二十一
「いやはや、つい感情的になってしまい申し訳ありませぬ。拙者、忍失格でござる」
恥ずかしそうに頭を掻きながら縮こまるおっさんに、粗茶ですが、と淹れたての茶を差し出す。一応はお客だし? と、普段はしたことのない茶を淹れてみた鴇尾は、実はかなり混乱しているのかもしれない。
ありがたく、と恐縮するおっさんは、その口を覆う布をずらさぬまま、お茶を啜った。夜飛と違ってお面を付けていないおっさんは、本当に前世の忍者のイメージそのまま、口を黒い布で隠していた。
え、それどうやって飲んでるの、とまじまじと様子を窺ってみるも、そのカラクリは不明だ。何故か涙目になってお茶を飲むおっさんとは、忍者らしい忍者を初めて見た鴇尾にとって、まったく未知なる生き物だった。
そしておっさん改め凰間東助とやらは、真剣に自分を見つめてくる鴇尾に、何を思ったのかまったく頓珍漢な事を言ってきた。
「ああ、ご心配めされるな、長は無事に任務を遂行しているご様子。これならば、予定より早くにお帰りになるでしょう。いやはや、あなた様に早く会いたいがために、いつもより気合いが入っているのでしょうな」
ふははははっと笑い声を上げた東助に、誰も心配してねぇよ! と両脇から声が上がる。鴇尾を心配して側に張り付いているクロとブチは、この男の台詞に突っ込まずにはいれなかったらしい。幸い、東助には二匹の声は聞こえていないのだが。
「本当にあなた様への執心具合には、恐ろしいものがあります。最初は腑抜けるかと心配しておった我らですが、あなた様という存在を得て長の気迫は増すばかり。これは歴代最強の頭領になるのではないかと、相談役達も喜んでおりますぞ」
『確かに、烏野郎の嫉妬深さには呆れるけどよ。まずは言わせてもらうぜ……ごほんっ、あー鴇尾はっ!まだっ、あいつのモンじゃねぇっ!』
よくいった! 鴇尾とクロの叫びが見事にシンクロする。もちろん鴇尾は心の中でだ。この東助、先程からちょいちょい引っ掛かるのだが、鴇尾と夜飛の関係を勘違いしてはしないだろうか。
確かに夜飛は、毎晩顔を見せてはせっせと貢ぎ物をして帰って行く。鴇尾に囁かれる言葉だって、執着を匂わせるようなものばかりだ。だがしかし、その言葉の中には一度も、恋情を伝える言葉は出た事がない。
鴇尾は思うのだ、夜飛は鴇尾を、ペットのように思っているのではないのか、と。
「我々はいつ嫁に来られても大丈夫ですぞ。あなた様が嫁いでこられるのを、皆楽しみにしております。おお、もうこんな時間ですな、そろそろお暇させて頂きますっ!」
そう嬉しそうに語る東助に、好き勝手言うなと腹が立つ。そんな事言われても、夜飛にその気がないのにどうやって嫁げと言うのだ。
むっつりと黙り込む鴇尾に気付く事なく、お邪魔致した! と言って闇に溶け込んでいく東助。黒い渦に吸い込まれる東助を見て、こいつも異能者だったのかと驚きを覚えたが、鴇尾は最後まで口を開く事は無かった。
『なんだぁ?凰間ってのは闇の異能者ばっかり居やがるのか?』
『暗くてよく見えなかったけど、目はたぶん黒だったわ。髪の毛に色が出てるんでしょうね』
『まあ月の光だけじゃ、よっぽと明るい色持ちじゃねぇと、間近で見ねぇ限りはっきりわからねぇだろうしな』
鴇尾はその台詞にふと顔を強張らせた。夜飛が鴇尾の目に気がついているかもしれないと、今更ながら思い当たったからだ。
夜飛は鴇尾の元を訪れると、必ずその胸の中に抱き寄せていた。結果、顔を合わせる時は自ずと距離が近くなる。そんな近距離でも、この青い目の色はバレないだろうか。
もしかして鴇尾の目に気付いてるから、会いにくるのだろうか。特異な異能を探ろうと? そう考えると、あの強い執着も説明が付く気がした。考え始めると、どうにもその可能性が高いように思えて下を向く。ズキズキと痛む胸に自分が傷付いている事を自覚し、ふっと自嘲した。
「……まさか、恋をするとは」
『あ?何か言ったか鴇尾?』
『ごめんなさい鴇尾、この馬鹿の声がデカくて聞こえなかったわ。もう一度言ってくれる?』
鴇尾を見上げてくる二対の眼に、なんでもないと首を振り、もう寝ようと声をかける。毛皮の上に小さく丸まった鴇尾は、その後、空が白み始め頃まで眠りに付く事は無かった。
「どうした鴇尾、それは気に入らなかったか?」
翡翠で造られた猫の置物をぼーっと眺めていた鴇尾は、背後からかけられた声にはっと我に返る。その弾みに膝から落ちそうになったそれを、後ろから伸びた大きな手が受け止め床に置く。
一週間ほど来れないと言っていた夜飛は、その期間を二日ほど縮めてやって来た。勿論、土産を持ってだ。
「あ……」
床から生えてきた影にズルズルと呑み込まれて行く翡翠の猫に、思わず声がもれる。
「ん?気に入らなかったんだろう?今度は鴇尾が気に入るものを持ってこよう」
そう言いながら鴇尾の頭を優しく撫でる夜飛は、その手をゆっくりと首に移動させる。喉を撫でるように触れられて、あまりの擽ったさに身をよじった鴇尾は、次に突如襲った痛みに呻き声をあげた。
「ぁぐっ!」
以前にも感じた事のある痛みに、なぜまた噛まれているのかと混乱する。必死で離れようともがく鴇尾の抵抗など、手練れの忍には児戯のような物なのだろう。がっしりとした腕に拘束された体は、どんなに暴れようとピクリともせず、またその鋭い歯が首から離れる事はない。首に感じる激痛のあまり、涙がこぼれた時だった。
「……ふふっ、なぁ鴇尾、今何を考えていた?俺と居るときも居ないときも、お前は俺の事だけを考えていろ」
耳元で囁かれた言葉はあまりにも横暴で、鴇尾は自身の状況も忘れ、思わず呆れた。なぜこんな奴を好きになってしまったのか、自分の趣味を本気で疑う。しかし何度も会う内いつの間にか好きになっていたのだ、なってしまった物は仕方がない。
「おい、また違うことを考えているだろ?」
そう言ってギリギリと腕を締め付けられ、慌てて夜飛に訴える。
「ち、がう!夜飛の事!」
「俺の?……ふふっ、そうか。それなら良い」
やっと解放された体に、床に手をつきぜぇぜぇと荒い息を吐く。ぐったりとする鴇尾の体をふわりと持ち上げ、自分の方に向けさせた夜飛は、鴇尾の目から流れた涙の跡を嘗める。
「あーかわい。なんでお前はそんなに可愛いんだ」
そう言うならもっと大切に扱ってくれこの鬼畜が! と唾を吐く。勿論、心の中で。
「もっとお前を可愛がりたいが、残念な事に仕事がある。……あー、帰りたくない離れたくない持って帰りたい」
心底残念そうに言われ、つい頬が赤くなる。べつに別れを惜しんでくれる事に、うっかりときめいた訳ではない。断じてない。ただちょっと、暑かっただけだ。
「じゃあまた明日だな。温かくして寝ろよ」
もうすぐ冬だからな、と小さく付け加え、夜飛はいつものように闇に溶けて消えていった。
「……これは末期かも」
一人佇む部屋の中心でポツリと呟いた言葉は、やけに響いて心に突き刺さった。




