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「え……、アーヴィング様は、何故そのような……」


 私が思わずそのように言葉を紡ぐと、ジョマル様は「うーん」と呟き、ご自分でも自信が無さそうに口を開いた。


「もし、もしもだよ……? この間話した"魔女の秘薬"が本当に使われているのであれば……無理矢理アーヴィングの記憶や感情を操作しているから、やはり感情との齟齬が発生していのかもしれないね。怪我や病気での記憶の喪失であれば、このような反応は見せないと思うんだ」

「お怪我や病気で記憶を失ってしまった場合は、違うのですか?」


 私の疑問に、ジョマル様は「うん」と小さく頷くと言葉を続けてくれる。


「怪我や病気で記憶を失うと言う症例を俺自身がまだあまり診ていないから何とも言えないけど、怪我や病気の場合、ある程度期間が経って来て自分の記憶との乖離に違和感を抱き、少しずつ記憶を取り戻して来るんだ。……過去の症例でも、そう言った事が多いかな……?」

「期間が経過してから……」

「ああ。だからベル夫人の記憶を失ってからまだ数日……。百時間も経っていないだろう? その状態で条件反射のように体が反応して、拒否するにはどうにも考えにくいなぁ、と……まるで無理矢理記憶を封じられたアーヴィング自身が、ルシアナ嬢を嫌悪し、拒絶するような反応の仕方だったからね」

「そう、なのですね……。流石ジョマル様ですね、ジョマル様がご友人で、アーヴィング様もとても心強いと思います」


 私が安心して微笑むと、ジョマル様は「うーん」と小さく呟き、気まずそうに視線を下へ落としてから私に視線を戻して話を続けた。


「アーヴィングと、ルシアナ嬢の様子だけでそう判断しただけじゃあ無いんだ」

「──え、?」


 私が、それじゃあ何が? と言葉を続ける前にジョマル様が唇を開く。


「ベル夫人を探している途中、俺達が会っている最中、客人が来たと聞いたよ。それで、その客人は俺達と会う事も無く、ベル夫人と少し話してから直ぐに帰った、と……」

「え? あ、はい……! そうです、心配して下さって、アーヴィング様のご友人のイアン様が……」

「うん、イアンが来たんだってね……。俺も疑いたくは無かったんだけど……。俺達がルシアナ嬢と会っている時を狙ったかのようにこの邸に訪ねて来て、そしてベル夫人と少し話してから帰った」

「は、はい。そうです」


 私がこくり、と頷くとジョマル様は難しい顔のまま、ちらりと私に視線を戻した。

 イアン様がお見舞いを目的に邸に訪れるのは、おかしい事だろうか? と私が戸惑っていると、ジョマル様が私の疑問に答えてくれるように私が膝に乗せているハンカチをそっと、指さした。


「──俺も、ただイアンが見舞いに来たのだろう、と思ってたよ。ベル夫人を探して、客人が帰った後に誰もベル夫人を見ていなかったから。まさかまだ客間に居るのではないよな、と思いながら客間に行ったらそこで、ベル夫人がソファに倒れているような形で眠っていた。そのハンカチを握り締めて」


 驚いたよ、とジョマル様は眉を下げて笑いながら体調は本当に大丈夫なんだね? と再確認して下さって、私は戸惑いながらこくり、と頷いた。


「使用人も、まさかまだこの部屋に居るとは思っていなかったみたいで、凄く驚いて顔を真っ青にしていたよ。イアンが帰った後、とっくに部屋に戻ってると思っていたみたいだから」

「まあ……使用人には心配を掛けてしまったかしら……、後で謝罪をしておきますね」

「ああ……。で、その時のアーヴィングの慌てようと、アーヴィングがベル夫人に何も躊躇いなく腕を伸ばして抱き起こしたから、何かがおかしいな、と思ったんだ。それで、その時ベル夫人が握り締めているハンカチのその花の刺繍を見た」


 先程からジョマル様が気にしていらっしゃるハンカチに、私も視線を落とす。


 確かに、あまり見た事のない花ではあるが、そんなにも気になるような物なのだろうか、と私がそのハンカチを広げてみせると、ジョマル様は瞳を細めて口を開いた。


「医学書で見た事があるよ……。それは、東方の地で生息していて、薬の材料としても使われていて……勿論花言葉もある……。この花を、友人の奥方何かに贈るのはタチの悪いブラックジョークでは済まない……」

「え、え? どう言う意味でしょうか、ジョマル様」


 私が不安げにジョマル様に向かって声を掛けると、ジョマル様はご自身の額に手を当て、疲れたような表情でぽつりと呟いた。


「その花は、オニノヤガラ……花言葉は略奪愛、陰謀、潔く身を引く……などだね。……冗談にしてはタチが悪いだろう?」


 略奪愛、陰謀、潔く身を引く──。

 私は、ジョマル様が仰った言葉をもう一度自分の頭の中で反芻するように呟くとその意味を正しく理解して嫌な汗をかいてしまった。


「略奪愛、なんて友人の奥方に贈るには些か悪趣味だろう? 俺がもし自分の奥さんにそんな意味のある花言葉の花が贈られたら、相手を消しちゃうよ」


 肩を竦めてふざけたような調子でジョマル様はそう話すが、ジョマル様の目は一切笑っていなくて。

 何処か剣呑な光を宿していて、私はぞくりと背筋が凍るような寒気を覚えた。


「──イアンは、ただ単に花言葉の意味も何も考えずに贈っただけ、と考えるのは……少し無理があるかな、と思うんだ」

「えっ、で、でも! イアン様はたまたま小間物屋でこちらの刺繍がされたハンカチを購入した、と仰ってました……!」


 どうか考え過ぎでいて欲しい、と縋るような気持ちで私が言葉を続けるがジョマル様は緩く首を振り、私の言葉を否定してしまう。


「先程も言ったが……その花は、東方の地域でしか見る事が出来ない……こっちの大陸には流通していないから、その花を知っている人は少ないと思うんだ。俺は、薬として使われる事もあるから医学書で見て見覚えがあったけど……現にベル夫人もオニノヤガラは知らなかっただろう?」

「──う、た、確かにそう、ですが……」


 私はジョマル様から言われた言葉に、つい手の中にあるハンカチをきゅう、と握り締めてしまう。

 イアン様は、何故このような物をわざわざ、と恐ろしくなってしまう。

 アーヴィング様を心配するような態度で、いったいどんなつもりでこのハンカチを下さったのだろう、と私が色々と考えているとジョマル様が手を差し出した。


「──流通していない花だから、恐らくイアンはそのハンカチを依頼して作らせた筈だよ。……そしてベル夫人が数時間寝入ってしまったのも少し引っかかる……。そのハンカチ、調べてみたいから、預かってもいいかな?」


 ジョマル様の言葉に、私は断る要素が一つも無い為すぐにこくりと頷くとハンカチをジョマル様の手に置いた。

 ジョマル様は刺繍部分を瞳を細めて見詰めたり、ハンカチを裏返して眺めたりと色々確認して下さっていて、私はそわそわとしながらジョマル様の言葉の続きを待つ。


「──うん、ありがとうベル夫人。一週間程も時間があれば調べ終わると思うから……。その間、もしイアンが訪ねて来たとしても会わないようにして貰えるかな?」

「わ、分かりました……! そのように致します……!」


 イアン様が何のつもりでハンカチを贈って下さったのか、はっきりとした答えが出るまでお会いする事は控えた方がいいだろう。

 少しだけ、イアン様に申し訳無い気持ちを抱いてしまうがもし何かあってからでは遅い。


(アーヴィング様のご友人ですもの……何もないと、いいのだけど……)


作中に出てくる記憶喪失についての見解は、この物語に限ります。

現実世界での実例とは、一切関係ございません(あくまでこの物語の世界観でのお話です)


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