十九
『それでこの臭いかっ!あの野郎、やってくれるじゃねぇか!』
『鴇尾~!怪我はないーっ!?怪我したならちゃんと手当てするのよー!?金さん銀さんは無事だってーっ!』
遠くから聞こえる声に、鴇尾は目を据わらせる。
「なんでそんな遠いの」
座敷牢からはその姿を見ることが出来ない二匹に、むすっとしながら呟いた。
『だってよぅ、その辺り、すげー臭いだぜ?』
『これは獣避けね。まったく、鼻がおかしくなっちゃうわ!』
鴇尾にはさっぱりわからないが、どうやら鼻の良い獣達には耐えられぬ臭いらしい。この二匹はまだいいが、他の動物達は軒並み声すらかけてこない。昨日も侵入者が来たと言うのに、まったく、薄情な奴等である。
『そうは言っても、流石にその臭いはきついっすよ鴇尾さん』
『そうねぇ、たぶん烏面が撒いていったんでしょうね。金銀兄弟によると、えらく嫉妬深いみたいだし』
そんな変な言い方はやめてくれ、と大きくため息をつく。それにしても、あの男が何をしたいのか、鴇尾にはとんと理解が及ばない。
「今日も来るのかな」
ポツリと呟いた言葉が響き、何故か静寂が広がる。反応を示さない二匹に首を傾げてみるが、生憎その様子は伝わる事はない。
『あのよぅ鴇尾、言いにくいんだが、今日から夜の護衛は無しでいいか?』
おずおずと告げられたその言葉に、思わず目を見張る。
『ごめんね鴇尾、この臭いもきついんだけど、何よりあの烏面が来るなら、私たちが居ない方がいいと思うの。寧ろ私たちの方が危険というか……』
『そうそう。どうもお前を傷つける気はねぇみてぇだしな。もちろん、他の奴が来ないか見張りは着けるぜ。何かあったら駆けつける。でも、あいつの相手は鴇尾、お前がやった方が平和的なんじゃねぇか?』
確かに、昨日のあの男の言動を省みるに、その可能性は高い。一人であれと対峙するのは心細いのだが、動物達がそう言うのなら、無理を言うのも心苦しい。
一応は近くに居てくれるようだし、大丈夫だろう、なんとか一人で乗りきろう。そう決意した鴇尾は、それでもどんよりとした空気を隠すことは出来なかった。
さて問題の夜はすぐにやって来た。普段は時間が経つのが遅く感じるのに、今日はやたらと過ぎ去るのが早い。季節は秋迎えており、日が暮れるのが早いとは言え、先程まではお日様が出ていたというのに、もう辺り一面真っ暗だ。
小さな窓から見える月を眺めながら、襲ってきた眠気にもう寝てしまおうか、と考える。しかし、もし寝ている間に夜飛が来たら、何をされるかわかったものではない。
そんな恐ろしい事はできぬ、と首を振って、鴇尾は必死で眠気を飛ばす。
秋の夜長とは言うけれど、なかなか明けぬ夜に苛立ちが募る。さっき沈んだばかりの太陽に、はやく出てこいと無茶な事を考えつつ、僅かに寒さを感じ、毛皮に蹲った時だった。
「なんだ鴇尾、寒いのか?それとも俺にその毛皮の代わりになれとでも?」
「ひっ!」
ぬるり、と目の前の床から生えて来た腕に、喉をひきつらせ飛び起きる。まるで前世の夏の風物詩、井戸から這い出るあの女性のように、床に広がる黒い渦から出てくる夜飛。そのあまりの不気味さに、ホラーが苦手な鴇尾は、普通に出てこいやっ! と罵声を浴びせたくなった。
「あぁ、今日は野暮な奴等は居ないみたいだな」
這い出した場所に仁王立ちし、辺りを見渡して満足そうに頷く姿は、黒い烏面と相俟って変わらず不審者である。そしてその唯一見える口許がニヤリと歪んだのを見て、ぶるりと背中を震わせた。
「ほら、こい鴇尾」
にんまりと笑いながら腕を広げてみせるが、無論素直に従う筈もなく……ケッと言わんばかりに横を向いた鴇尾は、小心者の癖に変な所でその図太さを発揮する。
そんな態度に怒るかと思いきや、意外にも嬉しそうに笑っている。
「こないと、こっちを伺ってる猫共がどうなっても知らないぞ」
「……っ!」
さあどうする? と言わんばかりの態度からすると、この男、かなりのいじめっ子である。
そんな男を睨み付け、影ながらちゃんと見守ってくれていた猫達の為、と渋々腰をあげてみるが、素直に従うのも癪だ。結果、夜飛からギリギリ届かないだろう所に座ってみたのは、なんとも可愛い些細な抵抗であった。案の定、夜飛は上機嫌に笑って、その長い腕で鴇尾を抱き寄せる。これは身長差を考慮していなかった事が敗因だ。
そして後ろから抱き寄せらた鴇尾は、恐怖と羞恥心から、たらたらと滝のように汗を流す。中身は大人女子である筈の鴇尾だが、前世の恋愛スキルなどは何処かに忘れてきたらしい。まったくもって外見そのまま、初な少女のような反応に、夜飛はますます機嫌を良くした。
「あー可愛いなお前は。そんな可愛い鴇尾にほら、土産だ」
ポスンと膝に落とされた包みを見て、胡乱げな目を向ける。何やら毒でも渡されたのではないかと身を引いていると、焦れた夜飛が後ろから手を伸ばし、自ら包みを開いていく。そしてコロリと中からこぼれ落ちた物体に、鴇尾は目をキョトンとさせた。
「……金平糖?」
コロコロと鴇尾の膝に転がるのは、沢山の小さな金平糖だった。生まれ変わってから初めてお目にかかったそれに、思わず目を輝かせる。実は金平糖は、鴇尾の大の大好物なのだ。前世では安く誰にでも食せたそれが、この時代では御目にかかる事すらない。予想外の土産に、鴇尾の頬は上気した。
「なんだ、知ってるのか。最近手に入れたんだが、お前にやろうと思ってな」
そう言いながら一粒摘まんだ金平糖を、鴇尾の顔の前に持ってくる。ゆらゆらと目の前で揺らすと、つられるように頭が揺れるその様の愛らしさに、夜飛は目を細める。自分が見られている事にも気がつかず、鴇尾はひたすらに金平糖を追いかけていた。
「ほら、口をあけろ」
何の疑問も躊躇いもなく、言われるがままぱかりと口を開ける。そうして口に放り込まれた金平糖は、みるみる鴇尾の顔を綻ばせた。
「もっと食べるか?」
からかうように指先が喉を擽るのにも頓着せず、鴇尾の頭の中は幸せで一杯だった。コロコロと口の中で転がる金平糖。それを味わうことに意識を集中させている鴇尾を見て、またニンマリと笑った夜飛は、暫くの間楽しそうに餌付けを続けたのだった。




