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「──物理的に暫く距離を置いて貰いたい」
ジョマル様の言葉に、私とアーヴィング様は物理的に距離を置く、とは……? と訝しげにジョマル様に視線を向けてしまう。
「アーヴィングの様子を見る限り、魔女の秘薬を定期的に摂取しなければ効果は薄まるのは証明された。俺や、アーヴィングが魔女の秘薬の解毒について調べる間、二人はルシアナ嬢とイアンから完全に接触を絶って貰いたいから、別の場所に移動して欲しい」
「──別の、場所だって……? だが、この邸を離れては仕事が……」
ジョマル様の言葉に、アーヴィング様はジョマル様の提案を緩く首を横に振り、断ろうとする。
確かにアーヴィング様の言う通り、この場所から移動してしまうとトルイセン侯爵家の当主としてのお仕事に支障をきたすだろう。
現実的では無い──。
私がそう思うということは、アーヴィング様も同様に感じている筈、と思っていると扉の横に控えていた家令のシヴァン様が「恐れながら」と声を掛けて来た。
「旦那様のお仕事内容は、少しの期間でしたら私が代理で行うこともできます……。旦那様にしか分からぬ内容は、移動した場所で処理して頂きその他の物でしたら私と、旦那様の侍従の者がいれば可能です」
シヴァンさんの言葉にジョマル様はほら、とでも言うように私達に視線を向ける。
「家令の彼もこう言っている事だし。少しの期間──そうだな、ひと月くらい場所を移して様子を見て欲しい。この場所にいる限り、ベル夫人に会いにイアンもしょっちゅう訪ねて来る筈だ」
「──っ、イアンが来ても通さなければ……っ」
「だが、それでも以前ベル夫人が庭園に居た際に邸の外側から声をかけて来たようだ。イアンの声を聞いたり、姿を見たりしてしまえばベル夫人はイアンに接触してしまうぞ? それでもいいのか?」
「──……っ」
ジョマル様のその言葉に、アーヴィング様はぐっと唇を噛み締めるとそれならば、と頷かれた。
ジョマル様の提案で少しの間だけトルイセン侯爵邸から離れる事を決めたアーヴィング様と私は、私の友人であるカティアが嫁いだ子爵家の領地にある別邸に滞在させてもらうことが決まった。
カティアの夫であるルドイツ子爵の領地は、王都からそこまで離れておらず、比較的栄えた領地だ。
アーヴィング様の侯爵家関連の場所よりも、私の友人に頼った方が私達を見付けにくいだろう、とジョマル様が仰っていた。
確かに、アーヴィング様と長い間交友があったルシアナ様やイアン様は、トルイセン侯爵家について知っていることも多いだろうし、調べることも容易いだろう。
それならば、アーヴィング様とは一切関わりのなかった私の友人を頼った方が見付かりにくい。
ルドイツ子爵の別邸から、侯爵家の邸までもそこまで離れていない。
アーヴィング様が仕事をするにもし易いだろう。
「──ベル嬢、支度は出来たか?」
「はい、旦那様。もう出れます」
友人のカティアに連絡をした所、私達夫婦が訪れる事を快く承諾してくれた。
数日で私とアーヴィング様は急いで荷物を纏め、ジョマル様とお話をした日から日にちを開けずルドイツ子爵の領地に旅立った。
ルドイツ子爵の別邸は、馬車で一日半ほどだ。
私とアーヴィング様は馬車に揺られながら、途中途中休息を取りつつ子爵領に向かう。
同じ馬車に乗れば、自然とアーヴィング様とお話する機会も多くなり、アーヴィング様は私と出会った時のことや、普段二人でどんな所へ出掛けていたのかなどを聞いて下さる。
忘れてしまっている記憶を必死に掻き集めようとなさる姿に、私はアーヴィング様がこのまま記憶を取り戻してくださるのでは、と淡い期待を抱かずにはいられなかった。
そうして、馬車に揺られて丸二日ほど。
休憩を挟みつつ向かったため、二日後に到着した。
私とアーヴィング様がルドイツ子爵の治める領地の別邸に到着すると、ルドイツ子爵と友人のカティアが揃って出迎えてくれた。
「──ベル!」
「カティアっ!」
アーヴィング様に手を貸して頂いて馬車を降りると、私に向かって笑顔で手を振るカティアの姿を見て、私も自然と笑顔になる。
「トルイセン卿、ベル夫人。ようこそおいでくださいました」
「ルドイツ卿、少しだけ世話になるよ」
カティアの夫であるルドイツ子爵は朗らかな方で、優しげな笑みを浮かべ、アーヴィング様と私に挨拶をして下さると別邸に案内して下さった。
ルドイツ子爵に案内して頂きながら、私達は別邸の内部を進んで行く。
「我々は本邸で過ごしておりますので、こちらの別邸はご夫婦でご自由に使用してくださって構いません。使用人も複数人こちらにおりますので、お気軽に使用人達にも声をかけて下さって構いませんので」
「ルドイツ卿、何から何まですまない。ありがとう」
「いえいえ! ご夫婦でのんびりとされたい、とは仲が宜しいことで……! 妻のカティアも、ベル夫人と過ごせることを楽しみにしておりました」
ルドイツ子爵と、アーヴィング様が笑顔で会話をする後ろでカティアと私も談笑する。
「以前、侯爵様が倒られた時は心配していたけれど、何ともなくて良かったわね、ベル」
「──ええ。あの後お見舞いを贈ってくれてありがとう、カティア」
「きっと侯爵様もお忙しくて疲れが溜まってしまっていらっしゃったのね……。それでベルと一緒にゆったり過ごしたいなんて……ふふっ、とっても仲が良いのね?」
揶揄うようなカティアの視線と声音に、私は曖昧な笑みを浮かべて返すことしかできなかった。
アーヴィング様の日々の疲れを癒すため、私達は少しだけゆっくり過ごす為に友人の別邸に遊びに来た、ということにしている。
王都から然程離れていないが、自然溢れるルドイツ子爵の領地は、避暑地としても人気の場所で、夏ではない今の季節でも気候も良く、自然に触れながらゆったり出来る場所だ。
街も栄えていて、馬車で一時間程で街に向かうこともできて、買い物や観光にも適している。
カティアにも、ルドイツ子爵にも私達に起きている一連の事柄は話してはいない。
下手に事情を説明して、二人を巻き込んでしまうことを避けたからだ。
だからこそ、私とアーヴィング様は二人でゆっくりしたいから、と家の者以外には内緒でこの場所に来ているということにしている。
「──ベル。寝室と、私達が過ごす部屋がこちららしい。荷物を私室に運ぶよう使用人に言ってくるから、ベルはカティア夫人とお茶でもしてはどうだ?」
「アーヴィング様、ありがとうございます。そうさせて頂きますね」
私達はにこり、と顔を合わせて微笑み合う。
友人のカティアは、私とアーヴィング様が仲睦まじい姿を知っている。そのため、この場所で過ごさせて頂く間は以前のような呼び方に直そう、とここに来るまでの道中で話し合い決めた。
寝室まで共に、ということになりアーヴィング様に大丈夫か確認した所、問題無いと仰って頂けたのでお言葉に甘えさせてもらった。
(夫婦、なのに……カティアの前でぎこちない雰囲気を出してしまっては心配させてしまうし……、おかしい、と思われてしまうものね)
私とカティアは、アーヴィング様と子爵が馬車に向かう姿を見送り、有難くカティアとお茶の時間を楽しませて頂くことにした。
カティアにサロンまで案内して貰うと、サロンでお茶を飲みながら暫し談笑する。
「それにしても、ベルの旦那様、お体に何もなくて良かったわ」
「あの時は心配かけてしまってごめんね? 今はアーヴィング様もお元気になられたし、もう大丈夫よ」
「ええ、そのようで安心したわ。……それにしても、二人でゆったり過ごしたいからと言って、まさかここに来てくれるなんてね。私はとっても嬉しいけど! だって、結婚してからベルのこと、旦那様離してくれなかったじゃない? あまり会う時間がなくって寂しかったのよ」
ぷうっ、と頬を膨らませて不貞腐れたような表情を浮かべるカティアに、私は苦笑してしまう。
「ごめんね、私も会いに行きたかったんだけど……」
「ええ、ええ。いいのよ、ベルの旦那様がベルを愛するあまり離してくれないのはもう分かったからね。でもこうして今回はベルと沢山話せる時間ができて嬉しいわ。街へ買い物に行ったりしましょうね? こうしてお茶も沢山しましょう」
「ええ、勿論! 街へも行きたいわね」
「じゃあ後で日にちを決めましょう! 私、近くの孤児院に行ったりもしているの、だからもし良かったらベルも一緒に行けたら嬉しいわ」
「孤児院に……? 慰問に行っているの?」
「ええ、そうなの。読み書きの出来ない子に字を教えたり、簡単なマナーを教えに行っているのよ」
「そうだったのね。カティアも慰問活動を。確かに、孤児院で読み書きやマナーを学べれば、大きくなった時に働き口が見付けやすいものね」
「そうなのよ。旦那様のお母様も昔からしていたみたいで、このルドイツ子爵領では昔から領主夫人がそういった活動を受け継いでいたみたい」
識字率が上がるのはとても良いことね、と私が言葉を返すとカティアはふと何かを思い出したかのように口を開いた。
「そうそう、話は少し変わっちゃうんだけど……。孤児院の職員にね、とても占いが得意な人がいるのよ。とっても当たるから、今度慰問の時に会ってみない?」




