十二
静かな眠りを妨害するのは、やはりというか何というか、相変わらず空気の読めないブチだった。
『おい鴇尾!起きろ!起きないと面倒な事になるぜ!』
耳元でニャゴニャゴと喚かれ、せっかくの眠りを妨害された鴇尾は、低く唸りながら起き上がった。まったく、良い気持ちで寝てたのに何だ、まだ夜じゃないか。
『お前っ、昼からどんだけ寝るんだよっ!昼夜逆転もいい加減にしろっ』
どこぞの母親かと思うほど口煩く説教してくるブチに、うんざりしながら何事だと、不満気な顔を向ける。そんな反応にイラっとしたのかその猫は、毛を逆立ていきなり大声で喚き始めた。
『お前なっ、俺がせっかく慌てて飛んで来たってのに、何だその態度はっ!』
寝起きの頭に怒声が響く。ガンガンと鳴る頭を押さえながら、頼むから静かにしてよと手を振ってみる。しかし、そんな態度に益々ヒートアップするのがブチなのである。
『おい、そこに直れ!いいか、俺がどんだけ慌てて……』
『ちょっと、そこまでにしなさいよ。今はそれ所じゃないでしょ、まったく』
ブチが説教を始めた所に現れたのは、相変わらず福々しい姿のクロだ。その姿を認めた瞬間、これで煩わしい説教から解放される! と訪れを喜んだ鴇尾だったが、無情にも、それは厄介な問題の訪れでもあった。
『鴇尾、大変よ。庭に忍が落ちてるの』
「……は?」
『いいから早く来てっ』
珍しく慌てた様子のクロに急かされ、いそいそと外へ出る。
はて忍が落ちてるとはどういう事だ? と首を傾げながら着いた庭には、確かにクロの言う通り、忍が落ちていた。
おいおい、忍ってのは落ちてるもんなのか、猿も木から落ちる的なアレなのか、と目を点にしてしまう。
『鴇尾、バカな事言ってる場合じゃないわよ、早く手当てしないと、こいつ死ぬわ。それに、さっきから阿山の忍が飛び回ってる、見つかったら面倒よ』
なんとっ迷惑かつ厄介な! 庭に転がる黒い塊に有らん限りの罵声を浴びせたい気分だが、そんな事をしている暇は無い。阿山の忍がここに来るのは、何としても避けねばならない。
「ぶちにゃん、ソイツ引っ張って……」
『これる訳ねぇだろっっ!!!』
「ですよねー」
使えねぇな、とは口が裂けても言わない。人手が足りない今、いかに日頃ブチブチ五月蝿いブチといえども、機嫌を損ねる訳にはいかないのだ。
『おい!いま何か失礼な事考えてなかったか!?』
「ソンナコトナイヨ。……あー、隠蔽よろしく」
『……仕方ねぇな、この血を隠す所からだな、まったく。面倒な事押し付けやがって』
ブチブチと文句を垂れるその後ろ姿に舌を出し、着物の裾を捲った鴇尾は、裸足のまま庭に降りる。まったく今日は厄日かも、と血溜まりの上にうつ伏せた人間を、足を使って仰向けにする。
さてさてこの迷惑な奴はどんなツラをしてやがるのかしら、と覗き込んだ鴇尾は、そこにあった黒いお面にポカンと口を開けた。
「……顔、見れない」
『あ?そんなの当たり前だろ、忍なんだから。そんな事より、さっさとソイツ連れてけっ!こっちの作業が進まねぇだろっ!』
「……ケッ」
もう一度ブチの背中に舌を出した鴇尾は、地面に倒れた忍の背後に回り、舌から脇に手を入れよっこいせっと立ち上がる。
「お、おもっ」
『そうねぇ、明らかに鴇尾より大きいものねぇ』
呑気に見ているクロに対し、この時ばかりは悪態をつきそうになる。
それにしても、この忍、デカイ……。恐らく、というより絶対に男だろう。鴇尾の体が少し小さめと言っても、体格差がありすぎる。現にズルズルと引きずるられる男は、お尻の辺りから地面に着いてしまっていた。
こりゃ、私より三十センチはでかいな、と冷静に考えている鴇尾の身長は、およそ百五十ちょいである。という事はこの男、戦国時代だというのに百八十を越える大男だということか。
「……え、それってデカすぎじゃね」
『意味わからんこと言ってないで、はやくいけっ!』
つい溢れた言葉にとうとう怒鳴られた鴇尾は、口をへの字にまげ、渋々部屋に向かって動き始めた。
『で、どうなんだソレ』
「んー、わかんない。とりあえず生きてるっぽいよ」
なんとか男を部屋まで運んだ鴇尾は、前世の記憶をフル稼働させ、体中にあった大小様々な傷を応急手当した。しかし医療知識が有るわけでもなく、傷口を綺麗にして適当に薬を塗りつけ、熱が出てきた男の額……と思われる場所に、濡れた手拭いを置いておくという何とも適当なものだ。そのぐちゃくちゃの手拭いから滴る水に、鴇尾の家事及び介護能力はお察しの通りだろう。
『お前な、せめて面を外して直接額に置いてやれよ、まったく適当だな……』
呆れ返るブチに、むっと口を尖らせる。仕方がないじゃないか、どうやっても男の目元を覆う、その変な黒い面は取れなかったのだから。
『なに?仕方ねぇな、俺が取ってやるか』
やれやれと首を振りながら、丁度お面と顔の境目、鼻辺りを引っ掻き始める。そんなブチを後ろから見ながら、鴇尾は首を傾げて尋ねてみた。
「それ、何だと思う?」
『あぁん?あぁ、この面か?こりゃ、烏……だな』
「カラス?……ふぅん、綺麗なお面ね」
男の顔を鼻まで覆った面は、どうやら烏の顔を象っているらしい。狐面はよく見るが、烏とは珍しい。しかも、真っ黒に塗られている。
ガリガリと面に爪を立てていたぶち猫は、がーーっ!っと苛立たしげに叫んだ。
『どーなってんだこの面はよっ、びくとも動きやしねぇ!こいつこんなんで前見えてんのかっ!?』
『馬鹿ねぇ、見えてるから着けてるんでしょ。忍なんだから、そうやすやすと顔を晒さないわよ』
『そーゆー問題かっ!?』
『もう!煩いわねっ。それより鴇尾、この人熱が出てるみたいだから、脱水症状には気を付けてあげて?』
「ん、脱水症状ね」
まかせろ! と力強く頷く。なるほど脱水症状か、流石クロ、物知りである。しかし気を付けろと言われても、何をどう気を付ければ良いのかさっぱりわからない。首を傾げながらも、まあなんとかなるさ、と開き直っている鴇尾の横で、クロはやれやれと肩を落とした。
『定期的にお水を飲ませてあげてちょうだい。幸い口の所は見えてるから……出来るわよね?』
有無を言わさぬその態度に、カクカクと頷く。逆らってはいけない雰囲気をひしひしと感じるのは何故だろう。
『じゃあ私たちは引き続き隠蔽工作してくるわ。ちゃんと面倒みるのよ?わかった?』
「はいっ!」
背筋をピンと伸ばして勢いよく返事をした鴇尾に、クロは満足そうに頷きブチを伴い部屋から出ていく。案外ヒエラルキーのトップは、このクロなのかもしれない。
やっぱクロは女王様、いやどちらかと言うと女帝? と馬鹿な事を考えていた鴇尾の耳に、どこからか小さな呻き声が聞こえてくる。
この部屋には、鴇尾とあの忍しか居ない。ああなんて面倒な、と自分の不運を嘆きながら、渋々後ろを振り返ってみた。
「ぐっ、うぁ……」
「……はぁ」
何やら汗をかいて苦しそうに唸る忍に大きな溜め息をついて、これは汗でも拭いてやるべきか、といそいそと動き始めたのだった。




