無へと戻す
空間が静まり返る。まるで無に還っていくかのように、冷たく静かな安らぎの場へと姿を変える。実際、目に見える変化はないが、目を閉じれば真っ白の、無の世界が見えるようだ。
まるで時が止まったかのように、少年の指も止まる。
私が作り出した無は、少年の心の時を戻していく。実から花、花から蕾、蕾から芽へと、何物にもなれる状態へと。
物事の始まり、それは全て無から生まれる。無から芽が生まれ、さらにそこから枝分かれして結果という実をつける。その実が甘いか渋いかは、それまでの過程次第。
ならば渋い実を甘くするにはどうするか。また無へと戻せばいい。無から甘い実、安らぎへと導いてやればいい。
鎮心、安らぎのチカラ。戦いとは無縁の優しいチカラ。
「………」
少年は静かに銃を降ろす。引き金が3度引かれることはなかった。しかしこの状況は私にとって想定外である。
「へぇ…、統率の複製にも効いたんだ。薬の所為で、能力が強くなったのかな…」
もしくは使い続けたからか、と心の中で付け加える。ヴァルハラ全体を抑えていた私のチカラも捨てたものではない。
「そうだな。お互い想定外だという事だ」
少年が銃を投げ捨て、ゆっくりとしゃがみ込む。先ほどまでの殺意が嘘のように、柔らかい表情で歌を唄うように話す。
「ふん、してやられたな」
しゃがんだ少年はそのまま私を起こし、服についたホコリを払ってくれる。鎮心、万歳。
「本体がもうすぐやってくる。立てるか?」
「おかげさまでね」
壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。まだ若いはずだが、立つのが辛いと感じてしまった。
正直まだ立てるような状態ではない。背中はまだ痛いし、恐怖がなくなったから吐き気はするし、ずっとここで寝ていたいくらいだ。
しかしそうしていられないのも事実、統率の複製には効いても、おそらく姉さま自身に鎮心は通用しない。そう考えるのにも理由がある。
姉さまのチカラ、統率は自身の魔力を他人に与え、姉さまの基本能力を共有し、操る事ができる。まさに兵を動かす王である。
また、与える魔力により強化の値に違いはあるが、自身と同じにするなら微量で十分。1人の姉さまより、100人の姉さまの方が強い。当然だ。
それ故に、兵を動かす姉さまは自身を空っぽにする事ができる。0に何をしても0、私には戻す事も、導く事もできない。
既に詰んだようにも思えるが、最後まで抵抗する。途中で諦める、という考えはなかった。
「クルミ、行くよ」
足を引きずるように歩き、元いた扉の方へと向かう。
「でも…」
「心配しない。この前まで死にかけてたんだから、これくらいどうって事ないよ」




