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「二種類、以上──……」
「ああ。イアンは相当本気らしい……。以前イアンがトルイセン侯爵邸にやって来た三回目の訪問時、もしかしたらそのままベル夫人を連れ去ろうとしていたのかもしれない」
「──なっ!」
ジョマル様の言葉に、アーヴィング様が憤りを顕にしてソファから立ち上がる。
「ベルを連れて行こうなんて……っ」
「落ち着け、アーヴィング。まだそうと決まったことではない。あくまでそう計画していた可能性がある、ということだけだ。だが、家令のシヴァンがイアンの対応をしていたお陰で連れ去ることは出来なかった」
そうして、ジョマル様はご自分で調べた魔女の秘薬の文献を私達に教えてくれた。
魔女の秘薬、とはそもそもが魔法薬というもので。対象者を確実に絞るために、その人物の人体の一部を入手すれば対象者を絞ることは可能らしい。
人体の一部というのは私達の髪の毛一本でも可能らしく、きっとルシアナ様とイアン様は私とアーヴィング様の髪の毛を入手したのだろう、と説明してくださった。
そうして、イアン様はアーヴィング様を好きなルシアナ様に声をかけ二人で共謀し、私とアーヴィング様に魔女の秘薬を盛ったのだろう。
ルシアナ様の足取りを追っている間に、ルシアナ様の情報封鎖の甘さから魔女を見つけ出したのは恐らく侯爵家のイアン様だと絞れた。
始めにルシアナ様が盛った秘薬でアーヴィング様の記憶を消し、次に落ち込む私を励ます名目でイアン様が度々侯爵邸に足を運び、継続して私に魔女の秘薬を摂取させる。
私は何度もイアン様に会う内に、自然とイアン様に恋心を抱き始める、といった形になるように巧妙に細工をしたのだろう、とジョマル様が説明して下さった。
「魔女の秘薬の文献を確認すると魔女の魔法の腕にもよるんだが、対象の記憶を操作したり、今回ベル夫人が陥ったように、相手の声を聞いた瞬間に秘薬の効果が発揮されるような物もあるらしい……。魔法、という物そのものが俺たちに馴染みのない物になって久しいが……、調べれば調べるほど、魔法というものは本当にとんでもないものだと分かったよ」
「だが……、その魔法でも、長い間摂取しなければ効果は薄れるんだろう……?」
アーヴィング様の言葉に、ジョマル様はうん、と頷く。
「そうだな。魔法でも、人の記憶を永遠に書き換えたりは出来ないってことだ。ただし、定期的に秘薬を摂取させられてしまえばそれも不可能ではないのだから、二人には充分に気を付けて欲しい」
ジョマル様の言葉に、私達は「勿論」と頷き合うと一旦そこでお話を切り上げて、夕食にした。
ジョマル様と夕食をご一緒して、賑やかで楽しい時間を楽しみ夜も更けた頃。私達は解散してそれぞれ休むことに。
ジョマル様を客間に案内し終えたアーヴィング様と私は、世間話をしながら寝室に戻る。
この子爵邸にやって来てから同じ寝室で過ごすようになり、始めはぎこちなかった私達だけれど、何度も同じ空間で過ごす内にそのぎこちなさも解れ、今では同じベッドに入ることも当たり前のように自然になった。
お互い、衝立の奥で着替えを済まし、ベッドに腰掛ける。
「今日は、沢山笑ったからか何だか体力を消耗したよ……」
「ふふっ、ジョマル様が沢山面白いお話をして下さいましたものね」
私がジョマル様が話して下さった面白いお話を思い出し、くすくすと笑うとアーヴィング様がなぜか拗ねたような表情を浮かべる。
「ベルは、面白い話を出来る人が好きなのか……?」
「──えぇ?」
「ベルは、ジョマルを大層信用しているようだし……表情も柔らかい……」
ふいっと私から顔を逸らしてしまうアーヴィング様に、私はついつい顔がにやけてしまうのが止められない。
これ、は……。アーヴィング様はご自分の親友に、やきもちを焼いてしまっているのだろうか。
私がにやついてしまっているのに気付いたのだろう。
アーヴィング様は目尻を薄らと赤く染めながら「もう寝るぞ!」と声を上げ、私の腕を引っ張りそのままベッドに体を倒した。
「きゃあっ、ちょっ、急にお止め下さい、アーヴィング様!」
私が笑いながらアーヴィング様を咎めるような声を出すと、アーヴィング様は「俺を揶揄うからだ」と何処か不貞腐れたような声音で私をぎゅう、と抱き締めて目を閉じてしまった。
私は擽ったいような、嬉しいような感情にふふふ、と声を出して笑ったあと、むすっと眉を寄せるアーヴィング様の背中に自分の手を回して私も目を閉じた。
そうして、迎えた翌日。
朝食のため食堂に降りると、既に朝の支度を終えていたジョマル様が私とアーヴィング様を待っていて、私達が姿を表すと「やあ」と柔らかな笑顔を浮かべて声をかけてくれる。
「ジョマル、おはよう」
「おはようございます、ジョマル様」
「二人とも、おはよう。天気が良くていい朝だね」
私達は和やかに挨拶を交わし、食卓に着く。
使用人達が食事を用意してくれて、私達は談笑しながら食事を進め、食後の紅茶を飲んでいる時だった。
「──トルイセン侯爵様」
「……何だ?」
ルドイツ子爵家の使用人が眉を下げ、困ったような表情を浮かべてアーヴィング様に近付いてきて、アーヴィング様に耳打ちする。
使用人の言葉を聞いて、アーヴィング様は僅かに瞳を見開き私に視線を向けた。
「ベル。この間の孤児院の……俺達が最後に話しかけられた職員を覚えているか……? あの職員の女性が、邸に来ているらしい……」
「──えっ」
私達の会話に、共にいたジョマル様が不思議な顔をする。
「職員……? 孤児院の……? どうして孤児院の職員が?」
「俺達にも分からないが……。先日、ベルに招かれざる客が来るから気を付けてくれ、と助言してくれた人なんだ」
「そうなんです、ジョマル様。何かあったのかもしれませんし、職員さんをサロンにご案内しても大丈夫ですか?」
「ああ、俺はもちろん。……俺も同席させて貰っても?」
「ああ、もちろんだ」
私達は食堂の椅子から腰を上げ、使用人に職員さんをサロンへ案内してくれるように伝え一足先にサロンに向かった。
私達がサロンに着いて少し。
職員さんの到着を今か今か、とソワソワとしながら待っていると使用人がサロン入口の扉をノックする。
アーヴィング様が入室の許可をすると、扉が開かれて開いた扉の隙間からシュッ、と何かがすり抜け、室内に入って来た。
「──っ!?」
その影は、私達──いえ、私へと真っ直ぐ進んで来て。
アーヴィング様が慌ててソファから立ち上がるより前に、その影は私の下にやって来た。
「──ベルさまっ!!」
「えっ、え……! ソニー……!?」
ソファに座る私の足元に駆け寄って来たのは、先日孤児院で一緒に遊んだ男の子、ソニー。
私がソファから立ち上がり、ソニーの前に膝を着くとソニーは嬉しそうにぱあっと表情を輝かせてぎゅうっと抱き着いて来る。
「ソニー……急にどうしたのかしら……?」
「ベルさまが、もう直ぐ帰っちゃうって聞いて……悲しくて来ちゃったの」
私がソニーを抱き締め返して抱き上げると、ソニーはしゅん、と表情を曇らせて「ごめんなさい」と小さく謝罪を口にした。
慌てて後からサロンにやって来た先日の職員の女性が、「申し訳ございません」と私とアーヴィング様に声をかけてくる。
「──いや、びっくりしたが……大丈夫だ」
「ソニーは、私達職員が話している言葉を聞いてしまったようで」
ソニーを抱き上げた私の側までやって来た職員さんは、眉を下げて本当に申し訳なさそうな表情を浮かべると、ここに訪問した理由を教えてくれた。
どうやら、ソニーは昨夜眠れずに廊下を歩いていた際に、職員さん達が集まり談笑しているのを聞いてしまったらしい。
職員さん達は、マリーと最近一緒に孤児院に訪問している私のお話をしていたらしく、もうそろそろ自分の領地に戻ってしまう話もその場でしてしまった。その言葉を聞いたソニーが昨夜から泣いて私に会いたい、と頻りに口にしていたので、訪問の前触れを出す暇もなくこの場にやって来てしまった、ということらしかった。
「──まぁ、ソニー。私に会いに来てくれたのね、ありがとう」
「ベルさま、怒ってない? 急にこんにちわ、ってしたら駄目だよって言われたんだけど、どうしても会いたかったの……」
きゅう、と唇を噛み締めるソニーに私は笑いかけ、頭を撫でる。
「怒らないわ。私もソニーと会いたかったから、嬉しいな」
「──本当?? 僕も、うれしいっ」
ソニーが私の首に手を回し、ぎゅうと抱き着いてくれる。
ソニーの可愛らしさに私がついつい表情を緩めて笑顔を浮かべると、落ち着きを取り戻したアーヴィング様とジョマル様、孤児院の職員さんがサロンのソファに移動し、腰を下ろした。




