赤鬼
~赤鬼~
どれだけ時間が経ったのかも分からない二人は、ただひたすら森の中を歩いて行く。
日は少しずつ傾き、空も微かに赤くなっているようにも感じる。
「あの、悠馬さん。本当に大丈夫ですか?」
「うん、もう平気。それに立ち止まっていられないし」
だが足取りは重い。まだあの時の異常な自分を受け止めきれていない悠馬の背中は弱弱しく見える。そして美夕もそれを感じ取っていた。
「……浅見さんストップ」
周りからいくつもの茂みの揺れる音が聞こえる。音から察するに、すでに囲まれている。後ろの浅見に聞こえるぐらいの小声で話しかけた。
「何かはわからないけど囲まれてる。一気に走り抜けよう」
一度頷いた事を確認した悠馬は浅見の手を引いて走り出そうと一歩足を前に出すが、枯れ葉と土に紛れたネットが突如として二人を捕まえ、宙へと浮かばせた。
それと同時に銃が一斉に二人に向けられる。
「……なんだ、人か。おい、降ろしてやれ」
リーダーらしきスキンヘッドの屈強な男が隣にいる青年に指示を出すと、一度だけ青年は頷きナイフでネットに切込みを入れて二人を解放する。
手荒く下に落とされ尻餅をつく悠馬にスキンヘッドの男は手を差し伸べた。
「立てるか?」
その手を取って立ち上がると地面に座っている美夕の手を引いて立つのを手助けする。
「貴方は一体」
周りを見れば少人数部隊の兵士の如く銃や刃物を体にぶら下げているゲームの被害者五人が立っている。
そして目の前の男は明らかに他の四人とは違いこんな異常な状況になれている事は素人の悠馬の目からでもはっきりしていた。
「永沢英明。自衛隊員だ。君達の名前も聞かせてもらおうか」
「鈴木悠馬、です」
「浅見美夕と言います」
「永沢さん。もしかして他の人達も自衛隊か何かなんですか?」
無差別に一人を盗み見る。
「いや、彼らは君達と同じただの一般人だ。そして赤鬼を狩る同士でもある」
「赤鬼を、狩る?」
狩る発想は悠馬にはなかった。と言うよりもしなかった。
明らかに異質な生物の赤鬼を素手で殺そうなどと考えるのは愚の骨頂。
「勝てるわけない! ここは時間制限まで耐え忍ぶべきです!」
「相手が約束を守ってくれる保障なんてあるのか?」
その言葉に悠馬は口を噤んでしまった。
スピーカーから声を流していた黒幕。彼女が約束を必ず守ってくれる確証なんてない事は悠馬にも分かっている。
「君がどう思おうが俺は赤鬼を殺すつもりだ。幸いにもこうして武器を手に入れることが出来た」
自分が持っているライフルを見せつける。
「もしかしたら、俺達の行動は彼女の手の平の上なのかもしれない。だが、それでも俺達は戦う」
「永沢さん!」
別行動で偵察をしていた二人が永沢と合流した。しかし二人の表情は焦燥に駆られている。
「他はどうした!?」
「赤鬼と遭遇して、私達を逃がすために庇って」
鮮明に思い出してしまい胃の中の物をぶちまける女性。
永沢はすぐさまもう一人に怒声に近い指示を出す。
「すぐに赤鬼の所に連れて行け!」
全員を引きつれて奥へと進んでいく。取り残された悠馬達は彼らを引き留めるべきか考えたが、永沢の言葉が頭の中で何度もよぎった。
「悠馬さん。止めなくていいんですか? あのままだと永沢さん達は」
「俺にはどうしようも出来ない。俺はただ時間が過ぎるのを待つ事しか出来ない。黒幕が約束を守らないか
もしれない。でも、今はそれしか出来ないんだ」
苦虫を噛みしめた表情で永沢達とは逆の方角に歩みを進める。
「……悠馬さん。さっき待つ事しか出来ないと言いましたが、現に私のために一緒にいてくれます。悠馬さんは逃げてばかりじゃないんです。私を守ってくれてるんです」
その言葉が励ますための気遣いなのか、本心からの言葉なのかは悠馬には分からない。ただ、気持ちが少し楽になったのは確かな事だった。
「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁ!」
断末魔が前方から聞こえてくる。すぐさま木の陰に隠れて様子を窺う。声がした方向から一定の間隔で重たい音が近づいてくる。
微かに見えた影は間違いなく赤鬼であり、気づいていないながらも着実に悠馬達に向かっていた。
万事休すと思われたその時。赤鬼は突如グルリと首を明後日の方向に動かし、つられて体も同じ向きに向けると、雄叫びを上げて走り去っていった。
「い、一体何が」
「多分あの人形だと思う」
のっぺらぼうの人形。あの人形が何かしらで赤鬼を誘っている事は目の前で目撃した悠馬は理解している。そしてあの不自然な方向の変更もそれで納得がいく。
「でもこれでしばらくこっちには来ないと思う。今の内に」
美夕の手を引いて奥へ真っ直ぐ歩く。そしてその先には先ほど襲われてたであろう肉塊と骨が散らばっていた。
口元で押さえながらその先へと進むが、美夕は何故か足を止めてしまう。
「どうしたんですか?」
「あれ……」
美夕が指差す先を悠馬は見つめる。茂みの陰で何かが一瞬光った、
率先してその茂みから正体の物を拾い上げる。
少し錆びているがうっすらと金色に輝く楕円形状の金細工から鎖小さな鎖がぶら下がっている。
「ペンダント?」
側面を軽く押すと半分に割れて笑顔の女の子と両親の写真が現れた。
しかしこの女の子、誰かに似ている。
「なんでしたか?」
「誰かのロケット――」
振り返った悠馬は美夕の顔と写真の女の子の顔が重なり息を呑む。
急に黙ってしまった悠馬に小首を傾げて再度尋ねる。
「悠馬さん、何か落ちてましたか?」
「う、ううん。なんかの銀紙だった」
見えないようにそっとポケットに忍ばせた。
写真の女の子と美夕は余りにも似すぎている。まず間違いなく同一人物だと断定した悠馬。
(今これを見せたら動揺するに違いない。これは無事にここから脱出出来た時に)
「もう少し奥に行こうか。日もだいぶ傾いたし、もうすぐ日が沈むと――」
――パチ……パチ……パチ……――
一定のリズムで刻まれる破裂音。聞き覚えのある音に背筋が凍る。
小さなのっぺらぼうの人形。赤鬼を帯び寄せる呪いの人形。
「浅見さん! 逃げて!」
そう悠馬が叫ぶが既に時遅し。血で赤黒く染まった巨体が二人の前に立ち塞がる。
「ひっ!」
余りの恐怖にそれ以上の叫び声が出ない。何かを窺うように首を傾げている赤鬼はゆっくりと二人に手を伸ばす。
死を覚悟した二人の耳は何処からか鳴った銃声を拾う。赤鬼の手は一瞬横に揺れ、小さな穴が開いた腕から少量の血が流れ落ちる。
「大丈夫か!」
仲間を引きつれて追っていた永沢が悠馬達に駆け寄り、赤鬼に銃を突き付けながら二人を後ろに隠しながら後退した。
「君達は早く逃げろ!」
「でも! それだと永沢さん達が」
「元々俺達は赤鬼を殺すために探してたんだ。ここで死んだらしょうがない。でも君達は違うだろ! 生きるんだ!」
永沢の背中を見つめ、頑なな意思を感じ取った悠馬は美夕を連れてその場から逃げる。その途端、赤鬼は咆哮を上げて悠馬達を追いかけようとする。
「ここで仕留めるんだ!」
永沢達は一斉に銃を構えた。が、永沢達は気づかされる。小動物がいくら鋭利な爪を、牙を手に入れても猛獣を絶命するほどの力はない事を。
銃弾の嵐が赤鬼の体を襲うも、赤鬼は真っ直ぐ向かってくる。
「頭を狙え!」
銃口は頭を狙い、弾丸は脳天を突く。
「な、何故倒れん」
確実に当たったはずの弾丸は赤鬼の強固な骨に阻まれ致命傷を負わせる事が出来ない。
目の前の絶対的強者に思わず攻撃の手を休めてしまう。
「ま、まだだ! 手を休めるな」
もう一度銃を構え直すが、赤鬼の爪は先頭に立つ者の首をはね、牙で腕を引きちぎり、頭部の角で肉体を貫いた。
周りは血の海と化し、一般人は正常な精神にいられるはずもなく放たれる銃弾は乱れに乱れる。
赤鬼は容赦なく人々を蹂躙していく。そして最後に残った永沢は最後の一発を首元に狙う。放たれた弾は狙い通りの軌道を通る。しかし、それも赤鬼の首についていた機械のようなものにヒットしたため弾かれてしまった。そして、永沢の頭上に爪が振り落とされる。
永沢達と別れて走りっぱなしの悠馬達。背後からはこちらに向かってくる重音が。
「きゃっ!」
木の幹に足を取られた美夕はこけてしまう。
「浅見さん!」
手から離れた美夕の手を急いで握り直しに体を反転させると、赤鬼の姿が悠馬の瞳に映る。
「浅見さん早く立って!」
美夕の手を右手で握り、もう一度体を反転させて力強く踏み出した。
すぐ後ろでズドンと大きな音が立つが構わず美夕の手を離さないように一気に森を走り抜けた。
しばらく走った悠馬は後方からの重音がない事に気がつき、少しずつスピードを緩めていく。チラッと左肩から後ろを見るが赤鬼の陰はない。
肩で息をしながら安堵の表情を浮かべる。
「よかった。なんとか振り切ったみたいだよ。浅見さん」
悠馬の呼びかけにうんともすんとも言わない美夕。怯えているのか手も冷たい。
「どうしたんですか? 浅見さ――」
自分の右手を辿りながら美夕を見ようとしたが、肘から先には誰もいない。あるのは地面を点々と濡らす流れ落ちた血。
「あ、ああぁぁ……ああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
絶叫が森にこだまする。
「な、何で……」
冷たい美夕の腕を離す。腕は無造作に地面を転がる。
「もしかして、美夕さんも」
悠馬の体は自然と来た道を走りだした。
「もしかしたら何処かに」
淡い希望を持って走っていると、異様に血だまりが出来た場所を見つける。その場所は美夕が足を取られた場所だった。
「そんな……浅見さん」
緊縛した現状の中、唯一の心の拠り所になっていた彼女の存在は会って間もない悠馬でも大きな心の傷を与えた。
「浅見さん……」
大粒の涙で地面を濡らしていると、目の端で血の跡を見つける。それは悠馬達が逃げてきた方角に続いていた。
「もしかして、まだ」
おぼつかない足取りで血痕を辿っていく。やがて永沢達の死体が転がる場所までやってきた。
悲惨な惨劇が繰り広げられた現場。一瞬の嗚咽をしそうになるがグッと堪えて誰かが背負っていた鞄を拾い上げる。血で汚れている鞄の中身には医療品や弾、サバイバルナイフ、クロロホルムまで入っている。
それを背負うとそこら辺の銃を拾う。
「永沢さん。ありがとうございました」
どれが誰かも分からないほど無残に咲かれた肉片に手を合わせ、さらに奥へと進む。
微かに穴を掘る音が聞こえた悠馬は茂みに隠れながらこっそりと覗く。
そこには赤鬼が逞しい爪を使って穴を掘っている。
そしてその近くには無くした左腕を包帯で巻かれた美夕が眠っていた。
嬉しさはもちろんあった。しかしそれよりも不可解な疑問がよぎる
(どういう事だ? 何で浅見さんを生かしてるんだ?)
穴を掘り終わった赤鬼は赤い血肉をそこに放ると掘ったばかりの地面を埋め、その上に石をいくつか積み上げた。
悠馬には赤鬼の奇妙な行動に首をかしげていると、赤鬼の顔から水滴が垂れた。
「え……」
人々を殺し、蹂躙していた赤鬼が泣いている。改めて見れば埋めた所が墓に見えなくもない。
「なんでだよ」
赤鬼はスッと立ち上がると今度は美夕の近くに座り、肉を引き裂いていた爪とは思えないほど優しく美夕の頬を撫でる。
「……み……ゆ、ぅ」
確かに呼んだ美夕の名前。悠馬はゆっくりポケットからロケットを取り出し、中身の写真と赤鬼を交互に見た。
「なんだよ、それ」
理不尽な事実にこれまでにない憤りを抱く。
赤鬼の正体は人間。そして、美夕の父親。
「なんだよそれ!」
必死に声を殺しながらもこぼれる言葉。ただの殺戮生物だと思っていた赤鬼は自分と同じ人間。あの様子からして殺しは自分の意志ではない事は明白だった。
「どうすればいいんだよ」
気持ちを整理したい。だが、そんな悠馬には時間は与えられなかった。
――パチ……パチ……パチ……――
茂みに隠れていたのっぺらぼうが赤鬼に居場所を伝える。
茂みにいる悠馬に爪を振り落す。間一髪で避けた悠馬だったが、右手を掴まれ宙に浮かぶ。必死に抵抗する悠馬は赤鬼に右腕を握りつぶされる。
骨が砕ける音、肉が潰れる音、そして激痛が悠馬を襲い、悲鳴を上げさせる。
トドメとばかりに口を大きく開けた赤鬼の顔は涙で濡れていた。
「まだ、死ねるかよ!」
咄嗟に左手で鞄のサイドポケットからクロロホルムの容器を取り出して赤鬼の口の中へ放る。ダメ押しで赤鬼の顎を蹴り上げると勢いよく閉じられた口からく砕けた容器の破片が飛び散った。足元がぐらつく赤鬼は悠馬の腕を離すとその場に横たわって眠りにつく。
悠馬は赤鬼を起こさないように人形の手と手を布で巻いて音を止め、それから今後について策をめぐらす。
赤鬼が人間だと言う事実をふまえた上で赤鬼をどうするか。そして、自分はどう行動するべきか。
「……こんな事しか思いつかねぇや」
そう言って鞄からサバイバルナイフを取り出した。