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ジョマル様の言葉に驚き、瞳を見開く。
「──何処か、で……疑っていたのです……」
私が思わずぽつり、と呟いた言葉に今度はジョマル様と家令のシヴァンさんが「え」と驚きの声を出す。
私は、何とも言えない感情を胸に抱きながらお二人に視線を向ける。きっと、私の顔は情けない程にへにょり、と歪んでしまっているだろう。
「アーヴィング様は、本当は……本当にルシアナ様と想いを通わせていて……何かご事情があって、私と結婚をしたのでは……、と……」
「──そんな事ございません!」
「アーヴィングがルシアナ嬢とそんな関係だったなんて、有り得ない!」
私の言葉に、シヴァンさんとジョマル様が即座に言葉を返してくれる。
二人が否定してくれるのはとても嬉しくて、私とアーヴィング様が出会い、お互いに抱いた感情は嘘では無かった、と少しだけ気持ちが軽くなるが、でもそれは本当なのだろうか。
本当に、アーヴィング様は私を愛してくれていたのだろうか。
何か理由があって、私を愛している振りをしていたのではないのだろうか。
どうしても後ろ向きな事ばかりを考えてしまい、私はどんどん肩を落とし、俯いてしまう。
「ベル夫人。アーヴィングが愛しているのはベル夫人だよ。あんなに嬉しそうに貴女の事を話すアーヴィングが、貴女を裏切る事はありえない。自分の婚約や、結婚に何の希望も持っていなかったあいつが、ベル夫人に一目惚れをして、その……俺に恥ずかしいくらい貴女の事を惚気けてきたんだから」
結婚する女性は誰でも良い、と言っていたあいつがだよ!? とジョマル様は私を励ますように声を掛けてくれる。
ジョマル様の言葉にうんうん、と頷きながらシヴァンさんも私に優しく微笑みながら唇を開く。
「ええ。私も……旦那様が幼少の頃よりこの侯爵家に仕えさせて頂いておりますが……。アーヴィング坊ちゃんは子供の頃から執着心が無いお方でした。確かに、奥様と出会う前は他の方と婚約を結んでおりましたが、その方とはお家の為。トルイセン侯爵家の前当主がお決めになられた婚約でしたので、ただただその……言葉は悪いのですが……義務として婚約を続けておいででした。それが、ベル奥様と出会い、アーヴィング坊ちゃんはそれはもう今までに見た事が無いほど瞳を輝かせてベル奥様のお話をするばかりで……」
ジョマル様と、シヴァンさんの言葉に私は再び自分の視界が涙で滲んで来てしまうのを自覚する。
「──坊ちゃんは、ベル奥様に想いを告げる為に奔走しておりました……。坊ちゃんが何を調べていたのか、詳しくは私は分かりませんが……ベル奥様と出会い、数ヶ月後に前婚約者様であられるルシアナ様と婚約を解消されたのです。……奔走されていたのは、ルシアナ様と婚約を解消する為でしたのでしょう」
「本、当……ですか……。アーヴィング様は本当に私を想っていて下さったのですね……」
堪らず、私が自分の顔を両手で覆うとジョマル様とシヴァンさんが「勿論」と声を揃え、私に声を掛けてくれる。
アーヴィング様から、ちゃんと想われていた。
愛してくれていたのだ、と言う事をアーヴィング様と長くお付き合いのあるお二人が声を揃えて肯定の言葉を紡いでくれた。
その事実がじわじわと私の心を暖かく、慰めてくれて私はお二人に震える声でお礼を告げた。
「──だが、どうにも腑に落ちない部分が一つ」
ジョマル様が先程の雰囲気とはガラリ、と雰囲気を変えて緊張感の孕む声音で言葉を紡ぐ。
「腑に、落ちない事……ですか……?」
私が不思議そうにジョマル様に言葉を返すと、ジョマル様はしっかり私の目を見据えてこくり、と頷き言葉を続ける。
「ああ……。そんなに愛していたベル夫人の事を忘れ……それだけだったら一時的な記憶障害として事例もある。……けれど、ルシアナ嬢を愛していた、なんて過去は無かった筈なのに……記憶が捏造されているようにあいつはルシアナ嬢を愛していたと思い込んでいる」
「──……っ、確かに、そうです……ね」
ずきり、と胸が痛むが私はジョマル様の言葉に同意する。
ジョマル様とシヴァンさんが語ってくれたアーヴィング様の過去は、以前アーヴィング様がご自分の口で語ってくれた事と一致している。
確かに婚約者は居たが、政略的な意味合いでお互いに気持ちは無かった、と言っていた事が本当なのであれば。
「どうにも人為的な作為を感じる……。無理矢理、記憶を書き換えているような……」
「──で、ですが……っ、そんな事が本当に出来るのでしょう、か……っ」
記憶を書き換える、なんて事が本当に出来るのだろうか。
そんな、人の記憶を無理矢理捻じ曲げてしまったらその人の精神が、記憶が、体に影響が出てしまうのではないだろうか。
私の言いたい事が分かったのだろう。
ジョマル様は難しい顔をしながら頷いた。
「ああ……。無理矢理記憶を捻じ曲げ続ければ、結局はその人間の精神がおかしくなるだろう。……さっきのアーヴィングを見ただろう? ベル夫人が泣いている、と知った瞬間アーヴィングは俺に敵意を剥き出しにしていた。ベル夫人を覚えていない筈なのに、やはりあいつは頭の隅でベル夫人を愛している記憶が残っているんだろう」
ジョマル様は「だからこそ、」と言葉を区切るとシヴァンさんと私に交互に視線を向けて続けた。
「──ルシアナ嬢と、アーヴィングを会わせる際は、必ず俺を呼んでくれ。二人の対面には俺も同席する」
「──えっ?」
「かしこまりました、ジョマル様。ルシアナ様にお越し頂く際はジョマル様をお呼び致します」
ジョマル様の言葉に私が驚いている内に、シヴァンさんがぐっ、と目を細めて深々とジョマル様に向かってお辞儀をする。
「このまま、ルシアナ嬢とアーヴィングを二人きりで会わせたら、面倒な事になりそうだしな……」
ジョマル様の言葉に、シヴァンさんも頷く。
私の頭の中にも、薄らととある考えが浮かんで来てはいるが「でも、まさか」と言う気持ちが拭えない。
ジョマル様も、シヴァンさんも明らかにルシアナ様を警戒しているように見える。
けれど、あの時アーヴィング様が意識を失ってしまったあの場所にルシアナ様もいらっしゃったけれど、アーヴィング様のご友人と同じように心配して慌てていた様子だった。
それに、あの日久しぶりにお互いに顔を合わせた様子の二人は、どこも変な様子は無かったように見える。
ルシアナ様はアーヴィング様とはあまりお話をしていなかったように思えるけれど、アーヴィング様のもう一人のご友人であるイアン様とは親しげにお話をしていた。
「ベル夫人」
「──っえ! あ、はい……っ」
私が深く考え込んでいる内に、ジョマル様がソファから立ち上がり、私の傍までいつの間にかやって来て下さっていた。
私は慌ててジョマル様に視線を向けると、ジョマル様は話すか、話さずに居るべきか、と一瞬だけ悩んだような表情を浮かべたが、話しておく事に決めたのだろう。
真剣な表情を浮かべて、私に向かって真っ直ぐ口を開いた。
「──今回のアーヴィングの記憶の件だが……恐らく人為的な物で記憶を失っている。そのような事が出来る薬など、この王国内をくまなく探しても見付ける事は出来ないだろう。そんな薬を作成出来る薬師などいやしないからね。だが……国外に"魔女の秘薬"を扱う人物が居る事は知っているかな?」
「──魔女、の秘薬……っ⁉」
ジョマル様の言葉に私は驚きに目を見開くとついつい声を荒らげてしまう。
そんな名前の薬の事など、聞いた事が無い。
私の態度からジョマル様は私が知らないのだろう、と察して簡単に「魔女の秘薬」と言う物を説明して下さった。
曰く、魔女の秘薬とは。
法外な報酬を要求されるが、依頼者が欲しいと言う薬を作ってくれるらしい。
魔女と言われる人物は、今はもう殆ど存在が認識されていないが、「魔力」と言う物を体内に持ち、「魔法」を使い薬を作る薬師のような事をしている人物で、依頼されれば誰の依頼でも受ける訳では無く、魔女と言う人物が依頼者の頼みを聞き、その内容によって薬を作るか否かを独断で決めて判断しているらしい。
国内に居たり、居なかったりと住居を頻繁に移しているらしいので、魔女を見付ける事自体がとても難しく、貴族が膨大な金を使っても見つけられない事もざら、と言う事らしかった。
ジョマル様の説明を聞きながら、私は震える声でジョマル様に質問する。
「その……、魔女の秘薬で……記憶を失ったアーヴィング様は……記憶を取り戻せる、のでしょうか……?」
「──……魔法で作られている可能性がある以上、断言は出来ないが……人の記憶を操作しようなど、そんな事が本当に可能だとは、医療に携わっている俺としては考えられない……。何処かで必ず綻びが出ると思うし、一生その人物の記憶を無理矢理封じ込める事なんて出来ないと思う……。そんな事をしていれば、その内潜在意識下にある記憶と、感情にズレが生じて……壊れるぞ……」
「──っ、!!」
アーヴィング様が、辛い目に合ってしまう可能性がある。
その可能性を提示されて、私はジョマル様に慌てて言い募った。
「そのっ、魔女の方は……っ今どこに……! 先程、ジョマル様は国外にいる、と仰っておりましたよね……! どの国にいらっしゃるのですかっ、アーヴィング様をお助けしなければ……!」
「まっ、待て待て待て待ってくれ……! 俺も、そんな噂を聞いただけで、詳しくは知らないんだっ」
ジョマル様の言葉を聞いて、私はジョマル様に詰め寄ってしまっていた事に気付くとはっとしてジョマル様から距離を取る。
声を荒らげ、ジョマル様に詰め寄ってしまうなど、なんてはしたない事をしてしまったのかしら、と私が自分自身の行動に恥じていると、ジョマル様が気を取り直したように言葉を続ける。
「本当に魔女の秘薬が使用されているかも分からない……。その判断をする為に──……。ベル夫人、辛いだろうがルシアナ嬢を明日にでも呼んで欲しい。アーヴィングと対面させて、ルシアナ嬢の出方を探ろう」
ジョマル様の提案に、私はぐっ、と唇を噛んで頷いた。