魔女は微笑むⅦ
こじんまりとした船長室に、六人の男女が集っている。亡くなっている船長はもちろん数にはカウントしていない。
「さぁ、容疑者を全員連れてきたよ」
カイバラが口火を切った。彼の隣に、無精ひげを生やした中年の男と、四十代ぐらいのセミロングの女性、二十代後半ぐらいのポニーテールの女性がいた。
三人とも船長の死体を見て動揺している様子だったが、全員が容疑者だという現状を知ると、口を一文字に結んだ。余計な言葉は疑いの目を向けられるとでも思っているのか、それとも操舵室を任せられるような人たちなのでそれなりのキャリアがあるのか、どちらとはいえ騒ぎ出さないのはみれいにとって好都合である。
「では、これから事情聴取を行いますわ。一人ずつ、お呼びいたしますので外に来てくださいます?」
「ここで皆の前で話すのでは駄目なのかね?」
無精ひげの男が疑問を口にした。
「犯人がお一人とは限りませんもの、口裏を合わされる可能性もありますから別々でお伺いしたいんですわ。よろしくて?」
「なるほどな」無精ひげの男は片手を挙げて頷いた。「じゃあ誰から話すんだ?」
「まずはそうですわね……カイバラさんから」
みれいはにっこりと微笑んで部屋の入口を手で示した。
「俺も一応容疑者ってわけか」
カイバラは苦笑して指示に従う。
「一ノ瀬さん、他の三人を見張っておいてくださいます?」
「了解した」
カイバラの後を追い、みれいは部屋の外に出た。扉を閉めて声が漏れ聞こえないようにすると、こほんと咳払いする。
「ではカイバラさん。最後に船長とお話されたとのことですけれど、そこから私たちに会うまでどう行動していたかお話してくださいます?」
「もちろんさ」
カイバラは理路整然と己の行動を話した。
「船長と今後の運航管理の話をしていたんだ。船長が自分用にコーヒーを淹れていたよ。僕はコーヒーは苦手で、それは船長も知っているから俺の分は淹れなかった。そんなに長居するつもりもなかったからね」
確かにコーヒーカップは一つしか用意されていなかった。あれは自分で飲んでいたということか、とみれいは脳内にメモした。
「船長さんは外国の方でしたけれど、会話は英語ですの?」
「そうだよ。この船に国境なんてないも同然さ。ほとんどの人間が英語を話せるよ。特に航海士のカワバタ……えっと、ポニーテールの若い子ね。帰国子女で、英語ぺらぺらなんだよ」
「お若いのに素晴らしいですわね」みれいは英語が苦手だった。「では、その後は?」
「あとでデッキ部門のほうに行こうと思ってたぐらいで、ずっと操舵室にいたさ。それは他のみんなが証明してくれると思うよ」
「操舵室にいるあいだに、どなたか外に出られました?」
「えーっと、みんなそれぞれ一回は操舵室を出てる。誰でも船長室に入ることが出来ただろうね。僕が最後にデッキ部門に行こうとしたところで、ワゴンが置いてあることに気が付いて船長室に来たのさ」
「なるほど……どなたか船長と親しい間柄の人はいらっしゃいませんの?」
「そうだな、ホテルマネージャーのアマミヤは一時期付き合っていたらしいけど」
「あら」みれいは口元を手で押さえた。
「だけど別れたのは半年ぐらい前だったかな……何だか色々あったみたいで二人で話しているところをあんまり見なくなったかな。でも最近は普通に話していたかも……。まぁそんなとこだな」
カイバラはこれで終わり、と言った様子で両の手の平を上に向けた。みれいはお礼をいって、今話題に上がった航海士のカワバタ、という人を代わりに呼んで欲しいと伝えた。
ややあって、ポニーテールのカワバタがやってきた。どこか沈痛な面持ちで、顔は斜め下を向いている。
「こんにちは、カワバタさん。まず役職を教えていただけます?」
「はい……。私は航海士です。航海や荷役に関する業務に携わっています」
「GPSをなどを使ったりして、航海のサポートをするわけですわね」
「はい、なので操舵室にいました」
「船長室には伺いましたの?」
「いいえ、船長室には寄っていませんが、操舵室は一度出ました」
「それは何故ですの?」
「お手洗いにいったからです。証人は……いませんが、通路のカメラに映っているかと思います」
「その時、操舵室にはどなたがいらっしゃいました?」
「三人とも操舵室にいました。機関長のヤマブキさんが随分と眠たそうにしていたので自分の分と合わせて二つ、ブラックコーヒーも持ってきたんです」
機関長のヤマブキとは、おそらく無精ひげの男のことだろう、とみれいは仮定した。
「よくお二人でブラックコーヒーを?」
「まぁ、そうですね。缶コーヒーって微糖って書いてあっても甘ったるくて……いつもブラックです」
カワバタの意見はもっともだった。みれいもどちらかといえばコーヒーはブラック派である。
「それよりも……随分と暗い表情ですけれど、ひょっとして船長さんとは、親しい仲でしたの?」
「いえ……」カワバタは沈んだ表情のまま言う。「逆に向こうからセクハラされることがたまにありました」
「セクハラ……ですの?」
「はい、事あるごとに絡んできて……ホテルマネージャーのアマミヤさんに、あんたが色目を使うからだって愚痴も聞かされて……。それであの私、藁人形を作って胸に釘を刺したんです」
「え?」
何だか急に飛び出た不穏なワードを、みれいは思わず訊き返した。だがやはり聞き間違いではなかった。顔を上げたカワバタは思ったよりも濃いメイクをしていた。
「やっと夢の航海士になれたのに、船長がセクハラだなんていったらただじゃ済まさないぞって脅してきて……言い返すこともできなくて、鬱憤を晴らしたかったんです。だから本当に船長が死んだのだとしたら、私の呪いのせいかもしれません」
何ともホラーめいた展開になってきている。まさかそんなことはないとは思うが、カワバタには動機があったということだろう。
「分かりましたわ。では次にホテルマネージャーだというアマミヤさんを呼んでくださいます?」
カワバタは暗い表情のままこっくりと頷くと、船長室に戻っていく。少しして、アマミヤが姿を現した。
「あの、あなたに話したところで物事は解決するんですか?」
開口一番、アマミヤは舌鋒鋭くみれいに質問した。
「お任せください、こうみえて私ミステリー研究会に所属しておりますの。推理はお手の物ですわ」
後半は完全に嘘だが、アマミヤは特に追及はしてこなかった。解けるものなら解いてみろと言わんばかりである。
「私はアマミヤ。ホテルマネージャーです。もうここに勤めて二十年になります」
「えーではアマミヤさん。カイバラさんが船長さんと引き継ぎを終えてから、船長室には入りました?」
「入っていません。でも操舵室は一度出ています」
「それはいつ頃ですか?」
「カイバラ君が戻ってきてから二十分ぐらいしてからかしら。フロントパーサーの方の話をしました」
「ぱんさー?」
「乗客からの依頼などを受ける窓口のような係のもののことです。そんなことも知らないんですか?」
ぐうの音も出ない。みれいは咳払いでなんとか場を誤魔化して話を続けた。
「いえいえ、知っていましたわよ。ヒョウですわよね。それでどんなお話をされたんですの?」
「……ホールで騒いでいる人がいるっていう話が入ってきたので、どうしたのか確認にいったまでです」
「なるほどそちらの問題は解決されていたようですわね。ではこちらの問題も私が華麗に解決して差し上げますわ」
「はぁ。あの、パンサーじゃなくて、パーサーですからね?」
「はいもちろん、冗談ですわよ」みれいはお得意の笑顔で乗り切る。「それで、他に操舵室を出られた方は?」
「カイバラ君以外は皆一度は出てるわ。ちなみに私は、カワバタが怪しいと思いますけどね」
「それはどうしてですの?」
「あの子、船長にべたべたくっついて……それでこの船に乗れているようなものです。若いだけが取り柄なのよ」
「逆にアマミヤさんは船長とは親しい間柄でしたの?」
「まぁええ……。その、お付き合いしていた時期もありましたけど……」
「あら、そうなんですの」
みれいはカイバラからその情報を仕入れていたが、あえて初耳だというフリをした。
「お仕事でご一緒のときも、お二人で話されたりなどされたんですの?」
「ええ……。彼は寝る前に呑むワインが好きでしたからご一緒することが多かったわね」
「確か船長さんはコーヒーもお好きでしたわよね」
「そう言っていましたね。でも、砂糖を入れないと飲めないと言っていて、ブラックコーヒーが飲めないなんてちょっと子供っぽいなんて思ったりもしました。大体いつもお会いするのは夜ばかりで……コーヒーぐらい、淹れてあげたかったわ」
色々と思い出が蘇ってきたのか、アマミヤは少し涙ぐんでいる。
「船長さんと、いつからお付き合いされていたんですの? それにどうしてお別れに?」
「……なんでそんなことまであなたに話す必要があるんですか?」
アマミヤは涙を拭ってぴしゃりと言い放つと、「もういいですか」と不満顔でいった。みれいは地雷を踏んでしまったとおもい反射的に頷いてしまった。仕方がないので、代わりに機関長のヤマブキを呼んでほしいと伝えた。
ほとんど入れ違いのようにヤマブキが現れる。やはり無精ひげの男だった。
「はっはっは。どうだい推理のほうは」
ヤマブキはなんだか自分は関係ないとでもいいたげである。
「まだまだ情報が足りませんわね。それでヤマブキさん、機関長ってどんなことをするんですの?」
今回は無知を武器に使ってみる。みれいはやや上目遣いでヤマブキを見つめてみた。だが彼は事前に回答を用意していたのか淀みなく応えた。
「ま、エンジンをはじめに色んな装置の運転管理をするのさ。もっとも最近は、機関士に任せることも増えたがな」
「とはいっても、ヤマブキさんなくしてこの船は動かないといっても過言ではないわけですわね」
みれいが少し持ち上げてみると、ヤマブキは機嫌が良さそうに頷いた。
「それで、操舵室にずっといたんですの?」
「いいや、一度出たな。発電機のメンテナンスの話を機関士のやつと少ししてね。その後トイレに行ってから戻ってきた。その後はずっといたさ」
「発電機、ですの?」
「ああ、船は陸から電線で電気をもらうわけにはいかないだろう? だから発電機があるんだ。だいたい担当は二等機関士だよ」
「では、他に操舵室を出られた方は?」
「カイバラが戻ってきてからは、カワバタが出ていってからコーヒーを持ってきてくれて……その後アマミヤだったかな? ちょっと眠くてうろ覚えだが、俺が出て戻ってきてからは、誰も出てないと思うぞ」
「なるほど、分かりましたわ。ちなみにヤマブキさんも、この船に携わって長いんですの?」
「そりゃあな。船長とも長いさ。あいつはバツイチでな、アメリカで一回浮気がバレてどうのこうの言っていたかな。アメリカの女より、日本の大和撫子が一番だってよく言っていたさ。俺からしてみりゃ、パツキンのネーちゃんのがよっぽど好みなんだがなぁ」
ヤマブキの理想の女性の話は三分ほど続いて、みれいは話を打ち切ろうとしたときだった。
「そうそう、あのホテルマネージャーのアマミヤと寄りを戻すみたいなこと言っていたっけな」
「え、本当ですの?」
「ああ、酔った勢いでそんなことをいっていたけど、どうなったかまではしらないよ。さ、もういいだろ?」
これでおおよそ、聞きたいことは聞いたように思える。そもそもみれいは事情聴取など真面目にやったことはもちろんないので何をどう聞くのが正解なのかは分からないが、一応情報は揃った。
冴木だったらここからどう理論を構築していくだろう、とみれいはぼんやりと考えた。