二十三
『おい鴇尾!逃げろっ!』
いきなり部屋に飛び込んできたブチに、クロと揃って何事かと振り返る。
『阿山から忍がくるっ!烏野郎が裏切ったんだ!』
裏切り、という言葉に頭が真っ白になる。
『は?そんな訳ないでしょ!烏野郎が鴇尾を裏切る筈無いじゃない!』
クロがそう怒鳴るが、ブチも負けじと言い返す。
『確かな情報だ!烏野郎の手下が阿山んとこ行ったんだっ!光の異能者と一緒に、妙な異能を使う女が菰乃屋に隠れてるってな!』
『なっ、それは本当なのっ!?』
『グスグズしてる暇はねぇ!阿山は鴇尾に興味津々だっ!早く栄次連れて逃げろ!』
栄次、という単語が出たことで、今まで呆然としていた鴇尾も我に返る。何がどうなっているのかは分からないが、もたもたとしている暇はない。
「ぶちにゃん、山風をよんで!あと金銀もっ!」
そう叫んで、部屋から飛び出し栄次の元へ向かう。ドタドタ大きな音を立て、かつてない程必死に走る鴇尾が、壁にぶつかりながらも考えるのは夜飛の事だった。
どうして今更、鴇尾を裏切るような事をしたのだろう。それも敵である筈の阿山にバラすなんて信じられない。それとも、鴇尾の知らない間に箕雲の国と日江の国は同盟でも結んだのだろうか。
様々な仮定が、頭の中に浮かんでは消えていく。どこか心在らずの鴇尾に、並走したクロから渇が入った。
『鴇尾!今はそんなこと考えている暇無いわっ!逃げることだけ考えなさいっ!』
その言葉に唇を噛み、小さく頷く。あと少しで栄次の部屋だ、今は栄次の事だけを考えなければ。
――バンッ
勢い良く開いた襖に、部屋の中に居た玉緒と栄次、それに珠子が驚いて振り返る。
「鴇尾?どうしたの……」
「ごめん、栄次連れてく」
「っ!?」
ろくに説明もしないまま、栄次の手を掴み外を目指す。その鬼気迫る様子から、玉緒も何か悟ったのか、真っ青な顔で着いてくる。
「鴇尾っ、鴇尾!バレたのねっ!?」
後ろから追いかけてくる玉緒が、どこか確信を持って叫ぶ。それに鴇尾も荒々しく叫んだ。
「そう!阿山から忍がくる!私と栄次は取り合えず逃げるからっ!」
逃げる、という言葉に、今まで何が何だか分かっていなかった栄次が暴れだす。
「やだ!やだ!ぼくここにいる!」
「……っ栄次!」
駄々をこね、その場に踞った栄次に向かって、鴇尾が叫ぶ。今は少しでも時間が惜しいのに。
「栄次っ!お母さんとお父さんに、一生会えなくなってもいいのっ!?」
見かねた玉緒が栄次に叫ぶ。いつの間に来たのか、珠子も玉緒の腰にしがみつき、涙を浮かべている。小さな珠子も、栄次と離れ離れになることを察しているらしい。
「やだっ!やだぁぁぁあ!」
普段は玉緒の言うことを聞く栄次が、大泣きして叫ぶ。それを見ながら、玉緒も辛そうにしながら心を鬼にした。
床に座り込んだ栄次を無理矢理抱き上げ、鴇尾を追い越し庭に向かう。置いていかれた鴇尾と珠子が、慌てて後に続く。
「ごめんね栄次!すぐにまた会えるから!」
走りながら栄次に叫ぶ玉緒は、ひどく苦しそうだった。
『鴇尾っ!逃走用荷物持ってきたぜっ!』
もうすぐ庭に着くかという所で、ブチが合流する。いざという時の為に、準備していた荷物を持ってきてくれたらしい。その小さな包みには、一通りの必需品が入っている。
『山風はもう着いてる!あと金銀兄弟もな!』
その言葉通り、見えてきた庭には立派な黒い馬が一頭と、二匹の狼達が気を高ぶらせて待っていた。
『鴇尾殿っ!はやく背中へ!』
山風が嘶きを上げながら叫ぶ。その言葉に小さく頷き、玉緒と栄次を見る。二人の母子はしっかり抱きあい、別れを惜しんでいた。
「いいこと栄次、鴇尾の言うことをちゃんと聞きなさい、わかったわね?」
「……ぅん」
「いつも言ってたでしょ?少しお出掛けするだけなの、栄次を連れていっちゃう悪い人から逃げないと駄目だって」
「ぅん……うんっ」
「かくれんぼするだけよ?終わったらまた皆で暮らせるわ、わかるわよね?」
「ぅんっ!」
健気に返事しながらも、その目からはボロボロと涙が溢れ落ち、それを見た玉緒と珠子も一緒に涙を流す。そんな親子を引き離さなければならない鴇尾は、辛そうに声をかけた。
「玉緒、時間がない」
「……ええ、そうね。鴇尾、栄次をよろしくね。こっちは私たちが何とかするから」
「……大丈夫?阿山から仕置きを受けるかもよ」
鴇尾は残していく玉緒達の事も気がかりだった。今まで鴇尾や栄次を隠して居たことを、咎められるのではないかと心配なのだ。
「大丈夫!何の為に金衛門さんがこれまでお金をばら蒔いていたと思ってるの!こっちは大丈夫だから、鴇尾は栄次と自分の事だけ考えてなさい」
そういって胸を叩く玉緒は、ひどく頼もしく写った。確かに、残る玉緒達の事を鴇尾が心配しても、どうしようもない。
これまでもしもに備え、金衛門が様々なお偉い方に賄賂を送ってきたのだ、何とかなると信じよう。
「それじゃ、行くね。栄次」
鴇尾の呼び掛けに、珠子と手を繋いでいた栄次は素直に近寄ってきた。玉緒が栄次を抱き上げ、山風の背中に乗せる。その後ろに鴇尾も飛び乗った。
「また連絡する。……山風っ、よろしくっ!」
『まかせろっ』
頼もしい返事を返した山風は、勢いよく走り出した。それに続く形で金さん銀さんも走り出す。突然現れた爆走する馬と狼に、何事かと立ち止まる通行人の横を駆け抜け、振り落とされ無いように栄次を抱え込みながら手綱を握りしめる。
『おい鴇尾っ!結局箕雲の国を目指すのかっ!』
いつの間にか栄次の胸元に潜り込んでいたブチが叫ぶ。鴇尾は少しの間考え、吐き捨てるように言った。
「夜飛が裏切ったんでしょ!それなら箕雲も安全じゃない、尾登羽の国を目指す!」
『ああ、まだ尾登羽ならまだマシだな』
「それに尾登羽にも協力者がいたでしょ!?」
『ああ、たしか玉緒の従姉妹だっ!』
鴇尾の言う尾登羽の国とは、箕雲の国の隣にある小さな国だ。夜飛が裏切る前なら、一行は迷わず箕雲の国に駆け込んでいただろう。元々夜飛と知り合う前から、何かあれば箕雲の国へ逃げようと色々手を回していたのだ。
しかし、夜飛が裏切ったとなれば、安全だと思っていた箕雲の国も危うい。折角隠れ家などを用意していたのが無駄になるが、第二候補の尾登羽の国へ逃げるしかないだろう。
「なんで夜飛は……」
思わず口をついた言葉に、胸が苦しくなる。今はそんなことを考えている場合ではないと分かっているのに、頭の中は何故夜飛が裏切ったのか、その事ばかりが占めている。
『俺だってわからねぇよ。だがな、俺の手下がはっきり見たんだ』
鴇尾の言葉を自分への問いかけと思ったのか、憮然とした声をだす。どうやらブチは、この状況に腹が立っているらしい。
『俺の手下が見たのは、凰間の下っぱが阿山に報告する所だ。そいつが言うんだから間違いねえ』
「下っぱって、東助?」
『いや、東助じゃねぇが、俺の手下はその凰間の忍を見たことがあるそうだ。以前烏野郎に命令されて、動いてる所をな』
それを聞いて、歯を噛み締める。間違いであって欲しいと願っていたが、世の中そんなに甘くないらしい。信じたくはなかったが、そんな決定的な証拠があるなら信じるしかないだろう。――たとえ心が信じたくないと叫んでいても。
『鴇尾!今は栄次の事だけ考えろ!あんな野郎の事なんか考えるんじゃねぇっ!』
ブチから飛んできた叱責に、ぎゅっと目をつぶり頭の中から夜飛の事を追い出した。
そうだ、今は鴇尾の胸で震えている栄次の事を一番に考えなければならない。普段からこういう事になるかもしれないと言い聞かせては来たが、小さな子供がいきなり親と離されて、不安で無い筈がない。
自分の事ばかり考えて、栄次を気遣ってやれなかった己を罵った。




