魔女は微笑むⅩ
冴木はスフレチーズケーキの最後の一口をしっかり味わって、最後にコーヒーを飲んだ。一言で感想を言い表すとしたらまさしく『至高』だった。コラボカフェメニューは比較的強気な値段設定ではあったが、その価値があると、冴木は満足していた。
「なぁ、賢」
すでにフォンダンショコラを食べ終えて、口の周りが少し汚れている大樹がぼそっと呟いた。
「その船長殺人事件の件は、納得がいったけどさ。エプシィちゃんを奪った怪盗のことは解けているのか?」
馬鹿野郎、と冴木は突っ込むところだった。それは今この場で話すことではないのだが、大樹はきょとんとしている。
「え、怪盗って何ですの!?」
案の定、みれいが目を輝かせている。冴木がじろりと大樹を睨むと、何食わぬ顔でスイーツに刺さっていたピックを回収している。長い付き合いだから分かるが、これはわざと爆弾を投下している。
「エプシィって」一ノ瀬が口を開いた。「レッドアトランティスの?」
「ああ、そうだよ」
大樹が待ってましたといわんばかりに展示スペースでの出来事を話し始めた。まるで絵本の読み聞かせでも聞いているかのように、みれいは静かに聞き入っている。一ノ瀬も、好きなゲームの話題だからか興味深そうにしていた。
「怪盗というのも甘美な響きですわ……」
みれいがうっとりとしながら、語り始めた。
「怪盗というのは昔から、推理小説などでは名探偵と相対する存在ですのよ」
「あ、そう」冴木は興味なさげに呟く。「ただの泥棒だろう」
みれいがちっちっち、と人差し指を揺らした。何とも人を小馬鹿にした演出だ。
「いわゆる劇場型犯罪をする者を怪盗というんですわ。例えば犯行予告をおこなったり、今回のように厳重に管理されているものをいともたやすく盗み出すというのも怪盗ならではですわね」
その後もみれいがアルセーヌ・ルパンや、怪人二十面相などのことを饒舌に語っていた。冴木はほとんど聞き流しながら、展示スペースでの出来事を思い返していた。
ひょっとしたらこうではないか、と思うことはあったが確証がなかった。それに、方法が分かったとしても何故あのタイミングでそれが行われたのかが不可解だった。イベントは二日間開催されているのに、二日目のあの時間帯だったのはなぜなのか。偶然だといってしまえばそうなのだが、冴木はそこに何か違和感を抱いていた。
「それで、賢。何か思うところがあるんだろう?」
「さぁね。あれはあれで、そういうイベントなんだろう? だったらそのタネを暴こうっていうのは野暮じゃないのか」
「そりゃあまぁ、手品なんかも凄いってなるけど、結局タネが知りたくなるものだろう?」
冴木の隣でみれいがうんうんと頷いている。
「冴木先輩。確かに、謎を謎として純粋に楽しむのもありだとは思いますわ。でも、私は手のひらで踊らされているだけでは不服ですの」
だったら自力で解くのがフェアというものだ、と冴木は言いたくなったが口を噤んだ。これ以上会話しているとまた推理する流れになるような気がしてくる。
カフェの入口のほうを見てみると、人だかりができている。おやつの時間には少し早いような気もするが、ここはスイーツ以外にも大樹のようにコラボ商品を楽しみに来ている人もいるだろうから、あまり長居をして席を占領するのは憚られる。
「有栖川君、そんなに怪盗が気になるなら展示スペースに行ってみたらいいんじゃないのかな。何か分かるかもね」
冴木は全員が食事を終えているのを確認して席を立った。それを皮切りに、全員揃ってレジへと向かう。伝票を渡しながら財布を取り出していると、レジにいた店員がおずおずと話しかけてきた。
「あのぅ……お会計なんですけれど、もう支払われています」
「え?」
冴木が振り返る。誰か先に払ったのだろうか、と思ったがみれいたちは首を傾げている。だが、恵美だけが何故か一歩下がった位置に立っていて、カフェの入口のほうへ小さく頭を下げていた。
「お会計なんですけれど」店員が店の入り口に手のひらを向けた。「あちらの方から、お支払いいただいております」
人だかりは、カフェに並んでいるわけではなかった。そこには、船の入口でパンフレットを配っていたヘイレーンがいた。先ほどの魔女の出で立ちのまま、なぜか人を掻き分けてこちらに歩いてくる。
冴木の第六感が警鐘を鳴らす。だがそれはいつだって、致命的に遅いのだ。
「イベントは楽しんでいただけました?」
「……はい」
冴木はその目元を見つめた。やはりどこか既視感のようなものを覚える。まるでつい今しがた見ていた――。
不意に、冴木の腕を掴むものがいた。視線を外して隣を見ると目を見開いたみれいがいた。その手は微かに震えている。
「お、お……お母さま!?」
「あら、気付かれちゃった」
ヘイレーンが、くっくっと喉を鳴らして笑った。
「……有栖川君の、お母さん?」
冴木はその言葉を理解するのに時間を有した。なんせ最初の印象では二十代後半だと思っていたし、それは今でも変わらない。みれいの勘違いではないか、とも思ったが彼女はあれでいて洞察力は高いほうだった。実の親を見間違えることはないだろう。
それにここはアリスゲームクラフトが開発したゲームのオフラインイベントなのだから、そこにいてもおかしくはない。おかしくはないのだが……どうにも現実味がなかった。
「冴木さん。少し……お話がしたいわ。着いてきてくださいます?」
関係者以外立ち入り禁止のスカイデッキは、午後の温かい日差しに包まれてこれ以上ないロケーションだった。海面が光を反射させ、まるで宝石のように輝いている。
「では改めまして……冴木さん。わたくしは、有栖川しずく。みれいの母です」
しずくはとんがり帽子を取って、今は白い日傘を差していた。
「なぜ僕の名前を知っているんですか?」
「もちろん、あおいや、恵美さんから話を伺っております」
あおい、とはみれいの妹のことである。確かにちょっとした騒動のときに一緒にいて、冴木のことは知っているだろう。
「じゃあ、パンフレットを配っていたときも僕のことを知っていて話しかけてきたんですね?」
「もちろんです」
その言葉をきいて、冴木の隣にいたみれいが溜め息を吐いた。今この場には冴木とみれい、そして対峙するようにしずくが立っている。
「冴木先輩、ごめんなさい!」
みれいが突然謝罪した。冴木は何のことかわからずに、ただ立ち尽くしていた。
「昔からそうなんですけれど、私が殿方と仲良くなるとそこに必ず首を突っ込んでくるんですの……」
「はぁ……?」
「きっとあおいが余計なこと言ったんですわ。『冴えない木先輩と付き合ってるのか』ってしつこく訊いてきましたから……」
その呼び名は初耳だったが、冴木は聞き流すことにした。
「恵美さんからも聞きましたよ」しずくが笑みを浮かべながら言う。「わたくしのお願いは、何でもきいてくれますから」
なるほど、と冴木は小さく頷いた。ようやく話の本質が見えてくると同時に、小さなわだかまりが氷解した。
「しずくさん、何か勘違いをしているようですけど……僕は有栖川君と付き合ってなんかいませんよ」
「存じております。ですが、どうなるか分かりませんから。変な虫がついていたら、払ってあげるのが親としての務めでしょう」
虫、ときたか、と冴木は口を斜めにした。その呼び名も何とも不本意である。
「ですが……見事な推理でしたね。ゲーム体験コーナーにあった殺人事件の謎は、冴木さんの考察通りです」
「そうですか」
「でも、冴木さん。それだけでは及第点には届きません」
一体全体なんの審査をしているんだろう。冴木はもうスイーツは食べ終えたし、出来ることなら早く帰りたかった。
「怪盗アトラスの謎は、解けないみたいですね」
しずくはふてぶてしく、そしてどこか挑発的にそういった。
「確かに、それに関してはさっきまで分かりませんでした」
「えっ?」隣にいるみれいが素っ頓狂な声を上げた。「さっきまでって……? ひょっとして冴木先輩、何か分かったんですの?」
「何か、じゃない……全部だ」




