第三話『死闘』
「名前持ちの魔女……三体だと……」グラハムは血の気の引いた虚ろな顔をしている。
その時、地面のツタがまるで意思を持ったかのように動き始めた。
「クソ! エリオット!! ヴォルケンの腕をつかめ!!」
しかし、エリオットはヴォルケンの腕をつかまず、グラハムにあるモノを投げ渡した。そして、意思を持ったツタは三人を別々の廃墟へと引きずり込んだのだ。
気がつくと、エリオットの身体は壁に叩きつけられる衝撃で悲鳴を上げていた。
「な……なんですか。あのツタは……」エリオットは旧協会跡地にいることに気がついた。それはエリオットが当時、見たモノとは異なっており、内観全体を血の通ったツタが支配している。
ツタはドクドクと脈打ち、一つへと集合し、人型へと変貌を遂げる。名前を持たない魔女とは違い、限りなく人間に似通った姿をしていた。しかし、皮膚を裂くようにツタが生え、皮膚の下の肉がウネウネと嫌悪感を催させるが如く蠢いている。
瞳は焦点を失い、どこを見ているのか分からず、うわごとをしきりにつぶやいている。敵意の有無ですら不明であったが、エリオットは波刃の剣を構え、戦闘準備を整えた。
体液をこぼしながら、ゆっくりとエリオットに近寄る。エリオットに触れられるほどの距離にまで接近した。
魔女は自分の首にツタを巻き付け、狂ったような声を上げ、エリオットをにらみつける。恐怖感から反射的にエリオットは剣で魔女の胴体を斬った。苦痛の表情を浮かべるでなく、悲鳴を上げるでなく、ただ耳障りで精神をすり減らすような声を出し、自らの身体を超速再生した。
至近距離にいたエリオットはその再生に巻き込まれ、腕ごと剣を魔女の体内へと吸い込まれる。腕には無数の棘が刺さるような激痛が続き、エリオットは金切り声を上げた。
ギリギリと締め付け、痛みは加速する。腕を切り落としたくなるほどの激痛で顔をゆがめた。それを見た魔女は悦びを感じたのかとろけた表情でエリオットを見つめた。
どんどん、魔女はエリオットとの距離を詰める。まるで恋人と抱擁するかのような距離感だ。愛おしさすら感じているような化け物の表情はエリオットを精神的にも追い詰めた。
「た、助けて……やっぱり……死にたくない……」声にもならない声が次第に小さくなり、ついには完全に沈黙した。
旧市街の最北端までグラハムは引きずられていた。肉が焦げる臭いが辺りに立ちこめる。それはグラハムの身体から発されていたモノであった。
グラハムも名前持ちの魔女と対峙していた。エリオットと同じく限りなく人型に近いが、顔面に無数の針が飛び出ている。そして、針ひとつひとつが帯電しており、その電気を左腕から撃ち込むようになっていた。幾度となく電撃を喰らい、グラハムの身体は小さくけいれんしている。呼吸も荒く、右腕の武器も破壊されていた。
「草木を操る魔女……、雷光の魔女……、後一体は何だ……。早く本部に報告しなければ……」グラハムは自らの置かれた状況を必死に整理し、もうろうとする意識の中で本部への連絡を考えていた。
「あいつだけでも、生きて帰さなければ……。ヴォルケン!! 聞こえているんだろう!! エリオットだけでも助けてくれ!!」消えそうな意識を取り戻すようにグラハムは叫ぶ。
しかし、その声は虚空に響くだけで返答はない。
涙ぐみながら何度も、何度も声を枯らして叫ぶ。叫び声に反応して、グラハムに雷撃が直撃する。呼吸をすることが困難なほど衰弱した身体でヴォルケンに応答を願い続けた。
それでも返答はない。そして、グラハムは地に伏した。
消えゆく意識の中で見えたモノは一人の少女の笑顔であった。
グラハムの古い記憶である。グラハムがスカイクロウ家の当主になる遙か前、珍しくスカイクロウ家の屋敷で開かれた社交会にグラハムも参列していたのだ。
スカイクロウの名を継ぐための圧迫的な日々は、グラハムの人生観をゆがめるほどであった。そんなとき、一人の少女と出会う。
ろくに顔を覚えているわけではないが、オドオドしたおとなしい少女であった。グラハムとはなぜか気が合い、社交会で多くを語り合ったのだ。
彼女も圧迫的な日々を送っており、こんな日常から抜け出したい、と少女は嘆いていたことが鮮明に記憶にあった。
仲が良くなったのは、この二人の異質な日々が、同調したことが大きな要因だろう。その少女とはその夜以降一度も出会っていない。
だが、その少女がグラハムにとって走馬灯に浮かぶほど特別な存在であった。
記憶の霧に隠れたその少女と、エリオットの苦悶のイメージがグラハムの脳内に投影される。その姿を見ていると、生きなければいけないという思いに駆られ、グラハムはゆっくりと意識を取り戻した。
グラハムは呼吸を自力で持ち直し、心拍数も危険値をかろうじで抜け出す。
「さすが"シュトゥルム"……。こんな状態でも余計な関与はしないつもりなんだな。……こんな時でも自分で打開しろということか」グラハムの虚ろな瞳に少し生気が戻る。
グラハムの周囲の温度が急速に下がった。木々に霜が降りるほどに低下していく。グラハムの髪色が銀色へと変色し、瞳の色も深緑へと変わり、目に見えそうなほどの殺気を身体にまとっていた。
「やっぱり、戦いは楽しまなくちゃな。なあ。魔女さん」
グラハムはそういうと、人外の速度で木々をなぎ倒し、直線で雷光の魔女へと急速に近寄る。雷光の魔女は雷撃をグラハムに向けて放つ。しかし、グラハムの動きを捉えれず、決定的なダメージを与えられない。
十六フィートまで接近すると、左腕を氷柱へと変化させ魔女の瞳を狙う。魔女は間一髪という形で避け、強力な雷撃をグラハムの腹部へと直撃させた。
グラハムの肉体は旧市街を破壊しながら、三十フィート以上先まで飛ばされる。激痛で顔をゆがめるグラハムであったが、すぐさま笑みを浮かべ、先ほどよりも複雑な軌跡で魔女へと接近したのだ。
再び接近したグラハムはすぐさま、変化させた左腕で魔女の右腕を切り落とす。しかし、魔女は苦痛の表情を浮かべず、そのまま、左手でグラハムの左腕を握りつぶした。
一瞬でグチャグチャにされたグラハムの左腕はプラプラと糸の切れたマリオネットのようである。そこにすかさず、雷撃を流し込まれる。
グラハムは大きな悲鳴を上げ、身体は激しくけいれんし、再び呼吸が浅くなり始めていた。
地に立つことすら不安定になり、足下はおぼつかない。しかし、グラハムは笑い声を上げながら
「まだだ……まだ続けようぜ……」と狂人の目をして魔女に訴えかけた。
足を引きずりながら、魔女へと接近する。先ほどの高速移動ができないグラハムはただの的、同然であった。雷撃が幾度となくグラハムに落ちる。
雷撃が流れると、獣のような咆哮をし、歩みを止めず魔女へ接近する。左腕から大量の血液を垂れ流し、口元は泡で溢れている。それでも、まだ戦うことを止めない。
魔女はその姿を見て、悦びの表情を浮かべた。ボロボロのグラハムに止めることなく、雷撃を浴びせ続ける。狂ったような金切り声はまるでグラハムを称賛しているようであった。
虫の息でグラハムは零距離まで接近する。その瞬間、今まで以上の高電圧が零距離でグラハムへと流れ込む。それと同時に右拳を魔女の腹部へと殴り込んだ。すると、ゆっくりと魔女を凍らし始める。
魔女は瞬時に距離を取り、自らの身体に電流を流し氷結を停止させた。氷結は止まったが、魔女の動きが非常に緩慢とし始める。それは魔女サイドにも強烈なダメージを与えたという証拠であった。
だが、グラハムは口から大量の血液を吐き出し、ダメージ量の差は一目瞭然である。
「楽しいな魔女よ。ここまで力を使えたのは何年ぶりだろうか。昂揚が止まらねえよ」そういうと、またフラフラとした足取りで、魔女の元へ歩き始める。
数え切れない雷撃がグラハムの身体を襲っても、笑顔のまま魔女に歩み寄る。常人なら本来死亡しているであろうダメージはとっくに過ぎていた。
一歩、一歩、歩くたびにグラハムの姿は元通りになり、周囲の気温も平常時に戻る。それはグラハムが強いダメージにより、その特異的な能力が使えなくなっているという証明であった。
「これで終わりか……。あの無能は生き残れるだろうか……」そう月光を眺めながら、悲しげに呟く。
グラハムは閃光の魔女に寄りかかるように倒れ込んだ。魔女はすべての電力を左腕に流し込み、最大出力で雷撃をグラハムへと流し込む。
辺りに真昼と思えるほどの閃光が走り、グラハムは声も上げず、地面に叩きつけられるように倒れ込んだ。
魔女は雄叫びを上げ、グラハムに背を向け、立ち去ろうとする。その魔女の後ろ姿は悦びに満ちあふれており、自らが真の強者であることを得意げにしているようでもあった。
すると突然、激しい衝撃音とともに雷光の魔女の動きが止まる。魔女の背部に奇妙な亀裂が入っていた。その亀裂は大きくひび割れ、冷気を放ちながら、魔女の全身を覆う。
先ほどまですぐさま、解氷していたはずの魔女はうろたえた状態で呆けるばかりである。雷光の魔女は解氷しないのではない、できないのである。
グラハムとの戦闘、および先ほど最大出力で放った雷撃により、解氷できる程度の電力すらも使い果たしていたのだ。
雷光の魔女の身体は完全に氷結し、ガラス細工のようで一種の美術品のような不気味な美しさを宿していた。
「エリオット様が気を利かせてなければ、野垂れ死ぬところでしたね。グラハム様」ヴォルケンが倒れ込んだグラハムに近寄りながらそう笑った。
グラハムの手元にはエリオットが持っていたはずだったマスケットが握られている。それはエリオットが自分の死を覚悟して、グラハムに投げ渡したものだったのだ。
「しかし、意識を失いながらも、名前持ちの魔女を封魔するとは。さすがスカイクロウ家当主ですな。……ですが、もう少し起きていらっしゃったら、もうすぐ始まる大惨事を見られたのに」
そう言った瞬間、轟音とともに爆炎が旧市街の中央部から上がった。