なんの取柄もないわたしへ(三十と一夜の短篇第78回)
なんの取柄もないわたしへ。
わたしには取柄がない。百五十キロのスライダーを投げることもできないし、一度見ただけの文章を完全に暗記することもできない。人の心をふるわせる歌を唄えないし、将棋がべらぼうに強いわけではない。なにもしなくても生きていけるほどの財産を持つ親がいるわけでもない。
努力すれば何でもできるという言葉が、善意に満ちた残酷な嘘であることをわたしは知っている。わたしの努力はひどく非効率的か、見当外れなものになり、努力にも才能が必要なことを知るだろう。
手足がついているから、誰かに憐れんでもらうこともできない。知性がないから、哲学に向かって精神的な逃げを打つこともできない。
人生はわたしの前にぶちまけられる。他の人たちは恭しく捧げられて受け取ることができるのに。わたしはぶちまけられた人生を拾い集めることにその人生そのものを費やすことになる。
恋愛、友情。これらはわたしにとっておとぎ話。ユニコーンや切り株の家に住む小人と同じだ。見ることはできるが、嗅ぐことはできないし、触ることはできない。わたしは言う。「僕は恋愛がしたい」。するとまわりの人はわたしが「ツチノコは本当にいる」とでも言ったみたいに笑うだろう。
わたしは何も発見することはできない。あらたな元素、新種の生き物、これまで誰も考えたことのないスバラシイ理論、ある巨匠音楽家の未発表の曲。こうしたものを発見するのは才能に恵まれた人たちであり、わたしが発見するのは人生は苦痛以外の何物でもないことだ。そして、これはだいたいの人が発見し叫んでいるから、価値がない。
わたしは程よい良心を持つので、大量殺人や呪術、巨額の詐欺事件をすることができない。社会はわたしよりも殺人鬼のほうが注目するに値すると思っている。正直なところ、ジャーナリストたちは遺族の流す悲しみの涙よりも殺人鬼のIQや心理テストの結果を追いたいのだ。遺族が勝てないのだから、わたしには万に一つの勝ち目もない。
もちろん政治家にもなれない。さっきも言ったように、わたしは程よい良心を持っているから。
わたしは社会を構成するその他大勢にもなれない。あきらめの良いことも取柄のひとつだ。わたしはその他大勢に属しながら、その他大勢で終わることに納得がいかない。わたしは自分にも成功の機会がある、いや、成功するべきなのだと強く思っている。ただ、わたしには勇気がないから、自分が成功していないこの世界は間違っていると糾弾することができない。おべっかを使い、追従して、何とかかろうじてその他大勢であることを維持している。
わたしにはなんの取柄もない。本当にないのだ。
ただ、わたしは書くことができる。なんの取柄もない人生がどんなものなのか。そのために何度、狂いかけたか。そして、狂うことすら取柄のひとつであることを知ったときの惨めさを。
もちろん、わたしには文才もない。ベストセラー作家の夢を見る前に釘を刺しておこう。わたしの人生を切り売りするように書いたそれは作文のあらゆるルールを破っていて、段落の前に一マスあけることはもちろん、段落すら一切つくらないから、それは長い長い文字の並びになって、読みづらいことこの上ない。
たとえ美文であったとしても、わたしの、なんの取柄もない人生を貴重な時間を費やして読もうとする物好きはいないだろう。現在、物語を大勢の人に読んでもらうには誰かが殺されて犯人探しをする必要がある。わたしにはトリックを考えることができないから、書いたとしたら、単なる通り魔の現行犯逮捕だろう。
あとは私小説というジャンルがある。自分の抱える挫折とか劣等感とか病的な自尊心とかを実際にあった通りに書いていくのだけど、これを芸術と持ち上げてくれる人が少しだがいる。これなら自分にも書けそうだ、いや今書いているものだと思って、わたしは喜ぶだろうけど、これで成功するには一定以上のルックスが必要だ。かなりのハンサムか、かなりのブサイクか、かなりの変人。そうでないわたしでは私小説では身は立てられない。わたしは人生を受け取るとき、目の前でぶちまけられたことを忘れてはいけない。
わたしは書いたり書かなかったりする。日記など、継続的にものに取り組む取柄がないから。わたしには創造力がないから、突然、思いついて徹底的に書きまくることもできない。
わたしが書く理由は辛いからだ。現実が辛いとき、ものを書くと、その辛さがほんの少しだけ和らぐ。わたしにとって、文章を書くことはヘロインを注射することと同じなのだ。
気を悪くしただろうか? もちろんわたしは人に対して面と向かって怒ることはできない。でも、わたしは今日の辛さを癒すために書くだろう。わたしは書き続ける。部屋じゅうに殴り書きされた原稿用紙が散らばっていている。書き続ける。何十年も書き続ける。そして、ある日、ぽっくり逝ってしまう。
わたしが書き散らした人生を副葬品に。
こうしてわたしの四畳半は金字塔になる。