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 私の夫であるアーヴィング様が、目の前で突然意識を失った。

 手に持っていたグラスを床に落とし、パリンと硝子が割れるような高い音が響き渡る。


「──アーヴィング様っ!?」


 私は、隣に居た夫の体が横に傾きドサリ、と音を立てて倒れ込んだ事に驚き、悲鳴じみた声を上げてしまう。

 室内で談笑していた私の友人と、アーヴィング様の友人達が驚いたようにソファから立ち上がり、何事か、と声を震わせている。


「アーヴィング様、アーヴィング様……!? どうなさったの……っ」


 私は恐怖で震える口で、倒れ込んでしまったアーヴィング様の体を必死に揺すった。

 アーヴィング様は、突然意識を失ってしまったが規則正しい呼吸でソファに体を横たえており、顔色も悪いようには見えない。


「ベル夫人……。アーヴィングは……、眠っているようだ。呼吸に乱れや発汗が見られないから、毒物の混入や人体に害のある物を体に入れた訳では……、なさそうだな」


 急いで側にやってきたアーヴィング様の友人であるジョマル様が、アーヴィング様の顔色を見たり、脈拍を確認したりしてくれる。

 ジョマル様は王宮の医務官だ、と以前アーヴィング様から紹介を受けた事がある。

 その為、医療には明るいのでジョマル様がそう言うのであれば、今すぐ命に関わるような危険は無いのだろう、と私はほっと安堵の息を吐き出した。


「だが、急ぎ邸に戻り医者に診て貰った方がいいだろう。馬車を手配するから……後は俺達でアーヴィングを支えて外まで運ぼう」

「ジョマル様、ありがとうございます……っ!」


 私はアーヴィング様を馬車まで運んでくれる、と申し出てくれたアーヴィング様のご友人方にお礼を告げると、室内に居た私の友人にも「ごめんなさい、先に失礼するわね」と謝罪をして急いでアーヴィング様の下に駆けて行く。

 アーヴィング様と昔から親交のあったジョマル様と、もう一人のご友人であるイアン様がアーヴィング様を両側から支えて談話室の扉から出て行く。


 今日は、私──ベル・トルイセンと、夫であるアーヴィング・トルイセンが結婚してから初めての夜会であった。

 その為、お互いの友人達と夜会会場にある談話室に移動して六人でお酒や果実水を飲み、食事を楽しみつつ談笑していたのだが、突然アーヴィング様が倒れてしまった。

 アーヴィング様はお酒を普段から嗜んでいる為、アルコールに深く酔い、酔い潰れてしまう、なんて事は起こさない。筈だ。

 ジョマル様が先程仰って下さった通り、早く邸に戻り、医者に診て貰った方がいいだろう、と私は考え急ぎ足でアーヴィング様を運んで下さるご友人お二人に着いて行った。


 アーヴィング様を馬車まで運んで頂いてから、私もトルイセン侯爵家の馬車に急いで乗り込み御者に邸に戻って貰う。

 ジョマル様や、イアン様には後日お礼と謝罪のお手紙を送って、あとは友人にも手紙を送らなくては、と私が頭の中で考えていると、馬車の座席に寝かされているアーヴィング様が小さく小さく唸った。


「──アーヴィング様……?」

「……ベル」

「私はここにおりますよ」


 私の名前を呼び、何だか辛そうに眉を顰めるアーヴィング様に、私はそっとアーヴィング様の前髪を自分の指先で払ってやる。

 アーヴィング様の濃紺で、さらさら艶々の髪の毛が今は若干汗で湿っている。

 私はそっとアーヴィング様の頬を自分の手のひらで撫でると、人の温もりに安心したのか。

 アーヴィング様の眉間から皺が消えて、安堵したように表情を和らげた。


 まさか、私はこの数時間後。

 自分の最愛の夫に憎しみを込めた瞳で睨まれるとは、露程とも思わなかった。


◇◆◇


 私と、アーヴィング・トルイセン侯爵様が出会ったのはほんの一年程前。

 私、ベル・トルイセンは元々伯爵家の長女として生まれ、婚約者がいないまま、成人してデビュタントを迎えた。

 デビュタントを迎えてから一年程経った十八の年に、私とアーヴィング様はとある夜会でお会いした。


 はっきりとは言わないけれど、早く婚約者を見つけなさいと言うような雰囲気に、私はうんざりしていた。

 両親も、誰か良い男性は居ないか、と探してはいたようではあるが中々同年代で婚約者が居ない男性貴族を見付けるのは難しいようだった。

 それもこれも、我が伯爵家は爵位こそ伯爵を賜ってはいるが、災害により領地が損害を負っており税収もままならず、領地経営も赤字経営を続けており私と婚約を結んでも何も「旨み」と言うものが見込めなかったからだ。

 持参金も期待出来ない。

 親戚として縁を持てば、領地の負債が増えた際、頼られる可能性がある。

 解決するには、少しばかり金銭面的にも額が大きくなるだろう。

 だから、私はデビュタントから暫く男性貴族からは敬遠されたいた。

 そんな調子が暫く続けば、私の心も荒んで来るというもの。

 あの日の夜会では、その鬱憤が限界まで溜まってしまっていたのだ。

 だからこそ、普段では絶対にしないのに果実酒を飲んでしまい、酒に酔ってしまった勢いでバルコニーでぶつぶつと文句を口にしてしまっていたのだ。


 この国の貴族の薄情な事。

 人を損得勘定の色眼鏡でしか見る事が出来ない事。


 そんな貴族男性ばかりで辟易していた私はついつい怒り混じりにバルコニーで文句を口にしたのだ。

 まさか、後ろから人が近付いているとは知らずに。


「──もうっ! 何て度量の無い方達ばかりなのかしら……っ、別に一緒に借金を背負ってなんて言ってもいないし、考えてもいないのに、私の顔を見るなり"ああ、災害を被ったあの領地の子だな"なーんて目で見て!」

「──ふっ、」


 ぶつくさと文句を言ってしまっていたら、突然背後から男性の低い笑い声が聞こえて来て、私は吃驚して咄嗟に振り返ったのだ。

 そこで、振り返った先に居た男性がアーヴィング様で。

 濃紺の髪に、アメジストの瞳、そして口元の黒子で一瞬にしてその方がアーヴィング・トルイセン侯爵様だと言う事が分かった。

 噂に違わぬ美丈夫で、口元の黒子がとても色っぽい、と学院でも女性達の間で噂になっていた方だ。

 私自身も、恥ずかしながら初めてアーヴィング様とお会いした際はあまりの容姿の良さと、とても艶やかな笑い方をするアーヴィング様に見惚れてしまった。

 男性に対して色気がある、なんて言葉は合っているかどうか分からないけれど、それ程アーヴィング様はとても容姿が整っていて、お顔を見ているだけでドキドキとしてしまっていた。


「──失礼、ご令嬢。女性に対して失礼な態度を取ってしまいましたね、お詫び致します」


 アーヴィング様の声は、しっとりと濡れ、耳に心地良く響く素敵な低音で、私はついついうっとりと「容姿が良い方は声までも素敵なのね」などと考えぼーっとしてしまった。


「ご令嬢……? 気分を害されてしまったかな、申し訳ございません」

「──っ! と、とんでもございません……っ、このような場所で独り言を言ってしまっていた私にも非はございますわ……。あのような言葉をお聞かせしてしまい、申し訳ございません」


 アーヴィング様が困ったように眉を下げてそう言葉を続けてくれて、私はハッとして慌てて言葉を返す。

 慌てて言葉を返した私に、一瞬だけキョトンと瞳を瞬かせたアーヴィング様は、次の瞬間にふわりと笑みを浮かべると唇を開いた。


「私も、バルコニーに涼みに来たのですが……ご一緒しても宜しいですか?」

「も、勿論ですわ」


 アーヴィング様は、こちらを怖がらせないように私には近付き過ぎないように気を使って下さり、バルコニーの開かれた扉へ背を預けると、バルコニーの入口を広く開けたままにしてくれる。

 もし、私がこの場から退出したい、と思った際に邪魔をしないよう、良からぬ展開にならないよう会場からも、バルコニーからも良く見えるように入口を大きく開けてくれている。

 そのアーヴィング様の紳士的な対応に、私が感動しているとアーヴィング様は世間話をするように私に話し掛けて下さった。


 アーヴィング様とお話をするのはとても楽しくて、博識で、紳士的な態度に私は胸を高鳴らせてしまったが、でも、としっかりと自分の気持ちがこれ以上昂らないように自制する。


 何故なら、当時アーヴィング・トルイセン様には婚約者の女性が居たからだ。

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