8 碧と皓の罪状
フィアードがその少女に気付いた時、部屋の扉が一気に開け放たれた。
「げ……猊下」
勢い良く扉を開けたもののその凄まじい光景に眉を顰め、サーシャは抜き身の剣を片手に立ち竦んだ。
白髪の少女が放つ異様な雰囲気で、誰も扉が開いた事に気付かず、そのままの痴態を繰り広げている。
嫌忌に肩を震わせながらも、サーシャはアルスの上で激しく身を躍らせる白髪の少女を認めると、すうっと息を吸って一気に床を蹴った。
「あっ!」
壁際に立っていた少女がそれに反応して動こうとした瞬間、いきなり何者かに腕を掴まれた。
「!?」
驚いて振り返ると、反対側の壁際に立っていた筈の薄緑色の髪の青年が、彼女の細い腕を掴んでいた。
女戦士は剣を構えたまま、一気に間合いを詰めて白髪の少女の背中にその白刃を突き立てた。
「ヒバ……」
友の名を呼ぼうとするその口は青年の唇に乱暴に塞がれ、その腕に抱きすくめられてツグミは身体の自由を奪われる。
唯一自由になる視界の隅で、彼女の友人は乳白色の髪を舞い上げ、それまで身体を貪っていた赤毛の男の胸に崩れ落ちた。
「……これが……兵士達を全滅させた娘か……」
サーシャはその白い裸体から剣を抜き取った。
鮮血が吹き出して辺りを赤く染め上げる。それまで痴態を演じていた娼婦達が一斉に悲鳴を上げた。何事かと駆けつけたマダム・ヴォルフに這々の体で駆け寄り、真っ青になって震えている。
「おいっ! 何も殺すことないだろ!」
アルスは血に染まりながらその少女の白い身体を抱きとめ、掠れた声で抗議する。よく知っている男と同じ色の目が徐々に光を失っていく様子が胸を締め付ける。
「何を馬鹿なことを……。その娘は例の襲撃者の一人。重罪人だ。陛下からその処遇は任された。苦しまずに死ねただけ、ありがたいと思うがいい」
サーシャは愛剣で汚いものを切ったかのように顔を顰め、忌々しそうに刃の血糊を払って鞘に収めた。
ダルセルノはヨロヨロと身を起こし、サーシャにすがりつく。娼婦の中にあの少女が混じっていた事に今更気付き、顔色が変わる。
「お……お……なんと、恐ろしい……。我らもあの兵士達と同じ運命を辿る所であった……」
サーシャはマダム・ヴォルフに向き直り、冷ややかに言い放った。
「マダム、貴女は都の要人。この事は不問にする。もう二度とこの宮殿に足を踏み入れる事のなきように……」
彼女の存在は市井の治安維持に大きく貢献しているので、そう簡単に処分できない。
サーシャは彼女に寄り添う娼婦達を一瞥し、これ以上この場にいたくないと言わんばかりに足早に部屋から立ち去った。
「……」
アルスは自分の胸に身体を預けるように息を引き取った少女の頬に触れた。
彼はこの少女の父親を、弟を知っている。彼女が男を求める理由も朧げには理解している。
何故、このような形で彼女の死に立ち会わなければならなかったのだろう。
事情を理解している自分ならば何かしてやれる事があったかも知れないのに。
「もっと前に会えたらな……。ゆっくり眠れ……」
アルスはその唇にそっと口付けし、半開きになっている目を優しく閉じてやった。
◇◇◇◇◇
ツグミは抱きすくめられたまま、軽い目眩を覚え、次の瞬間には別の部屋に移動している事に気付いた。
青年が乱暴にツグミを寝台に突き倒した。
「……」
娼婦の姿をしているのだ。別に初めてという訳でもないし、特に拘りもない。この作戦を実行する上で、充分に覚悟は出来ている。
ツグミは唇を噛み締め、男から目を逸らした。
「……お前の目的は何だ?」
青年の問い掛けにツグミは目を見張った。てっきり襲われると思ったのだ。
男は呆れたように笑い、ツグミを見下ろした。
「そんな目をした娼婦がいるか。お前が碧の魔人で、北の兵舎を全滅させた事は分かっている」
お見通し、という訳だ。気掛かりがツグミの口を突いて出てくる。
「ヒバリは……?」
「ヒバリ? ……ああ、あの混血の娘か」
フィアードは面倒臭そうに目を細める。赤く染まった少女の姿を見付けた。
「ああ……、死んだみたいだな」
「……そうか……」
あの白銀の欠片持ちの剣は見事に彼女の胸を貫いていた。苦しまなかっただけでも良かったと言うべきなのだろうか。
フィアードは苦しそうに目を伏せるツグミを鼻で笑った。
「お前がさっさとダルセルノを殺してれば、上手く逃げられたかも知れないがな」
「えっ……」
ギクリ、と顔を上げる。
「何の思い入れもない兵士なら簡単に殺せるのに、本当に憎い相手には中々手出し出来なかったんだろ?
まあ、公開処刑じゃないだけ良かったんじゃないか?」
フィアードの言にツグミはカアッと赤くなり、身を起こして青年に掴みかかった。
「あんたらが殺したんやろ! ふざけんな!」
フィアードは無造作にその手を掴み、冷ややかに睨み付けた。
「自分の立場が分かってないみたいだな? 俺がここに連れて来なければ、お前もサーシャに斬り殺されてたんだぞ」
寝台にその身体を押し倒し、両手を頭の上に縫い止める。
娼婦の衣装は簡単に剥ぎ取られ、露わになった象牙色の肌には空いている手が這い回る。
「……ま、役得か……」
仰向けになっても美しい形を保つ豊かな胸、細くくびれた腰、しなやかな四肢。あの場にいたどの娼婦よりも扇情的なその身体に感嘆の溜め息を漏らした。
ツグミはその愛撫に唇を噛み締める。今までも身体を無遠慮に見る男は大勢いた。だが、自分の身体に欲情していると思えば、それはそれで誇らしくもあった。
しかし、青年の視線は、まるで実験台として観察されているような気になる。こんな目に遭うなら刺し違えて死んだ方がましだった。
フィアードは程よく引き締まった真っ直ぐな脚を割り開き、その身体を割り込ませる。
ツグミは屈辱に震えながら顔を逸らし、硬く目を瞑った。
宮殿から出前の注文が来たという噂を聞き、ヒバリのツテを使って潜り込んだ。
しかし、目の前にダルセルノがいると思うと躊躇してしまったのも事実だ。率先して彼に近付けば、息の根を止めるのも容易かったというのに。
激しい後悔の念に苛まれていたツグミだが、男の手が一旦離れてから身体に何も触れていない事に気付いた。
「……?」
恐る恐る目を開けると、青年は部屋の奥の机で何か調べ物をしていた。
「え……?」
別に陵辱されたかった訳ではないが、いきなり放置されて某然とする。
その気配に気付き、青年は顔を上げ、面倒臭そうに窓を指差した。
「いつまでいるつもりだ。窓はそこだ。さっさと逃げたらどうだ」
「なっ……!」
カアッと顔が赤くなる。全裸に剥かれて放置され、女としてのプライドはズタズタだ。
「なんだよ、期待してたのか? 悪かったな」
ワナワナと震えるツグミをフィアードが嘲笑う。
「ちゃうわ、ボケ!」
真っ赤になって服をかき集める姿を笑いながら、フィアードは口を開いた。
「見逃してやる代わりに聞かせろよ。何でダルセルノを狙ってた?」
ツグミはゴクリと息を飲んで青年を見た。薄っすらと暗い影を落としたハシバミ色の目が、ジロリとこちらを見据えている。
ツグミは衣装を身につけ、寝台に腰を下ろしたまま観念したように口を開いた。
「……あんたも神族やろ?ダルセルノの前の村長を覚えとるか?」
フィアードの表情が凍りついた。だが、ツグミはそれに気付かず、先を続ける。
「うちはな、ダルセルノに処刑された前村長、ガーシュに魔術を教えたんや……」
◇◇◇◇◇
兵舎を全滅させた凶悪犯は意外にも可憐な美少女だった。
あの場に留まっていれば、間違いなくサーシャに斬り殺されるであろうから、事情を聞こうと取り敢えず自室に転移してみた。
女は思った以上に反抗的な態度だった。頭に来たので威圧してみたら、大人しくなった。
身体の疼きもあったので、押し倒して裸にしてみたら、驚く程に魅力的な身体に胸が高鳴った。
その豊満な胸に顔を近づけた時、目に見えて女の鼓動が高まっている事に気付いてしまった。
何となく顔を見ると、目を瞑り屈辱に震えている。
その顔には覚えがある。
その感情には覚えがある。
フィアードは胸を掻き乱していた激情がスッと収まっていくのを感じた。
今更優しい声を掛けるのも不自然なので、取り敢えず気持ちを落ち着けるために机に向かうことにした。
◇◇◇◇◇
「ガーシュは……、神族の村長にはな、鍵と魔族との間を取り持つ役割があったんや」
鍵とは神の化身のこと。
ツグミは鍵を利用して神族が世を支配する事を防ぐために、神族の村長に与えられた役割について語った。
それは、フィアードが欠片持ちとして子供の頃から聞かされていた、鍵が生まれたら欠片持ちは鍵と共に神族が世を統べるべく尽力すべし、という話とは正反対の事であった。
「それで、ガーシュはうちらから魔術と剣術を学んで、村に帰って村長になったんや……。でも、もうすぐ子供が産まれるって連絡を最後に、うちらと連絡がつかなくなってん。
それで、いつの間にか鍵が生まれてて、五年前に神族の帝国が建国された言うから、不思議に思てたんや。いくら何でも、鍵が生まれてるのに連絡無い訳ないからな」
ツグミは一息つくと、心なしか青ざめているフィアードを見た。
「それで……結局、ガーシュ夫妻の罪状はなんやったん?」
「……魔族との内通……だ」
フィアードは掠れた声で告げる。ツグミは頷いた。
「そうなんか……確かに内通しとったからな。それで、処罰はどうなったんや?」
「前村長夫妻は公開処刑。未成年の子供達は奴隷として売り払われた……」
「……生まれた子供か……」
ツグミは痛ましい事を聞いたように顔を顰めた。フィアードは頷く。
「当時は未成年の男二人、女二人。それから……成人していた息子は」
フィアードは一旦言葉を切り、深く息を吸った。瞑目して呼吸を整えるように大きく息を吐くと、再びツグミを見据えた。
「……俺だ」
思い掛けない言葉に、ツグミは目を見開いた。彼の顔を、薄緑色の髪を食い入るように見つめる。そう言われて見れば、どことなく面影があるかも知れない。
「えっ……でも、あんた、欠片持ちやろ?」
「だから、俺は処刑されずに村に残った……」
フィアードは服を脱ぎ、その素肌を晒した。
「……!」
胸に、腹に、無数に走る傷痕。背中にはそれに加えて罪人の印として「V」の字の焼印が施されていた。
ツグミはその凄惨な姿に唇を震わせる。
「なんで……五つも……!」
罪人に施す焼印は、その後に何も処置せず放置するので、一つでも死にかける者がいると聞く。フィアードの背中には五つの焼印が並んでいた。
「奴隷は……罪人の印があるとなしとでは扱いが違うだろ。だから、俺が……」
弟妹の分の焼印を一人で引き受けたと言うのか。ツグミは口を両手で覆った。
「俺は欠片持ちだったお陰で、一応治療も受けられた。あいつの下で働く事で、一応生きる事が出来た……」
その無数の傷痕は恐らく鞭の痕だ。ツグミは彼がどれだけの思いをしながらあの男の元で働いていたのか知り、ノロノロと立ち上がると震える両手でその胸の傷痕に触れた。
フィアードの手がその細い手首を掴む。
「なあ……もし、俺が欠片持ちじゃなければ……親父やお前らと一緒に、鍵をダルセルノから奪って育ててたってことなのか?」
「……分からへん。鍵の誕生を知らされてから、魔族の族長達で話し合う算段やったんや……」
ツグミの空色の目が泳ぐ。まさかこんな所に当事者がいるなど、全く想定していなかった。
「俺は……親父に裏切られたと思った。でも、先に親父を裏切ったのは俺だったんだな……」
フィアードは自嘲気味に言い捨てる。
「俺が……欠片持ちだったのが……いけなかったんだ……」
そのハシバミ色の目には深い影が落ちていた。