木偶のように
「ミラ、帰るよ」
困り果てて泣きそうな声になっているミラの為、あの時のように助け舟を出してやる。実際、黄鐘の仕事はここまで。あとは城内を攻め落とすだけ、遠距離からの支援は不可能。他の部下たちはとっくに帰り支度を始めていた。
肝心の助け舟は、さっきまで腰が抜けていた所為か、少し頼りない感じである事は否めない。
たとえ沈没しそうな船だとしても、無いよりはマシだ。私の声に反応して振り向いた顔は、地獄で仏を見たように綻び、「はい!」と一言残し、ミラはスタスタとコモモのいる医療班に戻っていった。
「ヒナ様! 仲間が1人見当たらないのですが!」
部下の声が聞こえる。なるほど、そういう高速移動か、と1人で納得する。「いいから、ほっといて帰る支度を進めなさい」と促す。おそらく兄さまが戻る時に戻ってくるだろう、と考えた結果だ。
しばらく無視した事に加え、2度もナンパに失敗して黙っているような兄さまではない。先ほどと違い、今度は迫られるだけでなく胸ぐらを掴まれる。
兄さまの顔は怒りと狂気に満ち、それこそ服装を含めると絵に描いたようなマッドサイエンティストの完成だ。
「邪魔するなよ。ぼくはあの娘が欲しいんだ」
落ち着いているようにも聞こえる声色で、私を威圧する。一瞬逃げ出したくなった。が、ミラが兄さまの手に渡ればおしまいだ、となんとか踏みとどまる。
「わかりますよ。すごく可愛いですから、兄さまが欲しがるのも…」
「ふざけるな。本当の目的くらい、お前でもわかっているだろう」
言葉を途中で遮られ、さらに脅しを受ける。掴む手にも自然と力が入り、余計に苦しくなる。当然、兄さまがミラを欲しがる本当の理由は解っていた。だから渡したくないし、わざと違う事を言った。
が、問題は違う。
「いつからご存知でした?」
以前からの疑問をぶつける。知ったところで意味はないが、逆転の糸口が見つかれば、と思った次第だ。
兄さまは私の質問を鼻で笑い、
「情報収集はぼくの趣味だ」
とまるで答えになっていない回答をされる。が、私に呆れられるほどの余裕はなく、いつもの嫌味しか出ない。
「味方をですか。ほんと、いい性格していますよ」
言い終わると、私は突き放され尻餅をつく。痛みを感じなかったのは、おそらく恐怖の所為だろう。
「黙れ。お前も抜け殻にしてやろうか…?」
私に右の手のひらを向け、左手にはどこかから取り出したのであろう木偶が握られている。表情は変わらず怒りと狂気に満ち、冷酷な雰囲気は増すばかりだ。
怖気付きそうな自分を抑え、できる限りのポーカーフェイスと冷静を作り、
「できるのなら…」
と強く言う。
兄さまの表情は次第に怒りと狂気を失い、いつもの不気味な顔に戻る。自然と能力を使ってしまっていた事を、この時理解した。兄さまはゆっくりと口を開き、
「………。まぁいい。お前のチカラは、ぼくにとって不純物でしかないからな。また次の機会に勧誘させてもらうとするよ」
そう言うと兄さまは一瞬で消え、代わりに現れたのはさっきいなくなったのであろう部下の1人。しかし、命はなくなっていた。
やっぱり、とまた1人で納得し、既に帰り支度を終えた皆と帰る事にした。死んだこの部下も、そのうち還るだろう。
「コモモ」
「わかってる。頃合いを見て、ね」
先を行く部下たちに聞こえないように、小さな声で確認する。ちら、とミラがこちらを見たが、聞こえているはずはない、と笑顔で対応した。




