93.フィオナの護衛 1
『王女様、王女様。どちらにいらっしゃいますか?』
フィオナの護衛クロエ・レリ・イットーは、必死で走る。行き先は、王族専用バスルーム。フィオナは、剣術の稽古の後、必ずバスルームでシャワーを浴びる。だが、今日は、シャワーを浴びるかどうかは分からない。いつもと違い今日の稽古は、フィオナは汗をかいていない。シャワーを浴びる必要がないからだ。
王族プライベートエリアまでクロエは走った。入り口の警備兵がクロエに声をかけた。
「おい、お前、フィオナ王女殿下の護衛だろう。何をしていたんだ?さっき王女殿下が護衛なしでお戻りになられたぞ。王女殿下に万が一のことがあったら、どう責任取るつもりだ。」
「王女殿下は、無事にお戻りになられましたか?」
「ああ、侍女お二人のみお連れになり、プライベートエリアの中にいらっしゃる。」
「私は中に入れますか?」
「それは出来ない。お前を中に入れる許可は出ていない。たとえ王女様のお付きの護衛と知っていても、王女様の許可がなければ無理だ。連絡があるまで待て。」
その場で待機する。待っている時間がとても長く感じる。このままここで待っているべきなのか。それとも、侍女長エルザ様にお願いして王女様に戻ったことを伝えてもらうべきなのか。王女様が入り口の警備兵に自分が戻ったら、中に入るように伝えていないのは、怒っているのだろうか?自分は、王女様が助けて欲しいと目で合図していたのに、何て言って助けたらいいのか分からず、目を反らしてしまった。パチンとオデコに魔力弾が飛んできて慌てて助けに入ったが、全くズレた事を言ってしまった。そして、王女様を見失うという失態を犯してしまった。護衛失格だ。
フィオナ王女様には、誰にも知られてはならない秘密がある。
フィオナ王女様は、フェリオ王子様なのだ。つまり、フィオナ王女様とフェリオ王子様は、同一人物。そして、フィオナ王女様の方が本当のお姿。フェリオ王子様のお姿は、魔力が少ない時のお姿なのだ。なので、普段はフェリオ王子様のお姿で生活なされている。年齢とともに魔力量が増え、だんだんフィオナ王女様のお姿でいられる時間が長くなり、成人年齢くらいまでには完全に王女様のお姿になられる。それまでは、王女様と王子様が同一人物と誰にも知られてはならない。自分は、そのための護衛だった。
なのに今日の失態は…。
王女様が王子様と同一人物と知られれば、知る者全て処分対象になる。たとえば、今日、道場で王女様が魔力切れで王子様のお姿になられたら、あの場にいた者全て処分対象だ。そんなことにならないために自分がいる。自分は、普通の護衛ではない。王女様の秘密を守るための護衛なのだ。王女様だけを護衛したらいいのではない。
何故フィオナ王女様が普段フェリオ王子様なのか、その理由を知ることは許されていない。許されていないが、何となく分かる。フィオナ王女様の秘密を知る方々が、必死でその秘密を守ろうとしている理由を。
クロエ・レリ・イットー(女性、三星、19歳、フィオナ王女付き護衛)
クロエの曾祖父は、イットー侯爵家の次男だったが、王宮騎士団の団長にまで上り詰めた剣術に優れた男性だった。剣術を教えることが上手で、また子供好きだったクロエの曾祖父は40歳で騎士団団長の職を辞し、剣術道場を開いた。そして、クロエの祖父も父親もまた剣術に長けた男性で、若い頃は王宮騎士団団長クラスで働いた後、40歳前後で引退し、曾祖父が開いた剣術道場で子供たちに剣術を教えている。イットー流は、剣術の流派で門弟が一番多い流派となった。長女のクロエは、いずれ曾祖父の剣術道場を継ぐつもりでいる。
現在の王宮騎士団団長ドジル・レリ・ワトソンの母親は、クロエの祖父の妹。クロエの父親の従兄弟になるドジルは、幼い頃から毎日のように曾祖父の道場に通っていた。クロエの父親と従兄弟というよりも本当の兄弟のように親しい。ドジルは、仕事がお休みの時には曾祖父の道場に今でもよく来て子供たちの剣術指導を手伝ってくれる。クロエも子供の頃からドジルの指導を受けていた。
クロエは、子供の頃、ドジルがよく話していたことを覚えている。幼いクロエに、ドジルはエドガー王太子殿下の側近護衛と言った。クロエが初等学校に入る前年、エドガー王太子殿下は即位し、国王となられた。ドジルは、自分が国王陛下の側近護衛だと言った。幼いクロエは、ドジルに憧れた。父のいとこであるドジルいとこ叔父は、ワトソン伯爵家の次男坊。なのに、高校学校卒業後、伯爵家よりも格上の筆頭侯爵家ヨーデキール本家の四星ご令嬢サラ様を夫人に迎えられた。伯爵家の嫡男であっても四星のご令嬢を夫人に迎えられるのは難しい。ドジルいとこ叔父は、次男坊でありながら、四星のご令嬢を夫人とし、国王陛下の側近護衛である。いくら同級生といえども、相当の信頼と実力がなければそんなこと出来ない。
クロエは、幼かったがドジルいとこ叔父は凄いと思った。自分もドジルのように、王族の方々に信頼してもらえるくらい実力のある武人になりたいと思った。護衛は、男性だけではない。王族や貴族女性には、女性の護衛が付くことが多い。クロエは将来女性の王族に仕える護衛になりたいと思った。
エドガー国王陛下は、即位した翌年筆頭公爵家イーデアルのご令嬢マリアンヌ様と結婚され、双子を懐妊された。
ドジルいとこ叔父がとても心配していたことをクロエは覚えている。夫人のサラ様は、双子が無事に生まれてくるように王宮に通われているという。ドジルいとこ叔父のところには、生まれたばかりの赤ちゃんとまだ一歳の子供がいる。ドジルの母親、つまりクロエの大叔母も、サラ様の母親も子育てを手伝ってくれてありがたいと言っていた。クロエも、マリアンヌ王妃陛下のお腹の双子が無事に生まれて欲しいと思っていた。
クロエが初等学校二年になった時、マリアンヌ王妃陛下が双子を出産後に亡くなられた。そして、後を追うようにエドガー国王陛下も病気で崩御された。
ドジルいとこ叔父がよく話していたお二人だっただけにクロエはとても悲しく思った。
高等学校を卒業したクロエは、王宮騎士団に就職した。曾祖父も、祖父も、父も王宮騎士団に就職していた。クロエに迷いはなかった。いとこ叔父ドジルは、王宮騎士団の団長だった。
騎士団に入って一年が過ぎた頃、イーデアル公爵家でご静養中のフェリオ王子様の双子の妹、フィオナ王女様のお付きの護衛の話がきた。クロエは、迷わず立候補し、王女様の護衛を勝ち取った。ただし、条件があった。絶対に言ってはならない秘密があり、もしそれが他人に知れたり、自分が洩らしたりしたら処分させるというものだった。秘密を聞く前なら護衛の辞退は可能だったが、クロエは護衛になることを選んだ。そして聞かされた王女様の秘密。王女様がフェリオ王子様である理由は知らされなかった。理由を知ることは禁止だった。
だが、クロエは知っている。フィオナ王女様は、本当に双子だったことを。そして、おそらく普通の双子ではなかったのだ。だからドジルいとこ叔父の夫人サラ様は、ご自身が出産直後にも関わらず仕事に復帰し、双子が無事生まれるための研究をしていたし、王宮にも通われていた。初等学校の頃は知らなかったが、中等学校になるとサラ様がどのような方なのかクロエは知った。ドジルいとこ叔父は、とんでもない方を夫人に迎えていると驚いた。
クロエの予想だが、フィオナ王女様の双子のきょうだいは、マリアンヌ様の出産の時に亡くなられている。双子なのに、実際はお一人だからだ。そして、ずっと王宮でお育ちになったフェリオ王子様が本当はイーデアル公爵家でご静養中のフィオナ王女様であること。つまり、フェリオ王子様は、本当は存在しない方なのだ。だから、国王陛下は法を変え女性に王位継承権を持てるようにした。そして、王子様と王女様は同一人物でありながら、お体は本当に男児と女児の異性なのである。双子の片方が本当は存在しないことが公表できない理由の一つと考えられる。そして、最も知られてはならないのが何故王女様が王子様のお姿に変えられてしまったのか、だ。
王子様と王女様は、体も声も魔力量も違う。男装、女装なのではなく、本当に男児と女児なのだ。考えられる可能性は魔法によるもの。そしてそれは自分の魔力や誰か他の人の魔力で解くことの出来ない魔法。おそらく『呪詛』ではないだろうか?
だから、魔力量が少ない時のお姿がフェリオ王子様なのだろう。
だから、魔力量の少ない幼児期をフェリオ王子様としてお育ちになったのだろう。
イットー侯爵家分家の跡取りのクロエは、高校学校で貴族継嗣教育を受けた。その中に五星の呪詛が出てくるのだ。五星の魔力のことはサラッと触れる程度なのだが、恐ろしい話でインパクトがあったためにクロエの心に残っていた。
もし、王女様のお体の秘密が『呪詛』ならば、
五星の王女様に『呪詛』をかけた五星は…
『エドガー国王陛下。』
王女様の父親であるエドガー国王陛下以外に考えられない。
王女様がお生まれになった後に亡くなられた五星は、エドガー国王陛下だけだ。
もし、もし、クロエの仮説が正しいのなら、疑問に思うことは全て完全に一致し、解決する。
だが、信じられない。エドガー国王陛下が生まれたばかりの自分の娘に『呪詛』をかけるなんて。
でも、もし、クロエの仮説が正しいとするなら、このことは誰にも知られてはならない。知る者全て処分もやむを得ない。王女様は、なにがなんでも守らなければならないお方だ。この国の将来を背負って立つのはフィオナ王女殿下ただお一人なのだ。
子供の頃、ドジルいとこ叔父は、凄い方にお仕えしていると思った。
だが、
クロエがお仕えするフィオナ王女殿下は、さらにとんでもない方だ。
王女様の将来は、この国の将来だ。王女様には必ず王位を継いでいただき、この国をお守りしていただかなければならない。王女様がいなければ、この国の未来はない。王女様は、まだ初等学校の子供だ。王女様が成人するまで何としてもお守りしなくてはならない。王女様から目を離すなんてあってはならない。
『わかっていたのに。わかっていたはずなのに。』
クロエの目から勝手に涙が溢れ出した。




