① 苦痛の朝、昨日ぶりの再会
──朝になった。
昨日の夜は久しぶりに落ち着いた一日を過ごしたおかげか、いつもより体調はいい。
「──だけど…」
起き上がって制服に袖を通すにつれて意識とは裏腹に気持ちは萎えていく。学園に行きたくない。
「でも、行かないなんてできない…」
昨日、ただでさえ登校していない。二日連続で休むとなれば学園の中でどんな噂をされるのか考えるだけで怖い。
「昨日みたいなこと、起きないかなぁ…」
──望んだところでもう一度飛び込みをしてみろと言われても出来そうにないが…
今日は昨日のことが嘘のように学園に着いてしまった。理由なく欠席したのは昨日が初めてだけど、教室に着かない方法を頭で考えてしまっているあたり自分を笑うしかない。
(ああ…。着いてしまった…)
遠回りをしようかと考えてみたものの、実際にしたところで五分もズレないだろう。あきらめて教室に到着したところで深呼吸を数回。
勢いつけて教室の扉を開けた。瞬間、教室の中が一瞬静寂に変わり教室内の全ての視線がこちらを向いた。
「──っ」
すでに心が折れてしまいそうだ。彼女が一歩、教室に踏み出せば先ほどの静寂が嘘のように教室内に喧騒が帰ってきた。
「…はぁ」
席に着こうとしてまず小さく、周りに聞こえない程度のため息。机の上にあるのは花瓶と一輪の花。
確か廊下に飾られていた花ではなかったか?と考えてから花瓶に見覚えのないことに気づいた。教室の誰かが律儀に花瓶でも買ってきて花を活けたのだろうか。
(まあ、いいか。考えるだけ無駄なんだろうし…)
花瓶を机の端に寄せて鞄を置く。
───と、どこからか聞こえる小さな舌打ち。
(気にしないでおこう。私が何かアクションを起こす方が喜ばせるだけだろうし…)
チャイムが鳴って担任が教室に入ってきた。こちらを一瞬見るもすぐに視線を外してホームルームを始めてしまう。
ホームルームが終われば名目上『進学校』であるここはすぐに授業が始まる。幸いといっていいのかは微妙ではあるが、授業中に関しては周囲の生徒であれ手出しはしてこない。
教師にバレて今までのことを追求されてはかなわないと思ってくれているのだろう、と勝手な解釈はしているが…。
授業も滞りなく終わって昼休み。教室に居場所は無さそうなので鞄を持って教室から出ると、いつものように屋上へと向かう。
普通の学園であれば屋上というものは使用禁止だったりはするはずなのだが、この学園はなぜか屋上へと続く扉に鍵が無い。気になって教師に聞いてみたこともあるが『いざというときのために付けていない』そうで…。
屋上に出るとパイプの長イスがいくつか置かれている以外は殺風景である。当然、人もあまり来ない。
「はぁ…」
長イスに腰かけて弁当箱を広げる。黙々と食べ進めるも今日は午後から体育がある。憂鬱な気持ちに拍車がかかる。
ボールを使えば用途がなんであれぶつけられるし、長距離走ともなれば他に囲まれて走りにくいことこの上ない。休んでしまいたいが毎回休むようなことをすれば教師に何を言われるやら…。
「いっそのこと、仮病でもして早引きしてしまいたいけど…」
昨日無断欠席しているのでそれもあんまりよろしくない。今日は諦めて参加するしかないのはわかっている。
「何事もなく、終わりますように…」
終わるわけがないのはわかっていても、そう思わざるをえない。
──結果として、何事もなく終わることはなかった。
放課後、どうしても我慢ができずにトイレに駆け込んだところ、個室の上から水とバケツが降ってきた。汚水じゃなかっただけマシ、なのだろうか。問題は───
(濡れた制服をどうしよう…)
こうなるのは今に始まったことではない。濡れ鼠にされることなど学園のトイレを使えば頻繁に起きる出来事だ。
とりあえず常備しているタオルである程度の水気を拭き取って、学園からは出てしまう。
(どうしようかな…)
このまま帰れば親に心配されてしまう。それは、今まで隠してきた自分としては間違いだ。となれば、最寄りのコインランドリーに寄って乾かせる分は乾かすしかない。
───そう思っていた。
「あら?叶ちゃん。って、どうしたのよずぶ濡れで!」
「えっ、あ、えっと…赤人道江さん、ですか?」
「あらら。名前を覚えてくれてるなんて嬉しいわね。ってそうじゃなくて。ああもう、とりあえず私の家に来なさい!そのままじゃ風邪ひいちゃうじゃない」
偶然とはいえ、最近知り合ったばかりの相手に会えるなんて思ってもみなかった。彼女に手を握られるとそのまま引っ張られていった。
◇◆◇◆◇
「さあ、入って入って。お風呂場はそこを入ればすぐだから。シャワーだけでも浴びなさい」
「えっと…さすがにそこまで厚かましいことは…」
「はい、こんな時くらい遠慮せずに使いなさい!脱いだ服とかはこっちで洗濯機にかけちゃうから。はい、バスタオル!」
かなり大きなバスタオルを1枚渡されると脱衣室へと押し込まれた。ここまでされてしまうと叶としても断りづらい。諦めて服を脱ぎ、バスルームへと入った。
熱いお湯をシャワーで全身に浴びる。たったそれだけのことのはずなのに、なぜかひどく安心してしまえた。
『どう、しっかり頭から浴びてる?』
バスルームの曇りガラスの向こうで動き回る影が見えた。そういえば洗濯機が置いてあった気がする。
「はい。何から何までありがとうございます」
『うむうむ。他人に感謝できるのはいいことだよ』
「・・・」
だけど、疑問もある。影は曇りガラスの近くから動かない。今なら、質問できるだろうか。
「あの、赤人さん」
『道江、でいいわよ。叶ちゃん』
「あの、道江さん。どうしてここまでしてくださるんですか?たった一回、ひょんなことから会った私のような学生に…」
だって、この人が私をこうして構う理由は無いはずだ。ただ一度、この人にとっては取るに足らない出来事だったはずで──
『うーん、なんて言ったらいいのかな。昔、私がこうしてもらった時にはすごく嬉しかったし安心できたから、かな』
「昔に、ですか?」
『ええ。昔によ。とりあえず、ここに私のパジャマと下着置いておくから出たら着ときなさい。制服乾くまでは時間かかるだろうし』
それだけ言い残して影は曇りガラスの向こうから離れてしまった。
「昔に、こうしてもらったから、か…」
自分はその人に感謝するべきなんだろうな…と、目を閉じてそう感じた。