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魔女は微笑むⅠ

挿絵(By みてみん)


「それで、進展はあったのかしら?」


「それはどちらのことですか?」


「どちらって、逢瀬に決まっているじゃない」


「……膠着状態かと」


「そう……。でもちょうどいいわ」


「と、言いますと?」


「本当にふさわしいかどうか、知る機会ということよ」


 女は一枚の紙を取り出した。それは企画書だった。一番上に大きく印字されている文字が目に飛び込んでくる。


『ノアの箱舟』


 女はくっくっ、と喉を鳴らして笑った。

 冴木さえきけんは自室のテーブルの上で、将棋盤を睨んでいた。

 対するは、ミステリー研究会会長の萩原はぎわら大樹だいき。ふてぶてしい顔で、冴木の次なる一手を待ち構えている。無論、このあいだにも次の手を予測しているだろうが、傲慢不遜ごうまんふそんといった様子なのが冴木にはしゃくだった。

「ふふん、まぁゆっくりと考えたまえ」

「あのなぁ、こっちは二枚落ちだっていうの忘れていないか?」

 結局、場所が違うだけでやっていることはミス研の部室にいるときと何ら変わらない。こうして日曜日の真昼間からボードゲームに興じるというのが、インドアな冴木らしくもあった。

 長考した末、冴木が桂馬けいまをひょいと動かしてやると大樹は途端に渋面じゅうめんになった。さっきまでの余裕はどこへやら、何とも分かりやすい奴だ。

 これはしばらく長考かと思った矢先、部屋のチャイムが鳴った。以前までは壊れていて鳴らなかった呼び鈴も、いまとなってはうるさいぐらい部屋に響く。大樹のことだからイカサマなんてしないだろうが、盤上の様子をそれとなく目に焼き付けてから冴木は席を立つ。

 特に宅配などを頼んだ覚えはなかったので、念のためドアスコープを覗く。そこにはすっかり見慣れた白黒の女性がいた。まるで冴木が覗いているのが分かっているかのように、外からドアスコープを凝視している。早く開けなさいと催促されているようだった。

 居留守を使うわけにもいかないので、冴木は鍵を開けて、玄関扉を開ける。そんなことはないと思っていながらも、訊かざるを得なかった。

「隣と間違えてませんか」

 冴木は二〇四号室。そして今目の前にいる女性が仕えている人物が生活しているのは、隣の二〇五号室だ。しかし、彼女はその質問には答えずに挨拶を返してきた。

「こんにちは。冴木さん、少しお時間よろしいですか?」

 そういって有栖川ありすがわ家に仕える家政婦の恵美めぐみが、玄関に無造作に脱ぎ捨てられている靴を一瞥いちべつした。

「あ、来客中でしたか」

「いえ、大丈夫ですよ。それで、何ですか?」

「あの……よろしければこちらを、受け取っていただけませんか?」

 どこからともなく取り出した紙切れが二枚、冴木の目の前に掲げられる。距離が近くて全く見えなかったので思わず手に取ってしまった。

「レッドアトランティス、オフラインイベント招待券?」

 片仮名の部分はほとんど抑揚なく読み上げたせいで、どことなくカタコトになってしまった。しかしそれほど、耳馴染みのないものだった。

「良かったら、参加していただきたいのです。というか、してください」

「はぁ……?」

 冴木は真意を掴めずに眉を曇らす。オフラインイベント、ということだから何かしらのイベントなのだろうとは思うが、まさか家政婦からのデートのお誘いではあるまい。自慢ではないが、そういった浮ついたイベントは生まれてこの方経験したことがなかった。

 招待券とやらの裏側を見てみると、日時と場所が書いてある。日時は、来週の土曜と日曜の両日開催で、場所はN港に入港している豪華客船クリティアス号。ここからそう遠いわけでもないが、冴木とは全く縁も所縁ゆかりもないので、船はおろかどんな港なのかも想像できなかった。

「ぜひ、みれいお嬢様をお誘いして楽しんでくださいね」

 彼女のいうお嬢様とは、隣人もとい、同じミステリー研究会所属の有栖川みれいのことである。家を飛び出して一人暮らしを始めたものの、こうして家政婦が定期的に世話に来ているのだ。

 にっこりと笑う恵美を見て、冴木はなるほど、と溜め息を吐いた。恋のキューピッドのつもりかもしれないが、とんだ的外れである。

「悪いんですけど土日は忙しいので、無理ですね」

 もちろん冴木にとっての土日は休日であり休むために存在する。そんな日に出かける気などさらさらなかった。

「そうですか、行っていただけますか」

 全くもって言葉が通じていなかった。冴木はチケットを恵美のもとへ返そうとするが、受け取る気配がない。こんなに押しの強い人だっただろうか。

「冴木さん、すみませんがよろしくお願いします」

 恵美の顔は糊で固めたかのようににっこりと微笑んだままだった。扉がゆっくりと閉じて、玄関には冴木とイベント招待券二枚が残された。

 手元の招待券に視線を落とし、思考する。もし仮にこのイベントにあの天災てんさいともいえる有栖川みれいを連れていったらどうなるのか。


 ――有栖川みれい現るところ乱あり。


 ぶるり、と冴木は身震いした。これまでもそうだったが、あのトラブルメーカーと行動を共にするとろくなことがない。ただ平穏無事にキャンパスライフを送りたいだけの冴木にとって、まさにあれは天敵といってもいい。

「おーい、いつまで玄関で突っ立ってんだよー」

 流石の大樹も一手打ち終えていたらしく、立ち尽くしている冴木の元へやってきた。そして、素っ頓狂な声を上げた。

「なっ!? 賢、お前……そのチケットを一体どこで!?」

 大樹が目を剥いて冴木の手元にあるチケットに飛びつく。思わず冴木が手を引っ込めると、まるで餌を狙う犬のように食らいついてくる。

「半ば強制的に押し付けられたんだよ。何のチケットなのか知ってるのか?」

「そりゃあもう!」

 大樹は我が意を得たりと胸を張った。

「レッドアトランティスっていえば、ゲーム業界で知らない人はいないぐらい有名なオンラインゲームさ。開発元があの、アリスゲームクラフトなのさ。ほら、みれいちゃんの親がやってる会社だよ」

 確かに冴木も、どこかで聞いたような記憶があった。だが如何せん、これまでの人生であまりテレビゲームには手を出してこなかった。というのも、冴木の親は学校の教師ということもあり、ゲームは一日一時間、と厳しく指導されていた。キッチンタイマーをセットされて、時間を気にしながら遊んでいるのも馬鹿馬鹿しくなり、本ばかり読んでいた記憶がある。実家にいる妹のりんと弟のしゅんはいまだにそんな環境下にいるかと思うと、少し不憫にも思えた。

 しかし大樹は冴木とは対照的にゲームに通暁つうぎょうしており、流れるような講釈が続いた。

「もうかれこれサービス開始から十五周年という節目を迎えていてね。ついに待ちに待った大型アップデートの情報が発表されたんだ。それと同時に、レッドアトランティス初となるオフラインイベントが開催される運びになったわけだよ!」

 熱量に押されながらも、冴木はそれがどれぐらい凄いことなのかあまり理解できないまま頷く。

「そんなすごいイベントなら、大樹は行くのか?」

「それが……そのチケットを入手するのには条件があってね。転売などを防ぐ目的もあって、レッドアトランティスのゲーム内で条件を満たした人しか応募できない仕組みになっているんだ。だからな、賢よ。簡単に貰った、なんて言っているけどそれを持って町に一歩でも出てみろ。チケットに飢えた魑魅魍魎ちみもうりょうがすぐさま飛び掛かってくるぞ」

 何ともオーバーな例えだ、と冴木は思ったが先ほどの大樹の豹変ぶりを見ればあながち嘘とも言い難い。

「そんなに稀少価値のあるものなら、やるよ。僕は別に興味がないから」

「ほ、ほんとか!? でも、誰が持ってきたか見てないけどわざわざ賢に渡しにきたんだろ、いいのか?」

「僕が持っていたところで、兎に祭文さいもんだな。二枚あるんだから、一ノ瀬(いちのせ)君でも誘ったらいいんじゃないか」

 同じミス研の一ノ瀬も、ゲームには目がない。部室にいるときに彼女がゲーム機を持っていない姿を想像するほうが難しかった。

「賢が良いっていうならありがたく貰うけど、あとで返してくれなんていうなよな」

 大樹にチケットを二枚とも渡すと、まるでそれが何億という価値がある小切手かのように天井に掲げて、口づけを交わしている。

「そうそう、このイベントの目玉は等身大スケールのエプシィちゃんのフィギュアもそうだけど、コラボカフェのメニューもすげぇんだよ」

 そういって大樹はおもむろにスマートフォンを取り出すと、ぽちぽちと操作しはじめる。やがて表示された画面を冴木に見せながら、再び語りだした。

「このフォンダンショコラやスフレチーズケーキなんて、ゲームのメインシナリオ二章のときに出てくるやつにそっくりなんだぜ」

 冴木はその甘美な響きに惹かれて画面にくぎ付けになった。何やらキャラクターがプリントされたピックのようなものが刺さっているが、そのスイーツたちのクオリティには目を見張るものがあった。画面の隅っこのほうに、有名パティシエ監修と書かれている。

「なるほど……なぁ、大樹」

「どうした?」

「来週の週末が楽しみだな」

 大樹は不敵に笑みを浮かべて、手を差し伸べてきた。冴木も不承ふしょう不承ぶしょうと手を握る。

「そうこなくっちゃ!」


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