十七
あの男が居なくなってから、二日が過ぎた。あれからずっと調べてはいるのだが、未だにあの男の情報は入ってこない。これが世に名高い凰間の実力か、と鴇尾は素直に関心した。
『ほっほっほっ。そう関心している場合でも無いじゃろ』
そう言って笑うのは、座敷牢の小さな窓から見える桜の木に停まる、一羽の梟だ。月明かりに照らされて、暗闇の中その丸い瞳が輝いている。
『そんな呑気なお前さんに朗報じゃぞ。凰間の頭領の情報が入ったぞい』
丁度考えていた所にもたらされたその情報に、思わずポカンと口をあける。それに梟は、また鳴き声ともつかぬ声で笑った。
『ほっほっほっ、それでの、その凰間の頭領、最近日江の国で保賀宇津時と戦って、その後数日間行方知れずだったそうじゃ。やはり、あの烏面が頭領だったようじゃな』
「……そ、ありがと」
『なになに、ワシはクロからの伝言を伝えただけじゃ。クロは、引き続き凰間の情報を集めるそうじゃぞ』
「あい、わかった」
それではの、と言いながら、翼を広げ暗闇に消えていった梟に小さく手を振る。
それにしてもあの男、本当に頭領だったとは……。あの男が仕える国が、悪名高い国で無かった事に一先ず安堵を覚えるが、油断はできない。難しい顔をして考えていると、カタカタと小さな足音が響いた。
なんだ今日はやけに来客が多いな、と後ろを振り返る。壁にそって並べられた豪奢な家具の後ろから、ひょこりと顔を出したのは小さな鼠だった。
『チュチュッ!鴇尾!ブチの野郎におどさ……じゃなかった、頼まれてきたよ!』
あんな奴にこき使われるなんて、弱肉強食の世界とはなんと世知辛いものなのか。同情を覚えた鴇尾は、食べようと取っておいた団子をせっせと鼠に与える。
『ありがとう!もうずっと走りっぱなして、お腹ペコペコだよー』
そうかそうか可哀想に、まったく鼠使いの荒い奴もいたもんだ。
『まったくだよ!あ、報告するね!保賀宇津時は、今はやっぱり阿山の所にいるみたい。元々はどこにも仕えてなかったみたいなんだけど、最近になって阿須狭の国に仕え始めたみたいだね。それで、同盟を組んだ日江、つまり阿山の所にいた所を、あの烏面が来たって感じだね』
「……同盟か」
『そうそう!それで色んな国が探りを入れに来てるみたい。だから最近騒がしいのかなぁ~』
「……ん、ありがと、ご苦労様」
『いやいや、鴇尾の為ならどうってことないよ!それじゃ、また新しい情報がわかったら来るね』
鼠が小さな足音をさせ去って行くのを見つめながら、頭を悩ませる。阿須狭の国も阿山と同盟を組むとは、なんと酔狂な。
新たにもたらされた情報に、知らず知らずの内に眉が寄る。出来れば阿山の力が弱まって欲しい、もしくは倒されて欲しいと思っているのに、これでは全くの逆、強まる一方ではないか。
難しい顔をして考え込む鴇尾の背後から、いきなり声が上がった。
「どうした、そんなに難しい顔をして」
突然響いたその声に飛び上がり、慌てて後ろを振り向く。
いつの間に来たのか、そこに立っていたのはあの烏面の忍だった。思わず上げそうになる悲鳴を飲み込み、ずるずると後退りする。
この時代、夜の明かりといえば月明かりが主だ。そして座敷牢である鴇尾の部屋は、普通の部屋よりも月明かりが届きにくくなっている。
とはいえ意外に思うかも知れないが、月の明かりというのは案外明るいものだ。今も部屋の中は何も見えないという程でもなく、必死に暗闇に避難しながら、背中を壁につけた。
「そんなに警戒するな。何もしない」
何とも信用できない言葉に顔をしかめ、相手を窺う。しかしピリピリとする鴇尾の態度など、ちっともお構い無しの男は、飄々と話しかけてきた。
「お前、名前はなんという」
堂々と部屋の中心に立つその姿からは、どちらが部屋の主か分からなくなる。必死になって光の届かぬところへ隠れる鴇尾は、そんな状況にかなり苛立っていた。
「どうした?口がきけぬのか?」
おぉそうだとも、貴様だけとな! 本当なら今すぐにでも追い出して、塩を撒きたい気分だが、この影から出るわけには行かない。ギリギリと歯噛みする鴇尾の目の前に、突如黒い影が覆い被さった。
「そんな筈ないだろう?この間話していたものな」
いきなり急接近し、間近に現れた烏の面。何かついこの間もこんな事があったぞ、と背中に汗が流れる。
「ん?薬は塗ってないのか」
いつのまに取られたのか、鴇尾の手のひらをまじまじと眺めた。そんな男に息を飲み、離れようと必死で手を突っぱねる。
それは男からすれば実に些細な抵抗だったが、鴇尾からすれば本気の抵抗であった。
「くくっ、おい猫、はやく名前を教えないとまた舐めるぞ。いいのか?」
そう言って首を傾げられ、いいわけないだろっ! と叫びたい。だがなんと無念か、喉がひきつって声がでない。それでも何とかこの状況を打開できないものかと、回りを見渡した時だった。
――ダンッガリッ
「い゛っ」
いきなり床に叩きつけられ、首の後ろに激痛が走る。ツーっと何かが皮膚の上を伝うのを感じ、その状況に理解が追い付かない鴇尾は、頬を床に着けたまま茫然とした。
「ほら、猫。痛いか?」
手足を床に縫い付けられ、背中にのし掛かる男の重さから、ようやく自分の状況を理解する。
ズキズキと痛む首は、おそらく噛まれて血流れているのだろう。突然の暴挙に動けない鴇尾の後ろから、男が顔を近付ける。
「猫、名前を言わぬのか?それとも愛らしく鳴いてみせるか?」
くすくすと笑う男の息が、首にかかって背筋が粟立つ。押さえ込んだ体が小さく震えたのを感じたのか、男がさらりと首筋を撫でた。
「なんだ?また噛まれたいのか?」
その言葉にとうとう我慢の限界を越えた鴇尾は、自分の手を押さえている男の手首に思いきり噛みつく。
「っ!はは、凶暴な猫だな」
その言葉を聞いて容赦なく顎の力を強めると、プツリと鴇尾の歯が皮膚を食い破り、口の中に血の味が広がる。かなり痛い筈なのに、それでも男は手を離さなかった。
「なぁ猫、そんな可愛い抵抗じゃ逃げられないぞ?ははっ、そう怒るなよ。まあ今日は顔を見に来ただけだ、これ以上機嫌を損ねない内に帰るさ」
ぐるぐると低く唸って見せるも、男は堪える事なく笑った。そしてようやく体を離し、血の流れる自分の手首をペロリと舐める。
「おい、猫。また来るから、大人しく待ってろよ」
顔を半分覆う烏面のせいでその表情は見えないが、露出した口許はニヤリと歪んでいる。対する鴇尾といえば、フーフーと息を荒くし、まるっきり毛を逆立てた猫のようだった。
鴇尾の精神を削るだけ削り、じゃあな、と案外あっさり呟いた男は、そのまま闇に溶けるように姿を消した。ふっと消えた男に慌てて辺りを見渡すが、その姿は見つける事が出来ない。
成る程これが忍というものか、と顔をしかめ、次いでダンダンッと大きく地団駄を踏む。ろくに抵抗もできず好き勝手されて、かなり頭にきていた。
――バンバンッ
「今日のっ!見張りっ!誰っ!」
珍しく大きな声を出し、壁を力任せに殴る。すると、簡単に開けられるよう細工してある床が、カタリと小さな音をたて開いた。
『モゴモゴ、ん?鴇尾、呼んだ~?』
……何で今日に限って、見張りがモグラなんだっ!
「……今忍が来てたんだけど」
『え~?大丈夫だった~?やばいな~、ついうっかり土の中で寝ちゃってたよ~、こりゃブチさんに怒られるかな~』
「……ぶちにゃんが見張り頼んだの?」
『そうだよ~』
その言葉に、ぐるぐると低く唸り声をあげ、殺気立つ。
「ぶっコロ……」
『え~、僕なんか不味かったかな~』
こりゃ撤退、と言わんばかりに床下へ避難したモグラには気にも止めず
、鴇尾はブチへの殺意を激しく燃え上がらせるのだった。




