前のもちぬし
家の中、狭い縁から土間に身をのりだして蚊やりを用意するヒコイチをながめ、ふてぶてしく畳に横になった黒猫が語りはじめる。
『 ―― いや実は、前の持ち主に、あの掛け軸のことを頼まれちまってなア』
「・・・なんだって?」
身をおこし畳に両手をついたヒコイチは、猫に顔をよせた。
「まさか・・・あそこに掛け軸をもちこんだのはてめえか?」
猫は眼をほそめるようにして見返してきた。
『もちこんじゃいねえがよウ・・・。ありゃあ、おれがまだ生きてるころに、知り合いの油屋に枕元によばれてな。先もながくねえ様子で、《このオフジのことをたのむ》なんて手えにぎられてみろ』
断れないまま持ち帰ってはみたが、まるめたままにしておいた。
『それがある日気づいたら、なくなっててな』
桐箱に入っていたはずの中身だけがない。
自分の店にはそんな手癖のわるいものはいないし、だいいち、箱には、猫のつめあとのような傷が残っている。
『・・・おれに掛け軸をたのんだ男が病で床についてからよ、ひどく猫を集めてかわいがりだしたのを思い出しちまってなア 』
掛け軸を渡されたときも、それを見守るように部屋のすみには猫がいた。
『なんだかイヤな気がしちまって、そのままおいてたら、おれもぽっくりいっちまってな』
そうしてまた、『黒猫』になって過ごしていたならば、『掛け軸の女にとりつかれた男』がいるという噂を、耳にしたのだ。




