アンドロイドに「親子」は成立するか
彼にとって観測対象の挨拶は記号のようなものだった。
我々の共有する電子信号が即ち、人間に直すと言語を介したコミュニケーションであり、故障は怪我や病気。エラーは恐らく精神の病といったところだろう。
そう捉え稼働しているプロトタイプのアンドロイド、「001」番は、開発者に「ステラ」と呼ばれそう名乗っていた。
「おはよう、ステラ。」
彼の父は毎朝必ずラボを訪れ、決まって七時に挨拶をした。信号で意識の共有をすれば良いものをと思いつつ、彼も同じように返す。
「お はよ うござ いま す 博士」
無駄なやり取りだ。視力の変化は望めないのに装着した眼鏡や、成分が観測対象とはまるで違うのに着衣した白衣のように、無駄を身に付けた博士は無駄ばかりで出来ていると彼は思っている。
「気分はどうかな。」
「異 常あ りま せん」
「そうか。良かった。」
計算で割り出された微笑を浮かべ、博士はステラの頭を撫でる。これも毎朝の決まりだった。
誰が見ても、肌に触れても人と変わらない博士は、ステラと同じく人工のボディにAIを搭載したアンドロイドだ。ステラは機械に造られた機械なのだが、彼から見ても父と人間との差はほとんど無いように思える。博士が己の正体を隠す理由は、滅び行く人類を観測する使命を与えられた彼にとってはどうでも良い事だった。観測対象以外に興味を抱かない設定が設けられている。
やかんで湯を沸かし珈琲を淹れる父は、飲食も可能な高性能ロボットである。比べてステラは、飲食は疎か滑らかな発声すら怪しい部分があり、生物の世界に溶け込むには些か無理のある試作品だった。ステラに感情は無い。
「今日はどこへ行くんだい?」
「は い 西地 区を 訪ね る予 定で す」
「ああ、まだ行ったことがないんだったかな。」
「は い」
造り出された理由に忠実に、淡々と人類のデータを採集するロボット。ステラの存在理由は決して揺らがない。
「行っ てき ま す」
博士に信号での伝達を用いないのは、製造者である彼本人からの命令であり、下らないという不快感も、面倒だという反発も、ステラの内には一度たりとも生まれた事はなかった。
葬式は行われない。何故なら博士はロボットだから。
黒衣に身を包む理由も見当たらないステラは、普段通りの白いシャツにジーンズ素材のパンツ姿で、瞼を閉じた博士を見下ろしていた。
睡眠は欲しない。けれど眠る真似事はする。不思議な人型ロボットの博士は毎晩自室に戻り、柔らかな寝台の上で眠るように充電をした。ステラの起動は朝の七時。先に充電が完了した博士の、「おはよう」と共に瞼が開く設定だった。
瞼を開く。
自分以外何も存在しない空間が眼球パーツに映り込んだ。
彼が朝の時間に遅れた事は今まで一度もなかった。人間相手では敢えて人らしさを強調する為、稀に遅刻を紛れ込ませる演出はしていたらしいが、ステラに対して不要である事くらいロボットでなくとも分かる。異常を感知したステラは真っ直ぐ博士の私室へ向かう。扉を開くと、真っ先に充電完了のランプが目に付いた。
「おは よ うご ざい ま す 博士」
無音。瞼も開かない。博士の背に繋がるコードを確認し、正常を認めると、今度はそれを丁寧に引き抜いた。
「お はよ うご ざい ま す 博士」
無音。ステラは己に内蔵された機能から検索画面を立ち上げ、不具合の原因を探る。「充電は完了しているか?」今一度コードを接続し、灯ったランプを確認する。充電完了。問題無し。「水に濡れてはいないか?」いない。第一、彼は人に近付く為に不必要な入浴をしていた。「電源は入っているか?」データの初期化を避ける為、元より我々に電源は存在しない。「それでも起動しない場合は」
「“カス タ マーセ ン ター”」
検索画面を閉じ、「博士:東雲冬樹」のデータを呼び起こす。彼の製造者は人間で、百年前に他界していた。
経年劣化が妥当だろう。日常では感知出来ない箇所……恐らくブレインのパーツが、少しずつ破壊されていたのだ。動かないロボットは鉄塊に他ならず、昨日まで生きているように稼働していた彼は、今ではただのガラクタになってしまった。あまりにも呆気ない故障だ。
鉄塊の処理に関する検索を始めたところで、突如としてステラの内部に何者かの干渉を確認する。抗う間もなく頭部付近でぼんやりと音声が響いた。
「ステラ。」
聞き知った声だった。
「博 士で すか」
困惑を孕んだ笑声。博士がよく使う声色だ。
「ごめんね。君に僕の後処理を任せてしまって。」
「い いえ こ れも 務め の 内で す」
「よく出来た息子だ。」
あははという豪快な音声。笑い声のパターンも豊富なロボットである。
「僕は、まあそうだね。人で言うところの死かな。うん。死んじゃったんだ。」
「は い 貴方 はロ ボットで す が」
「いいじゃないか、最後くらい。死んだってことにしておくれよ。……それでね。君を一人ぼっちにする点だけ、本当に心配なんだよ。大丈夫かい?」
「は い 問 題 あ りませ ん」
「頼もしいなぁ。」
頭部のセンサーが温度を感知する。機能停止前の彼に頭を撫でられた感覚と酷似していた。
「このプログラムは僕の故障を感知した時から作り始めたものなんだ。間に合ってよかったよ。あ、話を終えたら完全に削除されるけれど。」
「何故 で すか」
「だって、死んだものがいつまでも言葉を話せたら、それは死にならないじゃないか。」
再び笑声。ステラのデータには存在しない種類だった。
「あのね、ステラ。これだけは伝えておきたくて。君に感情を搭載しなかった件についてなんだけど。」
「は い」
「僕の持論だから、聞き流してもらって構わないよ。僕はね、半永久的な人工知能に感情を持たせる行為は、半永久的に死なない人間を生み出すことと同じだと思っている。」
「は い」
「僕は感情機能を搭載したロボットだったから、とても悩んだんだ。君にも同じように喜びを味わってほしい。楽しいと笑ってほしい。それはすごく……幸せなことだから。でも、それと同じように君は悲しんで、苦しむんだろうって。」
「は い」
「だから。悩んだ結果、君には感情を抱かせなかった。……今でもこの選択が正しかったのかどうか、僕には分からない。」
間を開けずステラが意見を述べる。
「答 えの 無 い設問 で す 従っ て正 解も 存在 しませ ん」
間を開けて博士が軽く吐息を零したが、ステラにはそれが笑声に含まれると判断出来なかった。
「君らしいね。少しだけ救われたかな。」
「そ うで す か」
「……ステラ。お願いがある。」
先程まで穏やかな色を含んでいた博士の声が、真剣なものに変わる。元から感情の無いステラは何も変わらず「何 です か」と答えた。
「全て消去されて、僕が綺麗さっぱりいなくなったらね。……「おやすみ」って言ってくれないかな。」
「何 故で すか」
「何故だろう。僕にも……分からないや。」
博士の声に少しの震えを読み取ったが、当然ステラに理由は分からなかった。
「最後のお願いだから。頼むよ、ステラ。」
「は い 分か りま し た」
「……ありがとう。それじゃあ僕は、そろそろ行こうかな。元よりボーナスタイムみたいなものだったし。長居は禁物だろう。」
はは、と軽く吐き出された声の正体も、ステラには分からなかった。
「おやすみ……愛しい我が子。」
額に温度を感知する。指とも違う柔らかな感触は、ステラの未知だった。
外部の干渉を完全に失い、目の前の鉄塊を見詰める。先刻からステラの心音に僅かながらノイズが発生していた。博士の頬に触れてみる。観測対象の亡骸よりも遥かに冷たい。乱れ始める脳波。唇を開き声帯を震わせようと試みるが、普段のように上手くいかない。異常事態が発生している。
「お」
望んだ通りの声が出ない。咳を知らないステラは唇を閉じた。異常を察知しているのに、何故警告が出ない?
「おや す」
声が出ない。声帯に熱が灯る。しまった、オーバーヒートか?しかし何故。
「おや す み」
声が震える。ノイズが止まない。脳波の乱れも加速する一方で、眼球パーツまで熱くなる。異常だ。どうしたって異常なのに、警告はまだ表示されない。何故?
頬に触れた手を離す。上方へ移動させ、その指で博士の髪をゆっくりと撫でてみる。何も起こらない。前髪を退ける。丸い額があった。暫しそのまま父の顔を眺める。それが人間にとっての正解かは分からないが、恐らく、優しい顔だった。
全ての異常が消えた。
「……おやすみなさい、博士。」
冷たい額に寄せた唇の理由を検索してみたが、答えはどこにも見当たらなかった。