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18、摘みたてミントのハーブティー

 施療院から帰ってからの、摘みたてのミントのハーブティーが、優しい香りで包んでくれる夜。


「お嬢様、いつものお花が届いていますよ」

 メイドのアンがわたくしの部屋に飾ってくれるのは、オヴリオ様から届けられたカランコエの花束。添えられたメッセージカードには、花言葉が書いてあるようです。

 

 あたたかな香りに包まれて、わたくしは自分の日記をじっくりと読むことにしました。

 何年も前からコツコツと書いてきた日々の記録は、何冊もあります。

 

 過去から順に振り返ると、最初のうちは幼さのわかる拙い文字だったり、スペルが間違っていたりして。

 思い出せることもあれば、思い出せないこともあって。

 自分の日記なのに、未知の誰かの思い出に触れているみたいです。



「はじめて、聖女の力があると言われた日……」

 

『わたくし、おばあさまみたいに聖女の力があるのですって。

 まわりのみんなが、すごいすごいって、ほめてくれるの。

 おばあさまもうれしそうに、おしえてくださったわ。

 聖女の力は、だれかを応援したいきもちで使うもの。

 あなたを応援するわってきもちをぎゅっとこめたら、そのひとに元気をあげることができますの。

 大きくなったら、練習したら、もっと力がつよくなるかも! わたくし、がんばりますわ!』


 

「お城にお出かけした日……」


 『王子様がぬいぐるみをくださったの。

 力を使ってみろっておっしゃるから、ぬいぐるみに聖女の力を使ってみせたら、大暴れして大変でしたわ。王子様の服をビリビリに破いてしまいましたの。

 でも、王子様はたのしかったっておっしゃって、ぬいぐるみに「ナイトくん」って名前をつけてくださったのよ。

 王子様は胸に傷があって、わたくしはびっくりしたのです。暗殺者からお妃さまをかばわれたのですって。王子様は勇気があるのですね。

 とても痛そうな傷なのに、もうぜんぜん痛くないのですって。

 わたくしの聖女の力が強くなったら、治してあげられるかしら』


 

「聖女に選ばれなかったとき……」


 『アミティエ様が聖女に選ばれました。

 たくさんの方が見守る中で、聖女の力が劣っているとはっきりしましたの。わたくし、おばあさまの孫で、ずっと期待されていて、教育も受けさせていただいたのに、聖女になれませんでしたわ。

 努力が足りなかったとおっしゃる方もいる中で、王子様はわたくしに「がんばったね」とおっしゃって、慰めてくださいました』


 

 『周りを気にして卑屈になったり劣等感を抱くわたくしに王子様は、君は堂々としてていい、何も他人に引け目を感じることはない、偉そうにしてていい立場なんだ、と仰ったのです』


 

 『わたくし、今日はちょっと変でしたの。昨日までの記憶がすっぽり抜け落ちてしまったみたいになって、お医者様も呼ばれましたのよ』

 

 

「あら。途中から、定期的に王子様のことを忘れてる……」


 わたくしは、記憶がない、と書いている日記に気づきました。


『王子様とお話ししましたの。わたくしは初対面かと思ってとても緊張しましたが、忘れているだけで元々よくお話しする間柄なのですって』


 そこから、またいつものように日常がつづられて。


『わたくし、パーティから帰ってきたのですが、パーティの記憶がないのです。何をしてきましたかしら』


 ――また忘れているのです。

 

『王子様とお会いしました。初めて会う方なのに、初めてではないみたい……』


『王子様が暗闇で光る蝶々を見せてくださいました。夜光蝶というのです。とても綺麗でしたわ』


『今日、初めて王子様とお話したのですが、夜光蝶をお見せくださり「この生き物の名前はわかるか」とお尋ねになるのです。わたくしが「それは夜光蝶ですね」と答えると、「よく知っていたね」と褒めてくださったのですわ』


 ……明らかに、忘れているのです。


 わたくしは、それを繰り返していました。

 

 記憶の失う頻度や程度は、波があるようです。

 回数を重ねるにつれ、家族に知られたり、お医者様のお世話になることはなくなるようで、日記にも「ちょっとした物忘れ」と、別段大変なことではないように書いていたり、「わたくしは忘れっぽくて」と書いてあったり。

 あるいは、自分で自分が忘れていることに気づいていない様子の日記もありました。

 

 ある程度まで日常を過ごし、突然また忘れて。また日常に戻る……そんな日々が、日記からは読み取れたのです。


「やはり、わたくしはおかしいのですわ……」

 私もおばあさまみたいにどんどん忘れるようになるのかしら。


 日記を見ていると、部屋の温度がどんどん下がっていって、空気が薄くなるような錯覚を覚えるのです。

 

 そんなわたくしに、ふわっと柔らかな毛が触れて。

 気付くと、ナイトくんがひょこんとテーブルにのぼって、わたくしの頬をふにふにと撫でていました。

 ナイトくんは「大丈夫だよ」と言ってくれているみたいでした。


 体温をもたないぬいぐるみのナイトくんの手はふわふわしていて、動揺の熱を吸い取ってくれるみたいです。

 わたくしの顔を覗きこむぬいぐるみの顔は無表情で、愛嬌があって、可愛らしいのです。


「ナイトくん……」

 

 心配してくれている……落ち着けと言ってくれている……そんな雰囲気が、声を発することのないぬいぐるみから感じられて、すぅっと不安や恐怖が和らぐよう。


 ぽふ、ぽふ。たしっ、たしっ。

 ナイトくんのぬいぐるみハンドが日記帳を器用にめくって「このページを見ろ」と言いたげにするので、わたくしは読んでみました。


 

『たまに記憶の一部がなくなることを王子様に告白しました。王子様は、それは病気でもなんでもない、と仰ったのです。

 もう記憶をなくすことはないよ、これからは大丈夫だよと約束してくださったのです。

 そして、そして。

 もしまた忘れても、……何回忘れても。

 わたくしをずっとそばに置いてくださり、生涯大切にしてくださると誓ってくださったのですわ』

 


 そのページには、王子様との約束がつづられていました。


 

「しょ、生涯……。わたくし、約束していただいたのですね」

 ――けれどわたくし、そんな約束の思い出すら覚えていないのですね。


 

 それで、オヴリオ様はわたくしと婚約してくださったのでしょうか。

 

 『これは単なる物忘れで、病などの異常ではないっ』

 ……自分もよく忘れるのだと笑う声が、思い出されます。

 

 

 贈られたメッセージカードをペラリと裏返すと、花言葉ではない文字がありました。


『花束を届けるけど、今度は花園を丸ごと贈るよ』


「は、花園……」


 内容はともかくとして、好意的に接してくださっているのだけは、間違いないのです。


 ナイトくんが「よかったね」とか、「わかった?」というように顔を覗き込んできます。


「わたくしが定期的に記憶を無くしているのと、オヴリオ様が良い方なのはとてもわかりましたわ」


 パーティの帰りに仰ったように、何不自由なく、幸せな待遇を用意してくださるおつもりなのは、間違いないのでしょう。


「ふむむ……」


 わたくしはメッセージカードと花束を見比べました。


「わたくし、ただお世話されるだけの女ではいませんわ。自分に良くしていただいた分、わたくしもオヴリオ様をお助けします」


 忘れないように日記に書いて、わたくしはナイトくんと握手をしました。


「ありがとうですの、ナイトくん。わたくし、元気とやる気が出てまいりました」


 誰かのために何かをしたい。

 そんな気持ちって、前向きな感じがします。

 記憶を無くしてしまうのが怖いってただ怯えているより、ずっといい。


 ――わたくしは、できることをしますわ!


 この夜、わたくしはそう決意したのです。

 

 

 

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