魔女は微笑むⅪ
「怪盗アトラスのトリックが分かったと?」
しずくは口元に手を添えて、少し驚いた様子だった。
「よくもまぁ……こんなことをって思いましたけど」
冴木は、ポケットから棒付きキャンディーを取り出した。先ほど糖分を摂取したばかりだったが、体が糖を欲しているように感じた。包装紙には、『うにクリームもんじゃ味』と書いてあった。
「わたくしとの会話のどこに、ヒントがありました?」
「ずっと引っかかっていたことがあったんです。なんで、家政婦の葉山さんが僕のところにこのイベントのチケットを持ってきたんだろうって」
恵美は、ぜひお嬢様といらしてください、とまるで恋のキューピッドみたいなことをしていた。だがその時、彼女はなんといっていたか。
「彼女、すみませんがよろしくお願いしますって言っていたんです」
「……それのどこに引っかかるんですか?」
「葉山さんは善意で僕にチケットを渡したわけじゃないんです。あなたの命令だったから、手渡した」
恵美は、大樹がカフェまで案内してほしいと図々しくいったとき、こう返していた。
――私はお仕えしている方の指示しか受けませんので。
「つまりあなたは、僕と有栖川君の仲を確かめるためにこのイベントを利用したんですね?」
冴木の指摘に、しずくは再びくっくっと喉を鳴らして笑った。
「そしてあなたは僕の人間性を計るのに、トリックを用いた。それが、怪盗アトラスです」
「では、あの等身大フィギュア――エプシィはいかにして消えたか。冴木さんの推理をきかせてもらえますか?」
「それは――」
冴木は逡巡した。
ここで呑気に推理を語るべきだろうか、と。
結局形は違えど、なぜこうして推理を披露する流れになるのだろう。毎回毎回、なぜかみれいがいるとトラブルに巻き込まれてこうして推理をする羽目になってしまう。
そもそも何故自分は推理がしたくないのか。
それは簡単だった。
ほとんど閃きだよりの推理なのだ。破綻していても、おかしくない。
これ見よがしに開陳して、全く的外れなことを言っていたら目も当てられない。羨望の眼差しで見つめるみれいの期待を裏切ったら、どんな顔をされるのか。
それが嫌なのだ。
期待され、持ち上げられ、謎が解けなかったら、みれいは失望するだろう。
そうなりたくないから、いまこの現状を維持したくて、回避の立場をとりたかったのではないか。
名探偵になんて、なれっこないのに。
担ぎ上げられて、天狗になってやしないか。
賢しらに、悦に浸っていなかったか。
それなのに、ここまで歩いてきてしまった。
謎を解いてきてしまった。
矛盾している。
冴木賢という人間は、今この場にふさわしくない。
有栖川みれいという女性の隣など、もってのほか。
みれいが体験していたゲームで、船長に裏切られたと感じたアマミヤはどうした?
その手を、ナイフで赤く染めたではないか。
だったら……。
冴木はぐっと拳を握った。
立ち去るべきだ。
第六感もそう訴えている。
それでも、
動けなかった。
いや、
動きたくなかった。
「冴木先輩」
みれいの声が、遠くから聞こえた。
「私は、冴木先輩を刺したりなんてしませんわ」
ああ、
いつだって君はそうやって僕を求めるんだ。
「分かりました。僕の意見を話します」
冴木はうにクリームもんじゃ味のキャンディーを口に放り込んだ。もう、待ったはなしだ。
「パンフレットには、あそこはエクスプローラーズラウンジだと書かれていました。舞台のようになっているのは生演奏や、ダンス、そしてマジックを披露するからです。そこに寮部屋のセットがあって、台座にフィギュアが乗っていました。あなたはマジックに使う舞台装置を使って、フィギュアを舞台の下に隠したんです」
舞台は高い位置にあって、手前には階段もあった。不可能な話ではない。ただ、本当にそんな装置があるのかを冴木は知らない。しかしそれならば納得のいく状況だったので鎌をかけた。
しずくは微笑を浮かべたまま黙っている。この場面の沈黙は肯定ととっていいのだろうか。
嫌な沈黙を、みれいが破った。
「でも、冴木先輩。確かにそういう装置はあったかもしれませんけれど、それなりの音がすると思いますわ。モーター音だとか、床板の音も」
「あの展示スペースではずっとゲームのBGMが流れていたよ。もちろん、そんな大音量じゃない。けど、それで十分なんだ。有栖川君、マスキング効果って知っている?」
「あっ!」みれいは目をしばたたいた。「高層エレベーターの風切り音を消すために音楽を流しているんですわよね!?」
「よく知ってるね」
冴木はまるで生徒を褒める先生のように優しく言った。
「だからあの時消えたのは、照明だけだったんだ」
照明が消える少し前に、関係者入口のようなところにヘイレーンらしき人影がいたのを、冴木は見ていた。その時はイベントコンパニオンだから船内にいるのも不思議ではないと思っていたが、あれはこちらの動向を確認するためにそこにいる必要があったのだ。
「マジックに使う何らかの仕掛けがあったかもしれないとは思ったけれど、それが偶然僕と大樹がいるときに作動するなんていうのが理解できなかった。だから、ずっと謎が解けなかった。でも……それもあなたが僕を試すためにやっていたのだとしたら、納得がいく」
冴木はそう言い終えると、深く息を吸った。推理を話すとき、まるで相手を糾弾しているような感覚に陥る。どうにもこの感覚には慣れそうもなかった。
「素晴らしいわ」
しずくは満足そうに小さく拍手をした。
「冴木さん、試すようなことをして悪かったわ。それに関しては、謝ります」
小さく頭を下げるしずくを、冴木はただ見つめることしかできなかった。
「誰か協力者が僕と大樹の近くにいて、怪盗のメッセージが記されたカードを置いたんですね?」
「ええ、望月という使用人が、近くにいました」
「でも、分かりません。どうして僕なんかを試したんですか」
「それは……」しずくは視線をみれいに向けた。「この子が心配だったんです」
「……心配?」
「娘の前でいうのもあれですけれどね、この子はちょっと抜けているところがあって、本当に一人で大学生活を送れているのか、不安で不安で……」
「お気持ちは察します」
「さ、冴木先輩?」
みれいが慌てた様子で冴木の腕を掴む。それでも、娘を想う母の言葉は止まらない。
「家政婦の恵美からも色々と現状を聞き出しました。そこで、あなたの名前がでたのです。みれいも気に入っている様子で、同じミステリーサークルに入ったとも聞きました。そこで、こんな娘の面倒を見られるのかとも思いました」
「無理だと思います」
「あ、あのー……」
みれいはほとんど消え入りそうな声で抗議しようとするが、波の音に攫われていった。
「ですが、冴木さん。いいえ、賢さん。あなたのような聡明なお方なら、娘を安心して任せられます」
「あの、しずくさん。僕と有栖川君はお付き合いはしていないって言いませんでしたっけ?」
「それは、時間の問題です」
しずくはそう言い切って、微笑んだ。
「さぁ、話は終わりです。もう茶々はいれません。あとはお若い者同士で、ね」
「…………」
まるでお見合いの席の一幕のようだ。冴木は、しずくの押しの強いところに、みれいとの共通点を見出した。この親にしてこの子ありとは、まさにこのことだろう。
しずくは白い日傘をくるくると回しながら船内へと戻っていった。スカイデッキには、冴木とみれいだけが残された。
潮風を肌に感じながら、冴木は隣にいるみれいとただ黙って景色を眺めていた。
波止場を歩く人たちが、とてもちっぽけに見えた。空や、宇宙から見たらスカイデッキにいる冴木たちも米粒のように小さい存在に見えるだろう。
一羽のカモメが近くに降り立ったかと思うと、後を追うようにもう一羽現れた。どちらからともなく近づいて、クチバシや喉の辺りをつついている。
「冴木先輩、今回も名推理でしたわね」
穏やかな風が、みれいのピンクレッドの髪を揺らしている。
「まぐれだよ」
冴木は本心でそういった。決して謙遜などではない。
「私、一ノ瀬さんと二人で推理していて分かりましたわ。やっぱり探偵にはなれっこないって。だってそもそも犯人の目星すらつけられなかったんですもの」
みれいが少し寂しそうな顔で、カモメを見つめていた。
「誰にだって得手不得手はある。僕は人の心情なんかは読み取れない、けど有栖川君は違う。僕が逡巡しているときに、声を掛けてくれたじゃないか」
「それは……なんだか冴木先輩がどこか遠くへ行ってしまうような気がしたんですの」
みれいがどこか愁いを帯びた声で呟いた。
「どこかって? 僕が帰るのはいつだって君の隣だよ」
「え……?」
聞き取れなかったのかと、冴木がみれいの方へ顔を向けると、互いの視線が交差した。
「あ、いや」冴木は目線を逸らした。「アパートね。隣の部屋だろう」
返事をきいたみれいがクスクスと笑いだした。
「そうですわよね。それに、もうスイーツをお食べになって早くお帰りになりたいんじゃありません?」
「……心情を読み取らないでくれよ」
「誰のでも読み取れるわけじゃありませんわ。冴木先輩が分かりやすすぎるんですのよ」
「そうかな」
「そうですわ」
そこで、急に電子音が鳴った。冴木はスマートフォンを持っていないので、必然的にそれはみれいから発せられたものだと分かる。その音に驚いたのか、二羽のカモメは飛び立っていった。
「もしもし……えっ! それは本当ですの!?」
冴木の役に立たない第六感が、危険シグナルを発する。だが、その場を動く気はなかった。
「冴木先輩、また事件ですわ!」
「君も大変だね」
「他人事じゃないですわよ、さぁ行きましょう。冴木先輩は私の名探偵なんですから!」
みれいが鼻息荒く手を掴んで、船内へ向けて歩き出す。
まるで引きずられるようにして、スカイデッキを後にする。いつだって冴木の意志はたんぽぽの綿毛のように吹かれるままだ。
「全く……」
冴木は満更でもない様子で、小さくぼやいた。
「探偵なんて、うんざりだ」
その声はさざ波に掻き消されて、誰にも聞こえることなく消えていった。




