが苦手ということぐらい知っていてもおかしくないだろう。そうなると、船長とカワバタが二人でこっそり会っていたのではと考えただろう。何故ならアマミヤからしたらカワバタは色目を使っていると思っていたのだから。
寄りを戻すつもりでいた船長がどんな話をしていたかは分からないが、彼の愛の言葉はアマミヤにとってはとてつもなく胡散臭いものだっただろう。
「もしかしたらそれで激昂して、アマミヤさんが船長を刺したということですの?」
「さぁね、アマミヤさんがその場面をどう捉えたのかは分からないけど、そう思ってもおかしくはないということだけだよ」
そこへ、コラボメニューのスイーツが運ばれてきた。冴木は話は終わり、とフォークでスフレチーズケーキを無言で口に運ぶ。
みれいはアップルパイを目の前にしたまま、微動だにしなかった。
「アマミヤさんからしたら、船長に裏切られたと思ったんですわね……。ああ、やっともやもやが晴れましたわ」
「なるほどねぇ」大樹がフォンダンショコラを崩しながら言った。「愛情と殺意は表裏一体なんだよ。これだからモテる男はつらいよなぁ」
「会長はモテてないと思う」
一ノ瀬がロールケーキを食べる手を止めて無慈悲に言い放った。