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 昨夜、アーヴィング様と夜の庭園を一緒に散策して部屋に戻り、私達はぽつりぽつりと会話をしながらいつの間にか眠りに落ちてしまっていて。

 私は暖かい朝日に照らされて、目を覚ました。


「──……っ、」


 もそり、と体を起こす。

 この邸にやって来た当初は、アーヴィング様と距離を取って眠っていたけれど、いつの間にか私達の距離は近付き、最近では毎朝アーヴィング様の腕の中で目が覚める。

 暖かいアーヴィング様の腕の中から抜け出して、ベッドの側のテーブルからピッチャーを手に取り、グラスに注ぐ。そして私は渇いた喉を潤すためグラスの水を流し込んだ。

 常温の水が喉を通り、落ちて行く感覚にほうっと息をついていると、ベッドで眠っていたアーヴィング様が起きる気配がした。

 私は先程と同じくグラスに水を注いで振り返った。


「──おはよう、ベル」

「おはようございます、アーヴィング様」


 アーヴィング様の朝が弱い所は記憶が無くなってしまっても変わらない。

 いつものキリッとしたアーヴィング様のイメージと、寝起きのアーヴィング様のぽやっとした今の様子ではかなりの違いがあって、それもまた可愛らしいと感じてしまう私は末期だろうか。

 ぽやぽやとしているアーヴィング様にグラスを手渡し、二人分の着替えを用意し始める。

 クローゼットからアーヴィング様と私の衣服を取り出して準備をしていると、こうして準備をし始めてから毎回アーヴィング様は私に向かって「ありがとう」と声をかけてくれる。


「ありがとう、ベル。今日は孤児院に行く予定だったよな……?」


 アーヴィング様のお着替えを手伝いながら、私は「はい」と言葉を返す。


「ええ。昨夜はありがとうございました。たっぷり睡眠を取れましたので、子供達と沢山遊べそうです」

「──それは良かった。だが、無理をして怪我をしないようにな?」

「ええ、勿論……!」


 お互い、笑顔で会話をしながらアーヴィング様のお着替えが終わると、私は少しだけ離れた場所にある衝立の奥に向かい、着替えを始める。

 私が着替えている間に、アーヴィング様は今日のお仕事の準備と確認をして、私の着替えが終わると揃って食堂に向かった。


 食事が終わり、私はカティアを待ち孤児院に向かう。

 アーヴィング様は今日は急ぎのお仕事がないようで、終わり次第孤児院まで迎えに来て下さるようで。

 その事をカティアに告げたら「仲が良過ぎるわね」とまた揶揄われてしまった。


 子供達と目一杯遊び、子供達がお昼寝をしている間は職員の方達と交流する。

 そうして、子供達が目を覚ますとまた遊んだり、お勉強をしたりとしている内にあっという間に時間が過ぎて。


「──もうこんな時間なのね」

「子供達と一緒にいると楽しくて時間があっという間に過ぎてしまうわね」


 小さな庭で、木陰で子供達とお話をしていると時間だと護衛の方達がやって来る。

 残念がってくれる子供達に、私は嬉しくて可愛くて笑顔で頭を撫でていると朝の約束通り、アーヴィング様が迎えに来て下さった。


「──ベル!」

「あ、アーヴィング様」


 ゆっくりと近付いて来るアーヴィング様に、私達と一緒にいた子供達がきょとん、と瞳を瞬かせて私の服の裾をくいくい、と引っ張って来る。


「あら、どうしたの?」


 私が声をかけると、確か六歳くらいだっただろうか。

 ソニー、と言う男の子が私に向かって「あの男の人、だれ?」と声をかけてくる。

 私が答えを言う前に、隣に居たカティアがアーヴィング様を視線で追った後、ソニーに答えた。


「あの男の人は、ベルの旦那様よ」

「──えぇっ」


 ソニーはショックを受けたように表情を歪めると、涙をいっぱい瞳に溜めて口を開いた。


「ベルさま、結婚してたの?」

「ええ、そうよ。私の旦那様よ」


 私がはにかんでそう答えれば、ソニーはぶわり、と瞳に溜めていた涙を零してぎゅうっ、と私に抱きついた。


「やだっ! 僕がベルさまと結婚するの!」

「──えっ、ええ?」


 やだやだ、と頭をぶんぶん振って私にしがみつく可愛らしいソニーに、私はどうしたら、と慌ててしまう。

 可愛らしい、と一言で終わらせてしまうのはソニーの想いに対してとても失礼よね、と私が焦っていると、私とソニーの会話を聞いていたのだろう。

 アーヴィング様が私達の直ぐ近くまでやって来て、私に抱きつくソニーを優しく抱き上げた。


「──悪いな、ベルは私の大切な妻なんだ。申し訳ないが、ソニーのお嫁さんにはなれないんだよ……」

「やだっ、やだよぅ……っ、ベルさまと結婚するんだ……っ」


 ぐりぐり、とアーヴィング様に頭を擦り付けるようにしてソニーが告げるのを見て、私は慌ててソニーを受け取ろうとアーヴィング様に手を伸ばすが「大丈夫だ」と言われてしまう。


「ごめんな、どうしても君にベルを譲ることはできないんだ。どうしたらベルの旦那さんだと認めてくれるかな?」


 小さな子供の言葉にも真摯に向き合うアーヴィング様に、私達の下にやって来ていた職員さんが「ごめんなさい」と眉を下げながら謝罪してくれる。

 大丈夫ですよ、と声を掛けて私とカティアが言葉を返していると、私達をじっと見つめる職員さんに気が付いた。


「──?」

「ベル? どうしたの?」

「いえ……、あの職員さんって……確か……」


 私の視線を追って、カティアが顔を向ける先には一人の若い職員さんがいて。

 その職員さんの顔を見ると、カティアが「ああ!」と小さく声を出した。


「初日に紹介した方ね! 占いが得意な職員さんよ。じっと見つめて、どうしたのかしら?」


 カティアの言葉に、私もそう言えば初日にカティアから説明された職員さんだった、と思い出す。

 ──ぱちり、とその職員さんと私の視線が合うと、職員さんは不思議そうな、何処か訝しげるような表情で私達に近付いて来た。


「あの……?」


 私が職員さんに声をかけると、その職員さんは微笑みを浮かべながら口を開いた。


「ソニーがごめんなさい。トルイセン侯爵夫人にとても懐いていて……。えっと、夫人の旦那様……、トルイセン侯爵様でしょうか?」


 職員さんは、なぜか私とアーヴィング様にじっと視線を向けてくる。

 その視線が、どこか探るような視線に感じてしまい私は若干の居心地の悪さを感じつつ「ええ」と小さく言葉を返す。

 すると、ソニーとお話が終わったのだろうか。ソニーを抱き上げたままアーヴィング様がこちらにやって来て、職員さんに柔らかく笑顔を浮かべ、挨拶をしてくれる。


「妻が世話になっていて……。子供達と楽しく過ごさせて貰っているようで感謝するよ」

「いえ。こちらこそトルイセン侯爵夫人、ルドイツ子爵夫人には大変お世話になっております。子供達ともこのように接して頂けて感謝しかございません」


 アーヴィング様の言葉に職員さんは深々と頭を下げ、アーヴィング様の腕の中でこくり、こくりと船を漕ぎ始めているソニーを受け取ろうと、そっと腕を差し出した。

 職員さんの腕に、アーヴィング様も抵抗せずソニーを預けると、私の腰に腕を回して帰宅を促す。


「──また、世話になると思うがよろしく頼む」

「ええ、お待ちしておりますね」


 アーヴィング様に促されて、私とカティアが馬車の方にゆっくり歩いて行くと、背後にいた職員さんから遠慮がちに声をかけられた。


「……トルイセン侯爵夫人」

「──はい?」


 ソニーを抱いた職員さんから声をかけられ、振り向くと職員さんは一瞬迷ったような表情を浮かべたが、しっかり私と視線を合わせて口を開いた。


「……招かれざる客が貴女に近付いていますので……、どうかお気を付けて」


 職員さんは、私に向かってそう言うとぺこりと頭を下げ、足早に孤児院に戻って行ってしまった。

 私は職員さんから告げられた「招かれざる客」の言葉に、どきりと心臓が嫌な音を立てたのを感じた。

 私の隣にいたアーヴィング様も同じことを想像したようで、直ぐに表情を引き締め私の腰を抱くアーヴィング様の手のひらにぎゅっと力が籠った。


 不思議そうにしていたカティアを誤魔化しつつ馬車乗り場で別れ、私はアーヴィング様と急いで馬車に乗り込んだ。

 アーヴィング様は馬車の扉をしっかり施錠し、馬車の御者に出してくれと合図を送る。

 馬車の中が微かに緊張感に包まれる。


「──アーヴィング様……」

「ベル……。先程の女性は……、孤児院の職員だろう……?」

「ええ、そうです」

「あの、女性に何か……その……俺達が今困っていることなどを、相談したのか……?」


 アーヴィング様の言葉に、私はゆるゆると首を横に振った。


「いいえ、いいえ。……何もお話していません……。あの職員さんとはあまりお話したことがなくて。孤児院に訪問した初日に、少しだけ挨拶をしただけなのです」

「ならば……、なぜ……。招かれざる客など……」

「──カティアが言っておりました。あの職員さんは、占いが得意な人なのだ、と……。少し気難しい方なので、仲良くなれば占ってくれたりするかも、と……」


 私の言葉に、アーヴィング様は「占い」と小さく呟く。

 職員さんが先程私に向けて言ってくれた言葉が、私達が今現在苛まれている事柄と合致しているようで。

 こんな偶然、あるのだろうかと私が考えているとアーヴィング様も私と同じ気持ちなのだろう。

 少しだけ考え込むような仕草をしてから顔を上げる。


「──以前、ジョマルから聞いたことがあるんだが……。魔女は、気難しい性格で……自分が気に入った人間の依頼しか受けない、と……」

「自分が気に入った……それに、気難しい、ですか……」


 アーヴィング様の言う通り、確かにあの職員さんは孤児院にいる他の職員さんとは少しだけ雰囲気が違う方だ。

 比較的、私達に話し掛けてくれる職員さん達が多い中。

 カティアと共にやって来た私の態度を、行いをじっと観察しているような雰囲気だった。

 以前、何か嫌な目に合ったことでもあるのだろうか、と無理にあの職員さんと距離を縮めることはなかったのだが、先程アーヴィング様が告げた「魔女」の特徴にとても似ているような気がする。

 寧ろ、最早そうだとしか思えないような不思議な態度で、私はドキドキと自分の心臓が早鐘を打つように速度が増しているのを感じ、そっと自分の胸元に手を当てる。


「も、もしかして……。ルシアナ様と……イアン様に魔女の秘薬を作った方なのでしょうか……?」



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