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◇◆◇


 ──何故、旦那様が出掛けられたこの時を見計らったかのようにイアン様が訪ねて来られるのか。

 私は、目の前に居るイアン様に旦那様はご不在の事を告げてお帰りになるようにお伝えしているのに何故か目の前に居るイアン様はお帰りになる様子が無く、まるで「何かを待っている」ような様子である。


「イアン様……、旦那様はお仕事に向かわれました……っ、何か御用がございましたら旦那様にお伝えします、旦那様からお返事がありましたらイアン様にご連絡いたしますので……っ」


 だから帰ってくれ。

 その一言は流石にこの邸の家令と言う立場を賜っている私でも口には出来ない。

 ベル奥様に来て頂いて、侯爵夫人から帰宅して欲しいと言う言葉を告げて貰う事は可能だが、ジョマル様からベル奥様をイアン様に近付けぬよう仰せつかっている。

 何やら、ベル奥様に良からぬ想いを抱いている可能性がある、と聞いたからにはベル奥様をイアン様に合わせる事は出来ない。


「──だが、せっかく花束を持ってきたんだ。直接ベル夫人に渡したくて。……アーヴィングは出掛けてしまったのだろう? ならばベル夫人に渡して、アーヴィングに見舞いの品を届けて欲しくてな」

「それでしたら、私がお受け取りいたしますので──」


 先程からこの問答の繰り返しだ。

 私が受け取る、と言ってもベル夫人に直接渡したい、とイアン様はその場を離れる様子が無く、私がどう帰って頂こうか、と途方に暮れていると背後から今この場では一番聞きたく無かったベル奥様の声が聞こえて来て、私は唇を噛み締めた。


「──あら、そこにいらっしゃるのはイアン様ですか……!」

「ああ、ベル夫人……! お会い出来て良かった……!」


 嬉しそうなベル奥様の声音に、私は焦燥感に駆られる。

 ベル奥様のお声が聞こえて来た方向に振り向けば、ベル奥様は供の侍女がお止めするのを振り切ってこちらにやって来てしまったのだろう。

 ベル奥様の後から侍女が真っ青な顔をして小走りでやって来ている。

 ベル奥様はととと、とイアン様に駆け寄り、嬉しそうにイアン様から渡された花束を受け取り、その花の香りを嗅ぐように鼻先を近付けている。

 ベル奥様が直接イアン様から花束をお受け取りになったからか、お二人の距離が近く、まるでお二人が想い合うご夫婦のような親密な雰囲気を醸し出している。


「──イアン様っ、」


 私は、イアン様の行動にぎょっとして瞳を見開くと、素早くお二人の間に体を割り込ませる。

 あろう事か、イアン様はベル奥様の腰元にご自分の手を添えて引き寄せていたのだ。

 旦那様の奥様であるベル奥様にお手を触れるなど、あってはならない。それくらい、イアン様も分かっている筈なのに、イアン様のご様子から敢えてそのような行動をしたことが分かる。


「シ、シヴァンさん……? どうしたの……?」

「大声を出してしまい、申し訳ございません……ベル奥様……」


 ベル奥様はきょとん、と瞳を瞬かせ不思議そうな表情を浮かべていらっしゃる。

 イアン様の行動に嫌悪感も抱かず、拒絶すらしようとなさらないベル奥様に私は焦りと違和感を覚える。

 私が無礼な態度を取ったと言うのに、当の本人イアン様は気にした様子も見せずに上機嫌に瞳を細め、口端を持ち上げている。


「──イアン様、旦那様へのお見舞いのお品、ありがとうございます……。しかとお伝えしておきます」


 私がイアン様に一礼すると、イアン様は「ああ」と頷いてベル奥様にとろりと熱の篭った視線を向け口を開いた。


「では、私はこちらで失礼致します。ベル夫人。"また"お伺いいたしますね」

「はい、お待ちしておりますわイアン様」


 ベル奥様は、イアン様の言葉にうっとりと瞳を細めて頬を染め、嬉しそうに笑ってイアン様に言葉を返している。

 去って行くイアン様の後ろ姿をいつまでもベル奥様は見つめていて、私は自分の心が焦りで塗り潰されて行くのを感じてしまう。

 このままでは、不味い。


「ベル奥様、花束を……」

「──ええ、はい……」


 ぼうっ、と惚けたような様子のベル奥様から素早く花束を受け取り、背後にいた侍女に花束を渡す。


「──ベル奥様が入らぬ部屋に、この間の花束と一緒に保管しておいてくれ……。ジョマル様にこの花束の成分を調べて頂く」

「かしこまりました、シヴァン様」


 私はベル奥様に聞こえないよう、声を潜め侍女に指示を出し、イアン様を愛しげに見つめ続けるベル奥様に声をかけてお部屋へとお送りした。


◇◆◇


「ここら辺に、来るって言っていたのだけど……」


 私は馬車の窓から見える景色の中に、目的の人物が居ないかどうかキョロキョロと探す。

 イアンが昨日、アーヴィングの領地内で問題を起こしてくれたからアーヴィングは確認をするため、午前中の早い時間帯にこの街へやって来るだろうと教えてくれた。

 だからこそ私は、ジョマルが邪魔をしたせいでアーヴィングに飲んでもらえなかった魔女の秘薬を急いで飲ませに来たのだ。


「もうっ、早くしないと……アーヴィングに盛った薬の効果が切れちゃう……っまだ完全には切れてないと思うけど、効果は薄まっている状態よね……」


 それでも、植え付けた記憶は完全には消えていない筈だ。

 また、薬を飲ませて私への深い愛情を植え付ければアーヴィングの伴侶となったあの女を追い出せる。


「アーヴィングは、あの女には勿体ないわ……。イアンにでも手篭めにされてしまえばいいのよ」


 他の男の子供を身篭った、と知れば流石にアーヴィングだって離縁をするほか無いだろう。

 そうしたら、私と再び一緒になればいい。

 元は、その予定だったのだから。


「──いたわ!」


 私は、アーヴィングの姿を見付けて胸を高鳴らせながら馬車から降り立った。



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