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女神の帝国 〜想いの迷宮〜  作者: 倉原晶
第一章 碧と皓の軌跡
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6 碧と皓の軌跡

 白髪の少女がフワリとフィアードの前に降り立った。ジリジリと歩み寄り、屋根に投げ出されているフィアードの両足を跨ぐように座り込む。クンクンと匂いを嗅ぐようにあどけない顔を近付けてきた。


 ダイナは自分とあまり変わらない容姿でありながら、その少女が放つ異様な艶めかしさに明らかな不快感を覚えて身震いする。


「……お前……何者だ?」


 フィアードは丸腰であることを後悔した。少女の柔らかい肉体の感触に全神経が集中してしまうのが腹立たしい。鼻腔をくすぐる甘い香りに酔いしれながらも、必死に理性を保とうとする。


 そんなフィアードを嘲笑うかのようにヒバリは赤い唇を吊り上げた。


「ふふっ。私は貴方達を知ってるわ。神の化身、女帝のダイナ様、薄緑(みどり)の欠片持ちで女帝の側近、フィアードさんでしょ?」


 くすくすと笑いながらフィアードの身体に触れようと伸ばした白い手を、ダイナの手が跳ね除けた。


「汚い手でフィアードに触らないで!」


 漆黒と白銀の双眸でヒバリを睨みつける。その迫力に気圧されることもなく、ヒバリは悪びれずにダイナにニコリと笑い掛けた。


「……そうそう、貴女にお願いがあるの」


「なっ……!」


 この魔人は自分の立場を分かっているのだろうか。ダイナは怒りで肩を震わせた。


「私の身内がこの塔に囚われているのよ。尊き神の化身ともあろうお方が、魔人を幽閉して奴隷のように扱うなんて、如何なものかと思うのだけど?」


 至極真面目な話をしているのかと思えば、その手はフィアードの身体を撫で回し、細い腰を物欲しそうにゆるやかに振っている。苦しげに顔を顰めるフィアードの手がいつの間にかその腰に添えられていた。

 それに気付いたダイナの頭が真っ白になる。


「お前……私を馬鹿にしてるの? フィアードから離れなさい!」


 薄緑色の髪が舞い上がり、沸き起こった圧倒的な力がヒバリの身体を引き剥がす。そしてその細い身体を有無を言わさずに空中に放り出した。


「きゃあっ!」


 ヒバリは咄嗟に空中で風を起こそうとするが、精霊から切り離されてしまい、魔術が使えない。

 ダイナは驚愕に目を見張るヒバリを睨み付ける。


「ざまあみろだわ!」


 このまま地面に叩きつけてやろう、と思った時、巨大な竜巻が沸き起こり、ヒバリの身体を上空まで巻き上げた。


「なっ……!」


 もう一人いたのか! 空色の人影がヒバリを追うように巻き上げられる。咄嗟に反応出来ず、ダイナが悔しそうに空を見上げた。


「……何だ……?」


 朦朧とする中、突然の突風にフィアードは顔を上げた。


 高い位置で結い上げた空色の髪を舞い上がらせ、空色の目の少女が竜巻の中からこちらを向いた。

 空色とハシバミ色の視線が一瞬交わったような気がしたその直後、ゴオッと強い風に煽られ、フィアードは咄嗟にダイナを引き寄せた。

 不安定な屋根の上、吹き飛ばされそうになりながら、ダイナはその腕にしがみつき、耳を劈くような風の音から逃れるように固く目を瞑った。


 しばらくすると風が止み、何事もなかったかのように夜の帳が下りてきた。


 ダイナは瞑目したまま、唇を噛み締めていた。なんだったのだ、あの少女は。あんな穢らわしい身体でフィアードに触れるなど、とんでもない話だ。

 だが、それでもフィアードの男を呼び起こしていたことが悔しい。決して自分に向けられない表情を垣間見てしまった。

 それが悔しくて、情けなくて、半ば妬けになってささやかな胸をフィアードに押し付ける。


 フィアードは押し付けられるダイナの身体に少し焦りを感じていた。

 生まれた時から知っている、妹よりも幼い存在だった彼女の胸の膨らみが、先程刺激された衝動を呼び起こしそうな気がしてならない。


「ダイナ様……、そろそろ戻れますか?」


 心の動揺を悟られないようにやんわりと彼女の身体を離し、向き合って顔を覗き込む。

 ダイナは少しガッカリした後、恥ずかしそうに目を開けて小さく頷いた。


 ◇◇◇◇◇


「おい! 起きろ!」


 扉を乱暴に叩く音でフィアードは目覚めた。今度は何だ、と身体を起こそうとする。


「きゃっ!」


 小さな悲鳴と共に、全裸の女が毛布と共に寝台から転がり落ちた。

 ああ、そう言えば、身体の疼きをなんとかしたくて、昨夜はこの女を引き込んだんだった、とボンヤリ考えながら、例のごとく右手を動かして扉を開ける。


「おっと……、お、ハーミア……」


 同じ轍は踏むまいと踏ん張ったアルスは床で毛布にくるまっている女を見て目を丸くした。


「……おはようございます……」


 ハーミアは真っ赤になると慌てて服をかき集め、毛布に包まったまま、パタパタと部屋を出て行った。


「……珍しいな。部屋に引き込むなんて……」


 その後ろ姿を見送りながら、アルスは肩を竦めた。特に思い入れがある女ではないので悋気は無いとは言え、流石に呆気に取られる。


「ああ……昨日はちょっとな……」


 気まずそうに髪をかき上げ、フィアードはアルスに向き直った。


「今度は何だ?」


「北の塔がもぬけの殻だ」


「なんだって?」


 思わず大きな声を出してしまい、フィアードはすぐに姿勢を正して誤魔化した。

 おかしい、結界を張っていた筈だ。フィアードはそのハシバミ色の目を細め、塔の中を見た(・・)

 複雑な作りの塔の中、魔人達を捕えていた部屋の扉の鍵は壊され、誰もいなくなっている。

 警備に当たっていた兵士達はことごとく斬り伏せられ、生存者はいない。


 一体いつ、どうやって魔人達が逃げ出したのだろうか。


「……あ……あの時か……」


 白髪の少女の顔が浮かぶ。あの一瞬、結界が綻んだ。すぐに修復したつもりだったのだが、その時に忍び込んだ何者かが内部から遠見(とおみ)を阻害していたと考えられる。


「……やられたな……」


 また虚を衝かれた。フィアードは苦虫を噛み潰したような顔で腕を組む。


「ダイナ様も一緒だったんだろ? 今、猊下に弁明してるぞ。お前もちゃんと説明に行け」


「ああ……」


 フィアードは舌打ちしながら着替え、ふと気になったことを口にする。


「なあ……未来見(さきみ)で分からないから、敵は無計画な筈……でも、その割には準備が周到だよな。

 兵舎にしても、塔にしても、内部はそれなりに複雑だ。そんなに手際良く動ける筈がない。

 ……まるで内通者がいるみたいだ」


 フィアードの言にアルスの動きが止まる。その余りにも分かりやすい反応に、フィアードはジロリとアルスを見た。


「心当たりがあるのか?」


「……」


 どうやら当たり(ビンゴ)だ。その赤銅色の視線が宙を彷徨っている。


「猊下に申し開きすることだな」


 アルスが反論しようとした時にはもうフィアードの姿は無かった。

 アルスの背中に冷たい汗が流れた。


 ◇◇◇◇◇


「ただいま〜」


 疲れ切った空色の髪の少女が扉を開けて、小屋の中に転がり込んできた。


「あ、お疲れ様。ツグミ」


 白髪の少女が駆け寄り、今や同志と言える疲れ果てた少女に治癒を掛けてやる。


「……おおきに」


 ツグミは肩を片方ずつ上下させて身体の状態を確かめた。大分楽になった様子を見て、ヒバリは首を竦めた。


「無理させてゴメンね」


「ホンマやわ。うち、魔力すっからかんやったのに、まさか女帝に喧嘩売るなんてな……」


 ヒバリに手渡された杯の水を飲み干し、ふうっと溜め息をついた。

 初めて神の化身の力を見て、その恐ろしさに身の毛がよだった。精霊を完全に切り離されたら、彼らには打つ手立てがない。

 しかし、彼女の助けがなければ確実に命を落としていたことが分かっていながら、ヒバリには反省の色がない。


「だって……せっかくだから、直接お願いしたかったのよ」


「女帝の目の前で、女帝の男を誘惑しながら、何をお願いするつもりやねん! アホか!」


 怒って当たり前だ。誘惑するなら誘惑する。お願いするならお願いする。どちらかにして欲しい。


「えっ? あの欠片持ちって、女帝の恋人なの?」


「せやろ。ずっとベッタリやで?」


 小鳥の姿でも怖くてあまり近付けないが、二人で寄り添っている事が多い。少なくとも、女帝があの男を気に掛けていることは分かる。


「そっか、だから怒ってたのね」


 ヒバリは肩を竦めて、ツグミの身体を清めてやる。湯浴みをしたかのようにサッパリとするので、中々便利だ。


「それで、(しろ)の皆は?」


 ヒバリが用意した朝食を食べながら、ツグミはコクコクと頷いた。口の中の食べ物を飲み下してから答える。


「全員川に逃げたで。これで追跡は巻けるやろ」


 そろそろ帝国が気付く頃であろうが、流石に水の中まで追ってくることはあるまい。


「ありがとう」


 ヒバリは曖昧な表情で微笑んだ。実際、(しろ)の村にはあまりいい思い出がない。

 彼女は族長の無茶な作戦に乗っただけで、命まで掛ける必要があったかは分からない。


「あ、それからな……」


「なに?」


「あんたに手紙や」


 ツグミは懐から紙片を出してヒバリに渡した。


「あ……ありがとう……」


 受け取るヒバリの手が震えていた。口元には笑みが浮かんでいる。

 ツグミは手紙を手渡した、この少女にそっくりの(しろ)の少年のことを思い出した。


「……そっくりなんやな。せっかくやから会うたったら良かったのに……」


「会わない方がいいのよ……」


 ヒバリは悲しそうに微笑んだ。

 ツグミは彼女の置かれている立場を考え、これ以上余計な事を言わないようにした。


 食事をしているツグミの横で、ヒバリは手紙を広げて読み始めた。


 ツグミが食べ終わると、ヒバリは手紙を畳んで懐に仕舞い、そっと胸に手を当てた。


「ごちそうさん、じゃ、うちちょっと休むな」


 魔力切れの状態で無理してヒバリを助け、夜通し(しろ)の魔人達の脱走の手引きをしたのだ。疲れていない訳が無い。

 ヒバリはツグミの食器を片付けながら、ふと口を開いた。


「あのね、ツグミ。私は(しろ)の族長からの依頼はこなしたと思うの」


「せやな」


 部屋の隅にある寝台に潜り込みながら、ツグミは相槌を打った。


「だから、今度は貴女の番よ」


 ヒバリはニコリと笑いかけ、ツグミの寝台に腰掛ける。

 突然の申し出にツグミは戸惑い、眉を顰める。


「……何の話や?」


「何か目的があるんでしょ? じゃないとこんな危険なこと、する理由がないわ」


 冷静な時のヒバリは中々鋭い。ツグミは苦笑した。

 ヒバリはツグミの隣に俯せになる。頬杖をつきながら、ツグミを覗き込む。


「ね、どうしたいの? 誰か殺したいんじゃないの? 女帝? 側近?」


 剣呑な事を言っているとは思えないような口調で冗談めかす。


「言わなあかん?」


「貴女の力になりたいのよ」


 ヒバリの言を受けて、ツグミは身体を起こし、大きく息を吸い込んだ。吐き出しながら、憎い男の名を告げた。


「……ダルセルノや……」


 ヒバリも身を起こして目を細めた。


「あの……父親ね……」


「せや」


「結局、実権は彼が握ってるんでしょ? それって、ダルセルノさえいなければ、帝国そのものは認めるってこと?」


「うちは別に誰が皇帝でもかまへんねん。でも、あいつだけは……許されへんのや……」


 色々と問題はあるが、通貨の設定や農地改革など、それなりに世界をまとめている手腕は大したものだ。


「これはな……私怨や。だから、あんたはもう降りてええで……」


 ツグミが自嘲気味に笑う。


「その方が気になるわね。……何があったの?」


 ヒバリはツグミの顔を覗き込んだ。

 ツグミは観念したように瞑目すると、一言一言を噛み砕くように言った。


「……あいつはな、うちら(・・・)の弟子の仇なんや……」

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