たのむ
もうじゅうぶん、はなしのタネになりそうなものは見届けた。
「あのなあ、ほんとうにあの掛け軸に『とりつかれて』ンだっていうなら、もうおれが行ってもしかたがねエだろよ」
坊主でもなんでもないのだから、あの男を正気にもどすこともできない。
『だがなあ、ヒコよぉ・・じつは、おれも、・・・頼まれててなあ・・』細かいことは言えないが・・・と黒猫のじじいが声をおとす。
『 ―― こりゃあ、・・・おめえにしか頼めねえんだよ。いまいちど行って、そうしたらよ、あの門のとこにある瓶をいくつか割って、あの石段を通れるようにしてくれねえか?』
「・・・通れるって・・だれか人を通してエってのか?」
『人、なあ。まあ、それもあるがな。とにかく―― 頼まれちゃくれねえか?』
疲れたような年寄の声にみあわない軽い動きで黒猫は起き上がると、返事を待つようにヒコイチに顔をむけた。
そりゃたしかに、この《しゃべる猫》が、いま、ものを頼める相手は、こちらか西堀のじいさんしかいないことは、よくわかる。
そのうえ、生前の乾物屋が、さっきまでのような小声ですまなそうにしゃべるのを、ヒコイチはきいたことがない。
「・・・わかった。あの家の、《門》のとこにある瓶だな?」
それを、ひとつかふたつ、割ってくれば ―― 。
―― 割って、誰を通そうっていうんだ?
そう思ったときには、もう黒猫は窓をとびこえ消えていた。




