やさしいひと
泉飛田代町内会の森田さんは、とてもやさしい人だ。
何を言っても穏やかで、怒っているところを見たことがない。
何を言っても肯定的で、反対する意見を言ったことがない。
とても付き合いやすくて安心感しかない、みんなに愛されている人…それが森田さんだ。
あらゆる会合に声がかかり、様々な人が笑顔で出迎える、地域を代表するような魅力的な人。
子供、大人、老人、色んな世代の人が、あんなやさしい人になりたいと憧れる人。
だが、俺にとっては…いけ好かない人だ。
笑顔が、どこそこうさん臭い。
すべてを受け入れるのが、そこそこ怪しい。
やさしい……?
人当たりがいいだけなのでは?
人付き合いのコツを掌握しているだけなのでは?
俺が、懐疑的な性格をしているからなのかもしれないが…正直、あまり親密になりたくない。
たくさんの人と関わっていることもあり、森田さんはあらゆるイベントで引っ張りだこだ。
森田さんは一人しかいないので、知人に協力を依頼することも多い。
縁が深くなれば、協力を依頼される可能性が高くなる。
……人に囲まれてニコニコしている森田さんを遠巻きに見ながら、人けのないイベントの一角に向かう。
誰もいない場所で一人で黙々と作業をしているのは、新貝さんだ。
椎ノ木町北町内会の新貝さんは、とてもこわい人だ。
何を言っても仏頂面で、怒っているところしか見たことがない。
何を言っても否定的で、同調する意見を言ったことがない。
とてもじゃないけど関わり合いたくない、みんなに嫌われている人…それが新貝さんだ。
あらゆる会合で文句を言い、様々な人がしかめっ面で逃げ出す、地域を代表するような癖のある人。
子供、大人、老人、色んな世代の人が、あんな人にはなりたくないと敬遠する人。
だが、俺にとっては…安心感のある人だ。
誰も言えないようなことでもずばりと言ってくれる、貴重な人。
自分の意見を堂々と伝える、正直な人。
こわい……?
人見知りなだけなのでは?
人付き合いに慣れていないだけなのでは?
俺が、裏を読むタイプだからなのかもしれないが…正直、気になる。
たくさんの人と関わっていないくせに、森田さんはあらゆるイベントに顔を出す。
森田さんは博識なので、知識が豊富で思わぬ打開策を打ち出すことも多い。
縁が深くなれば、知見が広がって自分の利となる可能性が高い。
イベントの資料を睨みつけている新貝さんを発見したので、イベント会場の一角…人けのないブースに向かう。
「新貝さーん!乙でーす!!!」
「なんだそのオツというのは!挨拶はちゃんとしろといつも言っているだろうが!!」
「ねーねー、僕挨拶することになったんだけど、読めって言われた文章が難しくて!!ごめんだけど一回読んでもらってもいい?でもって、フリガナ、ふってー!!」
「なんだそれは!!見せてみろ!!なになに、ご来賓の皆さま…平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます…、…、誰だこんな堅苦しい文章を用意したのは!!集まるのは識者ばかりじゃないんだぞ!!ここは省略だな、こっちは……ブツ、ブツ……」
「へえ、これそんな読み方なんだね、ためになる―!も~さあ、新貝さん読んでよ!!」
「絶対に…やらん!!こんな準備の貧弱なイベント、これ以上関わってたまるか!!俺はここでダメな部分をきっちり記録して叩きつけるまでよ!!」
口調は荒いが…、どう見ても孤立しているが…、新貝さんは、優しい人だと確信している。
口うるさいことを言いながらも、なにかあった時のために控えている。
文句を言っているのではなく、準備不足な点を指摘しているに過ぎない。
人の反応を見て、自分の意見を飲みこんだり変えることもしない。
悪印象を持たれようが平気の平左で、思ったことを口にしてくれる人なんて…なかなかいない。
「おい!!長いスピーチがあるんだから、これでも飲んで喉を潤しとけ!!噛んだら…スピーチの本、たんまりと読ませるからな!!」
差し出されたミルクティーのペットボトルは、少しぬるくなっている。おそらく、すぐ近くにある自動販売機で買って用意していたんだろう、俺が猫舌だって事も知ってるし。
この前の議会でスピーチが苦手だって話をしたから、読みやすい本を探してきてくれたんだろうなあ、ありがたいことだ。
「新貝さんやさしー!!わーい、ありがとー、僕がんばるね!!!」
「ふん!!早く行け!!」
への字口ではあるが、少しばかり目が垂れ下がっているから…まあ、機嫌は良さそうだ。
「あっ!!春川さん、司会する前にちょっと荷物運ぶの手伝ってもらっても?」
「ほかにも人員がいるだろう!急いで壇上に上がって息が乱れたらみっともないじゃないか、こいつに余計な作業をやらせるな!そもそも配置がおかしいんだ、なんでこの…」
小走りでやってきた自治会長に、さっそく厳しい言葉を浴びせる新貝さんがいる。
やさしいが故の口うるささが炸裂して…人が集まってきた。
「まあまあ、新貝さん。じゃあね、次回は気を付けるようにしましょう。荷物を運ぶのは…あ、あっちに田辺さんの息子さんがいるから頼んできますね」
やさしいことで定評のある森田さんが、荒れ始めた場をそっと包み込んで、うまくまとめてくれた。
「……フン!!」
やさしい人であることを認知されていない新貝さんが、和んだ場の雰囲気を…鼻息で吹き飛ばした。
俺はぬるくて甘いミルクティーを飲み干して…、自分の役目を果たすべく、壇上へと向かった。