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 翌日。

 私は、緊張感からか早朝に目が覚めてしまい、自室のベッドの上に起き上がるとベッド横にあるローチェストの上にある水差しからグラスに注ぎ、一口含む。

 朝の凛とした澄んだ空気に、ガラスの水差しの中身も冷えているのだろう。

 冷たい水が喉を通る感覚が気持ち良く、私はふう、と小さく息を零した。


「どうしましょう……もう、起きようかしら……」


 まだ時間も早く、このような時間帯に侍女を呼ぶのは何だか申し訳無くて、私はそっと自分の体にガウンを羽織ると部屋を抜け出して書庫に向かう事にした。

 廊下に出ると、まだ廊下は薄暗く使用人達が灯してくれたランプの明かりを頼りにして廊下をゆっくりと進んで行く。

 まだ大勢の使用人が動き出すような時間帯では無い為、廊下は人の気配が殆ど無く、あっさりと書庫へと到着する事が出来た。


「──ふふ、侍女に見つかったら何故呼んでくれなかったのか、と怒られてしまいそうね」


 だが、使用人達の朝は早く、忙しいのだ。

 余計な手間を掛けてしまうのは気が引けるし、書庫に自分の足で向かい、自分の目で読みたい本を探したい。

 私は書庫の扉に手を掛けると、ゆっくりと扉を開けて中へと入室した。




「──誰だ?」

「……っ」


 しまった。

 まさか、このような早朝に起きているとは思わず、私はその声にびくりと体を震わせるとずり、と無意識に後ずさってしまった。

 何で、こんな朝早くにアーヴィング様がこのような場所に居るのか、と私が混乱していると。

 入室して来たのが私だと言う事に気付いたのだろう。

 アーヴィング様が躊躇いがちに私に向かって声を掛けた。


「あー……、その、おはよう。驚かせたようですまない」

「……っ、いえ……っ。旦那様がいらっしゃるとは思わず……、大変失礼致しました。ごゆっくりなさって下さい」


 私はアーヴィング様に向かってぺこりと頭を下げると、そそくさと書庫を退出しようとアーヴィング様にくるりと背中を向ける。

 私が居ては、ゆっくりと読書を楽しむ事が出来ないだろう、と考えそう告げたのだが、私の言葉に今度はアーヴィング様が焦ったように私に向かって話し掛けて来る。


「あ……っ、ベ、ベル嬢……! その、貴女も書庫に用があったのだろう。貴女が出て行く必要は、ない……」

「──ですが……」


 見知らぬ人間と同じ室内に居るのは気まずくはありませんか? と言う言葉が喉元まで出かかってしまったが、私はその言葉を何とか飲み込む。

 気まずく感じるのは当たり前だろう。

 だが、記憶が無いとは言え、この邸の皆が私を夫人、奥様、と呼んでいる事からアーヴィング様は私と自分が夫婦関係にある、と言う事をしっかりと理解してくれているのだろう。

 全く覚えの無い人間ではあるが、この邸の女主人として行動を制限するつもりはないようで、私はアーヴィング様の配慮にそっと俯き感謝する。


「私の事は気にせず、ベル嬢もその……本を探しにやって来たのだろう? ゆっくり探してくれ」

「──ありがとうございます、旦那様」


 アーヴィング様に向かって私がそう告げると、アーヴィング様は何とも言えない表情を浮かべて、微かに唇を噛み締めていた。


 アーヴィング様から許可を頂いたので、早く本を探して部屋を退出しよう、と私は早足で書架へと向かい、気になっていた本を一冊取り出すと、その本を胸に抱えて通路から出る。


「──もう、いいのか……?」

「はい、お邪魔しました。失礼致しますね」

「あ、ああ……」


 通路から出て、入口の扉の方へ向かって歩いて行く途中。アーヴィング様から声を掛けられて、私はアーヴィング様に振り向くとぺこりと頭を下げて退出の言葉を口にする。

 どこか躊躇いがちにアーヴィング様が言葉を返して下さって、私はその声にもう一度頭を下げると書庫の扉を開けてそっと扉を閉めた。


「──もしかしたら、ルシアナ様とお会いする事が楽しみで……早く目が覚めてしまったのかしら……」


 自分で言葉にしたくせに、その言葉にズキリ、と胸を痛ませる。

 私は、書庫から借りて来た本を手に、自室へと戻って行った。



 そうして、数時間後。

 家令のシヴァンさんがルシアナ様、ジョマル様がやって来た事を伝えに来てくれた。


「奥様。ルシアナ様とジョマル様は応接室にお通ししております。旦那様とルシアナ様が二人きりになられる事はございませんので、ご安心下さい」

「──ありがとう、シヴァンさん」


 私に配慮してくれているのだろう。

 シヴァンさんは私に向かってにこり、と微笑むとシヴァンさんも同席してくれるのだろう。

 「では」と言葉を残して一礼すると私の自室からシヴァンさんは退出した。

 シヴァンさんが扉を閉めるのを見送って、さて私はその間にどうしよう、と考える。

 応接室の近くに行って、もしアーヴィング様がルシアナ様に向かって優しく微笑んだり愛しげな視線を向けている姿を見てしまったら……。


「──暫く立ち直れなくなってしまいそう……」


 私は自分の考えに乾いた笑い声を零してしまう。

 一体、この状況はどれくらい続いてしまうのだろうか。

 ジョマル様が仰っていた魔女の方が見つからなかったら? もし、見つからなければアーヴィング様は私を思い出す事はないのか。

 魔女の方が見つからなければ、アーヴィング様はずっと、ルシアナ様を想い、けれどルシアナ様と結ばれる事は無い現実に苦しみ続けなければいけないのか。

 ふ、と私の頭の中に一瞬だけ「離縁」と言う言葉が浮かんで来てしまい、必死にその浮かんで来てしまった考えを振り払う。


「──ああ、駄目だわ。考えが後ろ向きになってる……気持ちを切り替えなくちゃ……」


 まだ、絶望するには早い。

 ジョマル様が手立てを得る為に、行動してくれている。アーヴィング様の記憶の戻し方を調べてくれているのだ。

 当事者である私が先に諦めてしまうのは早過ぎる。

 気持ちを切り替えて、書庫でお借りした本を何処か落ち着ける場所で読もうか、それともアーヴィング様宛に届いたお手紙を選別しようか、と考えていると、私の部屋に使用人がやって来た。


「──奥様……、」

「……、? どうしたの……?」


 私が扉を開けると、使用人は困ったように眉を下げていて、その様子から何か判断に困る事が起きたのだろう、と言う事を察する。

 家令であるシヴァンさんがアーヴィング様のお客人に対応中の為、指示を仰げなかったのだろう。

 私の問い掛けに、使用人は躊躇いがちに唇を開いた。


「申し訳ございません……。その、旦那様のご友人でいらっしゃる、イアン様がお越しです……」

「イアン様が……?」


 予想外の訪問客の名前に、私は瞳を瞬かせるとイアン様を一先ず客間にお通しするように使用人に伝えた。


 イアン様は、侯爵家の次男でアーヴィング様とは学園で出会ってからのお付き合いと言う事らしい。

 アーヴィング様には劣るけれど、イアン様もとても整ったお顔立ちなのだけれど未だ独身で婚約者の女性もいない、とアーヴィング様から聞いていた。

 どうやら想う女性がいらっしゃるらしくて、その女性を諦め切れずにご自身はご結婚に踏み切れない、とアーヴィング様にはお話しているようだった。

 侯爵家の跡継ぎでは無いけれど、整った顔立ちに侯爵家の子息と言う事から、ご令嬢方からは秋波を送られているらしい。


 アーヴィング様のご友人をお待たせしてしまうのは申し訳ない、と私が急いで客間へと向かうと共に着いて来てくれていた使用人が客間の扉をノックした後、扉を開けてくれる。


「イアン様、お待たせしてしまい、申し訳ございません」

「──ああ、ベル夫人。突然の訪問、申し訳無い」


 私が入室すると、ソファに腰掛けていたイアン様が腰を上げてふんわり、と柔らかな笑みを浮かべてくれる。

 私と一緒にやって来た使用人がイアン様のお茶を新しい物へと交換し、私にも新しくお茶を用意してくれる。

 お茶を用意し終わった使用人はさっと扉横の壁際へと静かに下がるとそのまま待機してくれている。


「──いいえ、とんでもございませんわ」

「アーヴィングの様子が気になってね。先日の夜会の最中に倒れただろう? アーヴィングは大丈夫そう?」


 イアン様の言葉に、私はつい直ぐにお返事を返す事が出来ず、言葉に詰まってしまった。



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