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 "侯爵夫人としての仕事のみ"を行ってくれと言うアーヴィング様の言葉に、私は頭の中が真っ白になる。

 室内に居た家令のシヴァンさんも、ぎょっとしたように目を見開き、アーヴィング様に向かって唇を開いた。


「──だ、旦那様! そのお言葉は、あまりにも奥様に対してっ!」

「仕方ないだろう。私だって愛する人ではなく、見知らぬ令嬢を妻にしていた事に驚いているんだ……! このご令嬢を愛していた記憶は一切無い。だが私の妻である限り出て行けとも言えない……! 私だって辛い思いを我慢しているんだ……っ」


 アーヴィング様は苛立たしげにそう言葉を荒らげると、はっ、と瞳を見開いた。

 そして、気遣わし気に私の方へと視線を向けてくる。


 愛していない、と。

 見知らぬ女を妻として扱うのだから我慢しろ、と自分自身が放った言葉が他者を深く傷付ける言葉だった、と気付いたのだろう。

 だけれど、もう遅くて。

 私は、アーヴィング様の先程のお言葉をしっかりと聞いてしまっているし、昨夜から何度も「愛していない」と言われてしまっている。

 ──それに、本来であればルシアナさんが私が居る場所にいた筈なのに、とアーヴィング様はそう考えているのだろう。

 ルシアナさんの居場所を奪った私を憎々しげに、憎しみの籠った感情をぶつけられているのがアーヴィング様の言葉の端々や態度から良く分かった。

 申し訳なさそうにうろ、と視線を彷徨わせながらアーヴィング様が躊躇いがちに唇を開く。


「──あ、その……すまない、ご令嬢を傷付ける気持ちは無くて……」

「……いいえ、いいえ。いいのです、旦那様も混乱されているのですし……」


 私は視線を自分の足元に落とし、震える唇で何とか言葉を絞り出す。

 気まずそうに表情を歪めるアーヴィング様に、私はこのままこの場所に居続けるのもアーヴィング様にストレスを与えてしまうだろう、と考えると一先ず医務官として働くアーヴィング様のご友人であるジョマル様と、昨夜からアーヴィング様がしきりに「会いたい」と願っているルシアナ様を邸に呼ぼうと考える。

 昨夜、医者には問題無いと診断を受けているが、ご友人のジョマル様とお会いしてお話すればアーヴィング様のお気持ちも少しは和らぐかもしれない。

 私が、アーヴィング様の前に顔を出してしまってもアーヴィング様を苦しめるだけだろう、と考えると同じ室内に居る家令のシヴァンさんに声を掛ける。


「──シヴァンさん、ジョマル様に急ぎ旦那様の現状をお伝えして、訪問をご依頼して。それと……ルシアナ様をお呼びして下さい」

「……っ、奥様……!」


 シヴァンさんが私の顔を見て「いいのか」と言うような表情を浮かべるが、私はゆるゆると首を縦に振ると「お願いね」と念を押す。

 ああ、それとこの寝室に置いていた私の荷物も引き取らなくては行けない。


「──……後は、使用人に声を掛けて……この寝室にある私の荷物を回収してちょうだい……。今は旦那様が心安らげる場所にしなくてはいけないから」


 私はそう言葉を紡ぐと、室内にあった自分のガウンや、ドレッサーにあった私物を回収して行く。


「かしこまりました、奥様……」

「──ありがとう、お願いねシヴァンさん」


 シヴァンさんが悲しそうに眉を下げ、私に頭を下げる。

 私はアーヴィング様を見る勇気が無くて、ベッドに上半身を起こした状態で居るアーヴィング様に顔を向ける事はしないまま、夫婦の寝室に置いていた私物を持てるだけ回収すると、後は使用人に任せる事にする。


「──それでは、旦那様。私はこれで失礼致します……。邸内の事に関しては、今まで通り私の方で対応させて頂きます……。何かございましたらお呼び下さい」

「あ、ああ。……頼む、」


 私がぺこりと頭を下げてアーヴィング様に向かってそう言うと、何処か躊躇いがちなアーヴィング様の返事が返って来て。

 そうして私はその返事を聞き終えると、そのまま寝室を退出した。


◇◆◇


 令嬢が退出した後、シヴァンは悲しそうに瞳を伏せたまま、この部屋に使用人を呼び込むと荷物を回収するように指示を出して行く。

 顔見知りの使用人達も、シヴァンと同じく悲しげな表情で先程までこの部屋に居た令嬢の私物なのだろう。

 夜着や、化粧品、私物を手早く回収して行く。


(──そう、か……。結婚していたのだから……同じ寝室を使っていたのだよ、な……)


 自分の視界からどんどん女性物の私物が回収されて行く様子を、何処かつきりつきり、と胸を痛ませながら見守る。

 何故、こんなにも胸が痛むのか、何故こんなにも悲しい気持ちになるのかが分からず、俺は先程までこの部屋に居た令嬢の悲しげな表情が暫く頭から離れなかった。


 侯爵家の使用人達の手際の良さに感心してしまう。

 先程まで、この寝室には確かに女性物が至る所にあり、それが目に付いて居心地が悪かったと言うのに、先程の令嬢の私物が綺麗さっぱり片付けられて、何処か物悲しさを感じる殺風景な部屋になる。

 家令のシヴァンも、何か言いたい事を我慢しているような、言い淀んでいるような表情を浮かべてはいたが特に何も口にはせずに一礼するとそのまま下がった。


「──花が、……」


 窓辺に置かれた花瓶に生けられた花々が、元気が無さそうに萎れて見えて、周囲を見回す。

 確か、部屋に水をやる道具が、と考えてはた、とそこで違和感を覚える。


「何で……そんな事を知っているんだ……?」


 俺は、部屋に花を飾る趣味など無い。

 なのに何故、水をやる道具がこの部屋にある事を知っているのだろうか。

 「知らない事を知っている」事に、違和感や戸惑いを覚える。

 まるで、毎朝花瓶の花に水をやっていた事を、体が覚えていると言うのだろうか。


「──花を愛でる趣味なんて……」


 あの令嬢が、花が好きだったのだろうか。

 花が好きなあの令嬢が喜ぶように、と部屋に花を生けていたのだろうか、と考えてしまう。

 想像は出来る。だが、全くと言っていい程思い出す事が出来ず、俺はベッドから降り、着替える為に足を踏み出した。


◇◆◇


「──奥様。ジョマル様が、直ぐに伺う、と連絡がありました」

「まあ、本当……!? それは良かったわ……!」


 朝の出来事から少し。

 私が室内で侯爵家に届いた手紙の選別を行っていると、部屋に入って来たシヴァンさんがそう告げてくれてほっと安心する。

 アーヴィング様と長い付き合いのジョマル様が来て下されば、アーヴィング様もきっと安心する筈だ。

 そして、ジョマル様に今のアーヴィング様の状態をお窺いして解決策──何か記憶を取り戻す術が無いかを相談させて頂こう。

 きっと、アーヴィング様もご自身の記憶が欠落──若しくは消失してしまっている事に戸惑って居られる筈。

 記憶が無い、と言うのはどの範囲に当たるのか。侯爵家当主として、領地を治める者としてこのまま記憶が無い状態で支障が無いかを確認しなければならない。


「──ジョマル様が、お帰りになられてから……ルシアナ嬢にご連絡をさせて頂こう、と思っております……」

「ええ、ありがとう。それで構わないわ、よろしくね」


 シヴァンさんの言葉に私は微笑みを浮かべたままこくりと頷き、お礼を告げる。

 ジョマル様と、ルシアナ様をお呼びしてお二人の時間が重なってしまっては大変だ。

 それに、ジョマル様とアーヴィング様のお話は長引く可能性がある。


「シヴァンさん。私は、ジョマル様と旦那様がお会いする時には同席しないので、旦那様の状態を良く見ていて差し上げてね」

「かしこまりました、奥様」


 シヴァンさんと話をしてから程なく。

 かなり急いでこちらまでやって来て下さったのだろう。

 ジョマル様が到着した、と言う知らせを受けて私は出迎えの為に玄関へと向かった。


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