表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

タイトルだけで駄文と分かるシリーズ

なろうを批判するエッセイが出るとそれを批判する批判エッセイが生まれ、更に批判の批判を批判するエッセイが飛び交うとか、もうこれ訳が解かんねーなって気分の自分が、今回思った事をダラダラ書いていくエッセイ。

作者: 黒井 陽斗

敢えて言おう、批判関連のエッセイを書く諸君はみんな元気で素晴らしい!


でもね、やっぱり批判の批判や、批判の批判の批判のとか言われてもおっさんには訳が分からんので、そこまで来ると皆さんとりあえず批判と言いたいだけなんじゃね?って気分になります。


なろうを批判する人、それを批判してなろうは成功したという人、そもそも批判の批判の論は違うと唱える人、批判の批判者を批判する奴が間違っている言う人等、皆様思い思いに色んなスタンスが有るでしょうし、その表現の自由は大いにやればいいと思います。


そこに言いたいことは私含め、皆批判批判って言い過ぎぃ!一連の批判のお祭り騒ぎって魔女の釜じゃあるまいし、カオスすぎるとしか言えませんよ。


皆さんが言いたいのって詰まる所は作者の主観や意見のスタンスであり、その表明でしょう?なのに敢えて敵を作っても構って欲しいとか孤独なの?それともなろうのエッセイは蟲毒なのって思いませんか?


だったら批判とか言わずに書いた方が分かりやすいし、共感も得やすく貴方を理解してくれる人が見つかるんじゃないかなと思いますし、何よりエッセイジャンルが荒れないんじゃないんかなって思います。


ですがエッセイでむしろイキリたかったり炎上商法を狙う方なら、批判って強そうな言葉を並べないと燃料不足だから、敢えて批判とか批判の批判とか言って炎上するのを望んでいるのかもしれませんし、そういった強い言葉や敢えて争う手法を好む方が多いのも、またなろうの特徴の一つだと私は考えています。


だけどね……、なんというか誰かの批判を批判して、それを読んで批判の批判の批判って……、私にはイキりたいインターネッツ論破マンがお互いの尻尾を食らうウロボロスというか、ブルーハーツのトレイン・トレインというか、批判がゲシュタルト崩壊というか、実は関係者全員が組んでいる壮大なクラスタ的炎上売名行為とか、はたまたマジな怒りと憎しみの顔真っ赤論破マンたちのマウンティング大会にしか見えないんです。


しかし私もなろうを使って一年近くになり、なろう的な空気に随分慣れて今の状況を嫌悪感ではなく、楽しめるようになったのはなろうで鍛えられたお陰だと思います、その節は本当にありがとうございました。


書いた時はタイトルとあらすじで力尽きたのですが、後ほど念のため読んでみました。


あれって、ネットの浅い部分(オタク系大手サイト等のWIKI)をちょっと調べれば分かる話を、作者の主観で書いている素人の文章ですよ?誰かが書いた文に極めて主観的な文章を足した限定的な歴史認識、そこまで怒ることも真面目に取り合う必要性はないかなと。


そもそも論でいうなら、あの作品のあらすじにあった2000年以後じゃ公平な批判とは言えません、大まじめに素人創作における最強系テンプレ主人公を語るのなら、2000年よりもはるか昔のライトノベルという概念がなく、当時そういった小説がジュブナイル小説と呼ばれた1970年代に遡る必要があるのです。


皆様ご存知、スタートレックの二次創作の最強オリジナル主人公の始祖であり雛形メアリー・スーは避けて通れない、そこから素人創作における最強系の議論は始まったと言っても過言ではないんです。


素人創作(プロ作家もですが)において批判されるという部分、その認識から見れば視野が些か狭い主観の話であるし、こうした世間からの視線を考えないのであれば、公平性があると私には言えません。


40年以上前のメアリー・スーから続く議論、作者の自己願望投影型である最強主人公の論議において、嫌悪される対象はあくまで主人公であり、世界設定である憑依、学園、異世界転生などははっきり言えば枝葉で、最強であり周りが都合の良すぎる部分に議論が行われるのが殆ど、こうした観点からかつての創作でメアリー・スーと言われていた存在を今の時代に合わせ、最強系テンプレ主人公と言ってると思えます。


すれ違い部分を念頭に入れてから考えたら、該当エッセイの何も知らない的な作者の言い分は、逆にメアリー・スーについて書かない文章に言われても全く共感出来ないし、そもそも作者がそれを歴史文書と言うのなら、創作界隈における最強主人公について変遷をよく調べて深堀りしてもいいのになぁと、結果としてあらすじで残念になって私は読む気が無くなった訳で、メアリー・スー批判者と愛好者の言い分の隔たりは、常に相手の枝葉にしている部分が食い違っていたり、目を背けているから起こるように感じますね。


こうした素人創作における最強主人公への評価を理解していると、一つ言えることが有ります、それは最強系と言うのはあくまで日陰でひっそり楽しむもので、おおっぴらにするもんじゃないって事です。


今の批判ウロボロス、なろう批判に興味がない、又はなろうに関係ない人が一連の流れを見た時、なろうは果たしてどのように見えるでしょうか?


なろうを利用している私ですら、こんなことを書いている心中を正直に言いますと「うわーっやべーよ、なろうってやっぱ魔窟かもしれんわー」でしたから、作品を投稿してなろうの中にいる人間がこれなら、なろうを読まない方だともっとエグい感情抱くんじゃないかなぁと思ったりします。


仮にこれを読んでる貴方、相手がオタクじゃなかったらなろうを利用してると胸を張って言えますか?言えるならいいご友人が居るか、他人の評価を気にしない方なのでしょう。


仕事や学校の面接で趣味は小説家になろう&読もうでネット小説です、なんて書いたり言える方はごくごく少数だと思いますし、今まで私が知ってる限りでは見たことも聞いたこと無いですから、この現状でなろうが小説サイトとして成功しているなんて、口が裂けても言えないのではと私は考えます。


SNSや動画サイトは面接で聞いたことありますから、多分それくらいがボーダーラインじゃないかなーと思いますね。

余談ですが、携帯小説全盛期の頃、趣味は携帯小説を読むことって会社で言ってた人が居たのですが、好きで趣味だといえる彼女を凄いなぁと思ったのを覚えています、ああ言う好きなモノを周りを気にせず好きって言える部分は、やっぱり男より女性の方が強いですね。


話を戻すと、こうした誤解は周りが見えなくなったイキりオタクの悪いクセの一つだと感じます。


外で言えない趣味がネットで少し流行ったからって、やれ市民権を得た覇権を取ったなどと大声で言うから、それを見た良識のあるひっそり楽しむオタクは、恥ずかしいからやめてーって言いたくなって止めたくなる奴だと思うのです。


そして強い言葉って、逆に興味が沸かないと煩く感じたり、気持ち悪く感じる方もいると思います。


今回の騒動でうんざりした方が多ければ、エッセイを好む既存層の減少に繋がっていきますし、ギスギスオンラインを敬遠する方も世の中には多く、ひいては利用客の減少でなろうの衰退の切っ掛けになりかねません。


外部の方にも所謂ネットのイキりバトルを見て、ああ言う風にはなりたくないと思う層は多いように感じますし、これまた新規の獲得が難しくなるキッカケになるし、公平でない批判バトルが発生することは、運営が成功していると言えんのではないか?なんて思っちゃうんですよね。


それ以前になろうにはせっかく運営側が用意した感想欄があるのですし、本当にその作品にきちんと批判したいって思うなら感想欄でやればいいんじゃないかしら、なんて思ったりもするんですよ。


該当エッセイ、批判の批判の批判エッセイをさらっと流し読みをする限り、色々と調べた上で作者が個人的な観点から主観認識を纏めた作品であり、そういう主観に満ちた素人らしいノリもなろう味なのだと感じますし、書いている側は面白い文字の書き方だと思いますから、それ自体は表現の自由でそうそう批判する必要性も感じません。


そうした観点を踏まえ、今エッセイはどのエッセイに対する批判でもないし、批判の批判でも、ましては批判の批判の批判でもない、私が感じた事象への個人的感情であると明記します。


要するにタイトル通り、素人らしいなろう味溢れる感情を駄文として書いただけなので、例のタイトルでお腹いっぱいになるエッセイを参考に、無駄にタイトルを長くして中身を読まずに分かるようにしてみました。


やはり文字を書く上で非常に大事な素質って、自らが情報を吐き出す時に他者の気持ちを考える事だと思います。


該当エッセイを見て学習したのは、こうした中身の薄い文章は敢えて長いタイトルを付けて中身が無いと明文化し、中身のあるものが読みたい方がタイトルで弾けるようにするのも素人作文には必要な気遣いだと感じたからです。


なろうを何も知らなかった私がなろうに入り、その中で嬉しい事や気分が悪い事、人間を疑うような事も色々と体験して感じたことは、批判は感想欄でいいと思うし、その批判の批判も感想欄で良く、やはり作品を態々名指しにして批判エッセイを書かなくてもいいんじゃない?です。


でも同時にこうも思います、これがなろう味という日陰のネットでしか味わえない醍醐味だとね。


今作のように中身が薄かったり、そもそも無かったりする個人の主張を元にしたエッセイ、個人の主観にマウティングする批判エッセイ、売名行為や煽るためのエッセイ、そもそも誰かを殴ってスッキリしたいエッセイって、如何にもな素人集団であるなろう的サムシングの発露だと思うのです。


こうした皆で仲良く喧嘩してお祭り騒ぎ的な便乗エッセイ乱立って、規制が緩い黎明期の匿名掲示板みたいに、なろうが未熟で成功していなからこそ生まれるカオスであり、世の中では全く市民権を得ていないからこそ味わえる、所謂アングラ的な持ち味ではないかと思うのです。


こういうドッタンバッタンした大騒ぎを見ると、ネットの日陰ならではの楽しみだなーと思うのってきっと私だけじゃないでしょう?って昭和生まれのおっさん臭がプンプンする事を言ってみます。


ようこそ!なろうエッセイパークへっ!ここに来てくれた皆には、このクソエッセイに1・1評価をつける権利をあげちゃいます、フハハ~なろうは本当に地獄だぜ~。


こんな全く身にならない話を不幸にも開き、あまつさえ律儀にも最後まで読んで下さった優しい貴方、呆れや怒りと共に読んだ貴方、私と似たような感想を抱いた貴方、まともなエッセイだと思って読んだのに時間を返せと言いたい貴方に私が言えることは……。


来いよなろうユーザー、批判エッセイなんて捨ててかかってこい、感想欄で私が握手してやんよ!批判も笑いも嘲笑も全て雑談場……、もとい感想欄で受け付けますからお気軽にどうぞ―。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] すごく読みやすい文章で、勢いがあって、とても良い感じです。 [気になる点] 自分はかなり堂々と書いていますので、そうなんかなぁって感じる部分もありますね。 ですが、自分の視点以外のものを読…
[良い点] 作者さんがお祭りに参加したいということが、ひしひしと感じられる文章。 あと、ダーティ・ハリー。 [気になる点] そろそろ私の脳内で『批判』がゲシュタルト崩壊を起こしそうな件 [一言] 件の…
[良い点] タイトルで主旨が分かる [一言] どっちかって言うとあのエッセイは昔を懐かしんだユーザーが「そうそう、そんなのもあったよね、でもこんなのもあったよ、ちょっと抜けてない?」と色々盛り上がった…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ