さあさあ こちらへ
もしやこれは、と思い、隠居はひとつの瓶にいれる金魚の数をふやしてみた。
だが、こんどは瓶の中の金魚は減らずに、画の桶にいる金魚の数だけが減ってゆき、ついに桶に金魚の姿がなくなると、―― 女の画に異変がおきた。
「―― オフジの黒い髪に、白髪がでてきたんですわ。こりゃあえらいことだと思い、どうしたもんかとつい、オフジにきいてみましたらなア、こうして―― 」
男は自分の胸元に右手をたてて、指をひとつ残しておりまげた。
「―― ひとつだけ指をたてたので、それからは、ひとつの瓶には一匹だけいれて、床の間の近くに置くようにしたんですわア」
すると、日に日に金魚が瓶からいなくなるのが早くなり、隠居はせっかく黒くもどったオフジの髪がまた白くなるのをおそれ、どんどんと金魚をいれた瓶を増やしていった。
「金魚を引き込めるとなれば、ほかのモンも引き込めると思いましてなア、冬には羽織やら火鉢やら、床の間に置いてやったんです」
思ったとおり、床の間からなくなった羽織を、画の中の女が着た。
「それからは、かんざしやら櫛やら、小間物を置いてやりましたわア。 そのたびに掛け軸の中のオフジが変わるのを、わたくしが、それらの新しい画をどこぞで描かせてると思われてるようですがなア。・・・そうでのうて、ただ、掛け軸の中でオフジが生きてるだけのはなしなんですがねエ」
隠居は、くくっ、と笑うと、板の間にあしをかけた。
ぎち、と板が鳴り、掛け軸にはりついた金魚の尾が、ひちゃ、と振られる。
「―― わたくしもねエ、オフジは掛け軸の中で金魚すくいを楽しんでいるのかと思うていたんだが・・・、前に一度大きめのワキンがまざってたとき、掛け軸の下に、つぶされたようなって落ちてるのを見つけましてなア、 寄ってオフジの顔をよおみたら、口んとこに、つぶれた金魚のヒレがくっついておりましたわア」
男は、掛け軸にはりつき動く薄い尾をつまむと、いっきに下に引く。
べちょ、と水っぽいかたまりが足もとへ落ちた。
「 ―― ほら、また食い意地をはるとこういうことになるやろ 」
かわいい女の世話をするのがたまらぬ、という声で、男が着物の袖で、掛け軸の表面をぬぐっている。
なぜかそのときになって、ヒコイチの目は掛け軸の中にある女の手にいった。
胸元で立てられたその右手の指先が、みているあいだに、ゆっくり、ゆっくりと、 まねくように ――― 曲がってゆく。
さあ さあ、どうぞ こちらへ
ヒコイチの背中から首に、いっきに寒気がかけあがる。
あの掛け軸の女の顔をじっくりとながめたときに、どこかでみたと思ったのは、その笑い顔が、この隠居の男と同じだったからだ。
猫が、眼をほそめたような ――
みゃあああああうううウウウ




