7 赤の秘め事
フィアードに遅れること数分、アルスがその場に到着した時には、もう既に彼への尋問の場が出来上がっていた。
玉座には女帝ダイナ、その両脇にダルセルノとサーシャが控え、フィアードはダイナの後ろに立っていた。
アルスが部屋に入ると同時に、サーシャのよく澄んだ声が響いた。
「アルス、昨夜から貴方の従兄の行方が分からないと、親衛隊から届けが出ていますが、何か心当たりはありますか?」
来た! アルスは身体を強張らせ、歩を進める。ダルセルノは忌々しそうにアルスを睨み付けた。
「……貴様、拾ってやった恩も忘れて……」
ダルセルノの感情的な言葉はこの際どうでもいい。弁明するというよりも、とにかく伝えなければならない事が多すぎて、どう話せばいいのか分からない。
「アルス、答えなさい」
アルスはダイナの前に跪くと、サーシャに向かって答える。
「彼の父親は碧の魔人です。俺はそれを知っていましたが、申し上げる必要はないと思い、報告しておりませんでした」
「そんな大切な事を何故……」
「魔族と神族の確執を知らなかったからです」
フィアードは冷ややかな目でアルスを見る。この男は駆け引きをしない。常に真正面からぶつかってくる。
案の定、サーシャが困っているではないか。
「それで、お前の従兄は今回の襲撃において、どんな役割を担っていたんだ?」
フィアードが確認したいのは、今、敵が何を知っているのか、どういう連中なのか、ということだ。
恐らくアルスはそれを聞いている。
「貴様、従兄もろともぶち殺してくれるぞ!」
「ダルセルノ様、今重要な事は敵の情報です。感情的にならないで下さい」
今にも掴みかかりそうなダルセルノを諌め、フィアードは内心で舌打ちする。
兵士を集めたのも、魔人を捕らえたのも全てダルセルノの立案によるものなのだ。それを台無しにされて腹が立たない訳が無いが、これではあまりにもお粗末だ。
アルスは重い口を開いた。
「……見取り図が敵に回っています。その見返りとして、彼は俺に敵の情報を伝えて姿を消しました」
「やはり見取り図は敵の手に……」
フィアードは自分の仮説が正しかった事に少し満足した。
「……貴方の従兄は脱走兵、かつ内通者としての制裁を受ける事になりますが、それに異論は?」
「……ありません」
アルスの答えを受け、サーシャが尋問に戻る。フィアードは黙ってそのやり取りを聞くことにした。
「それでは、敵の情報とは?」
「構成は碧の魔人の男女、女が実行で男が空間魔術の阻害、それと碧と皓の混血の女が囮役……ということです」
「我々が掴んでいる事とあまり変わりませんね」
サーシャが頷き、フィアードが呟いた。
「そうか、あの娘は混血だったのか……」
アルスはなおも続ける。
「彼等はサーシャ様の未来見を警戒して計画らしい物は立てないと言っていました」
サーシャは小さく頷く。確かに未来見での特定は出来なかった。
「彼等の目的は?」
「捕らえられていた皓の魔人達の奪還です」
ダルセルノの問いにアルスはハッキリと答えた。全員が息を飲む。
「……それだけか?」
拍子抜けしたようにダルセルノが身を乗り出す。それではもう襲撃は無いという事か?
「先の襲撃で碧の魔族は相当な痛手を負ったと」
アルスはヨタカから聞いた事を口にする。
「帝国の滅亡を目論んでいる訳ではないのか?」
「たった三人で、しかも無計画に出来ることではないでしょう」
ダルセルノの杞憂には代わりにフィアードが答えた。
アルスは何か隠している。だが、嘘は言っていない。では何を隠しているのだろう。
「アルス、ありがとう。もういいわ」
ダイナが尋問を打ち切った。仕方なくフィアードは喉元まで出かかっていた疑問を飲み込んだ。
「北の兵舎の兵士達、北の塔の警備に当たっていた兵士達を丁重に葬るようにしましょう。
やはり、流行病の為に魔人を捕らえた事が良くなかったのですわ、お父様。治癒が必要なら、彼等に協力を申し出なければならなかったのです。
これで魔人との友好的な関係は絶望的になりましてよ」
ダイナは最初から魔人を利用する事に難色を示していた。ここぞとばかりに父親に責め寄っている。
「しかし……」
「どうなさるおつもりですか? 今はまだ大丈夫かも知れませんが、いずれ、力を蓄えて叛旗を翻してきます」
「うむ……」
ダルセルノは額を汗で光らせながら黙り込んだ。
「そう言えば……」
ふと、何かを思い出してダイナは立ち上がった。
「私、まだ朝食をいただいていないわ。サーシャ、部屋に戻りましょう」
「……はい、ダイナ様」
それを合図に唐突に全員が解放された。
ダイナの部屋に戻ると、部屋の片付けをしていたハーミアが朝食の支度に飛んで行った。
それを見届け、サーシャが口を開く。
「アルスは何か隠しています。何故、あそこで話を終わらせたのですか?」
サーシャの問いに、ダイナはニコリと笑って言った。
「私達の中で、お父様に逆らえるのが彼だけだからよ」
「……!」
サーシャの目が驚きに見開かれる。そう言われてみれば、知らず知らずの内に、いつも従う事になっている。
それはダイナですら同じ事なのだろうか。サーシャは息を飲んだ。
「そんな彼が何を隠しているのか……気になるでしょ?」
今回の件は、今まで従順だったダイナが、父親に対する不信感を抱くのに充分な出来事だったのだ。
それまでにも何度か不愉快な思いはしていた。奴隷の件もそうだ。
ダルセルノは人の命を軽く見ている。
「多分、これで終わりではなさそうだけど……私達は未来見の精度を上げて、これ以上の犠牲を少なくしましょう」
皆は知らぬ事だが、未来見では確定した事、計画された事ではない不測の事態もある程度は見ることができるのだ。
ただ、ボンヤリとしていたり、何重にも重なって見える為、それを見極めようとすると激しく消耗する。
二人が今後の方針を定めていると、扉を叩く音が響いた。
「ダイナ様、朝食をお持ちしました」
侍女が銀の盆を持って入室してきた。
◇◇◇◇◇
ハーミアの妊娠が発覚した。
彼女は非常に奔放で、宮殿中の男達の要求に応えていたことが分かった。
ここで問題になったのは、子の父親である。
アルスやフィアードであれば然程問題ではないが、もしダルセルノの子であった場合、女帝の兄弟となるのである。
当然、侍女として扱う訳には行かなくなる。
出来てしまったものは仕方がないが、今後、このような事が起こらないようにと、ダルセルノ以下三名はダイナにより宮殿内での自由な関係を禁じられてしまった。
それから一ヶ月が過ぎた頃、ダルセルノはアルスとフィアードを自室に呼んだ。
「久しぶりに、食事を一緒に取ろうと思ってな。……大丈夫じゃ。この辺りでは信頼の置ける店じゃ」
男だけの宴……それが何を意味するのか分からない訳ではないが、襲撃からまださほど日が経たない内に、余所者を宮中に入れる心理が理解出来ない。
だからと言って逆らえる訳でもなく、フィアードは彼の部屋に足を運ぶ事になった。
三人は大きめの食卓に腰を下ろし、料理の到着を待った。
「マダム・ヴォルフ様のご到着です」
侍女が客の来訪を告げると、ダルセルノの顔がいやらしく綻んだ。
「よし、通せ!」
豪奢な金髪巻き毛の派手に着飾った女が入室し、恭しく一礼すると、次々と大きな荷物が運び込まれてきた。
荷物が全て入ると侍女達を下がらせる。
「ほお、お主が……」
「お初にお目にかかります。猊下。今日は当店自慢の最高の料理をお持ちしましたわ」
マダムの合図で大きな荷物が紐解かれ、中からは艶やかに着飾った女達が現れた。
「ローザ、ジョーヌ、ノワール、ヴェール、ビアンコ、ブラウ」
マダムは一人一人を紹介しながら、身につけた衣装を崩して肌を露わにする。
「どの娘でも、お好きなだけお召し上がり下さい」
マダムが艶然と微笑むと、女達が一斉に男達の元に跪いた。
◇◇◇◇◇
「不潔だわ!」
ダイナは父親が食事と称して何をしているか気付いていた。
フィアードやアルスまで巻き込んで乱痴気騒ぎをするつもりなのだ。
確かに、彼等は遷都してから特に忙しく、襲撃まであって体を休める暇もなかった。たまには休息も必要だろう。
しかし、それとこれとは話は別だ。
自室に閉じこもっていると、嬌声が聞こえてきそうで気分が悪くなる。
ダイナはサーシャを伴って中庭に散歩に出る事にした。
「サーシャ、どうしたの?」
二人で花を摘んでいると、サーシャが険しい顔でダルセルノの部屋の窓を見上げている。
「もう、放っておきましょうよ」
「ダイナ様、ちゃんと見て下さい」
その真剣な声にダイナはサッと緊張した。少し意識をそちらに向けると、彼女の視界は一気に開ける。外からわざわざ呼び寄せた娼館の女達。そこにあの少女の姿が見えたのだ。
しまった! まさか堂々と侵入してくるとは。しかも、彼等が警戒する未来見の使い手が女性であることを逆手に取り、このような破廉恥な方法を選ぶなんて。
「どうしよう……でも、私……」
何処かに刺客が潜んでいる筈だが、気分が悪くなり、それ以上見る事が出来ない。
ダルセルノやアルスならともかく、フィアードまでもが娼婦達と閨を共にしている姿など耐えられない。
先日の誘惑ですら相手を殺しかけたのだ。ましてや、現場に踏み込むなど、宮殿ごと崩壊させてしまいそうだ。
「ダイナ様はお部屋でお待ちください。……私が参ります」
サーシャの顔色も良くない。だが彼女は気丈にも腰の剣を確かめ、キリッと唇を引き締めると、夫の部屋に向かって走り出した。
「サーシャ!」
呼び止められて振り返った。
「はい」
ダイナは目を細めた。
「白い髪の女のことは……任せるわ」
◇◇◇◇◇
女達は衣をはだけて男達にまとわりついてきた。
ダルセルノは鼻の下を伸ばし、早速服を脱ぎ捨てて娼婦達の輪に入り込んでいる。
アルスには一人の娼婦がベッタリと張り付き、彼の服を剥ぎ取ってその鍛え上げられた筋肉をうっとりと触っていた。
フィアードは初めこそ冷静を装いながら壁際でその様子を見ていたが、甘い女の匂いが凄まじく、熱を帯びてくる身体を鎮めようと目を伏せた。
嬌声と淫靡な音が響く中、フィアードは耐えかねて目を開けた。
目の前で繰り広げられている痴態に眉を顰めながらも、我慢している自分が滑稽に思えてきた。
ダルセルノの相手は二人の娼婦。
そしてアルスに張り付いていた娼婦が彼に馬乗りになり、激しく腰を振っていた。アルスの身体を他の二人の娼婦が弄んでいる。
あまりにも激しい動きに、アルスに抱かれている娼婦の鬘がズルリとずり落ちた。乳白色の髪がこぼれ落ち、フィアードは息を飲んだ。
あの少女だった。
まずい、奴等の作戦だ。フィアードはクラクラと痺れそうな頭で周囲を見渡す。娼婦は確か六人いた筈だ。
だが、さっき数えた時は五人。あと一人は何処に……。
ぐるりと部屋を見渡し、反対側の壁際に佇む少女に釘付けになった。
娼婦の衣装に身を包んではいるが、身に纏う気配は鋭く、戦い慣れた者の気配だ。
この酒池肉林の中ならば気付かれないと思っているのか、その空色の目から放たれる殺気はダルセルノに向けられていた。
マダム・ヴォルフは某ミュージカルのオマージュです。