4 碧い死神
部屋で眠る兵士達を片付けたツグミは深く溜め息をついた。
これだけ多くの命を摘んだのは初めてで、吐き気がする。魔力もかなり使ってしまい、半分朦朧とした状態で廊下を歩いていた。
「……そや……ヒバリ……」
先ほど大部屋に入って行った少女のことを思い出し、ノロノロと階段を上がった。寝息すら聞こえない恐ろしいまでの静寂の中、大部屋からだけ物音が聞こえてくる。
ツグミは扉を開けると、むせ返るような男女の匂いに顔を顰め、そして、凄惨な光景に釘付けになった。
数人の男が恍惚とした表情で全裸のまま床に倒れており、更にその奥には男が群がっていた。
激しい息遣いと粘着質な音、肉を打つ音が部屋中に響き渡る。
「……え……?」
男達の中心には白髪の少女がその細い身体の全てを使って男達を咥え込んでいた。興奮した男達の激しい動きに、乳白色の髪が舞う。
「……な……」
分かっていたのに……現状を目の当たりにしてそのおぞましさに鳥肌が立つ。
彼女の父を知っている……抗い難いあの欲情を。だが、これは……。
「ヒバリから……離れんか!」
ツグミは激情のままに力を解き放った。
空色の髪が舞い上がり、無数の風刃が縦横無尽に部屋中を飛び交う。
鮮血が噴水のように噴き上げて天井や壁を赤く染め、男達は訳が分からないままに切り刻まれ、床に伏していく。
酒瓶が粉々に砕け、中の酒が床をしとどに濡らす。
ズルリ、と力を失った男達の腕からヒバリの白い裸体が滑り落ちるのを見てツグミは我に返った。
「ヒバリ!」
駆け寄ってその身体を受け止め、傷がないか確かめると、寄りかかってくる男達の死体を弾き飛ばした。
ヒバリは意識を失ってはいるものの、息はあるようだ。
自分は何という事をしたのだろう。こうなる事が分かっていながら、何故彼女をこの部屋に入れてしまったのか。
空色の目に涙が溢れる。何故、彼女をこんな目に合わせなければならないのだろう。
血と酒と性の匂いに気が遠くなりそうだ。
一刻も早くここから立ち去りたい。ツグミは落ちていた衣類をヒバリに掛けて抱き上げると、眼前の壁を睨みつける。ブワッと足元から風が巻き起こった。
「邪魔なんじゃ!」
圧縮した空気の塊を石造りの壁に叩きつけると、凄まじい爆音と共に組み上げられた石が粉々に吹き飛んだ。
人が通れる程の大穴がポッカリと開いた。夜の風が吹き込んでくる。
さあ脱出しようと足を踏み出そうとして、ツグミはヘナヘナとその場に崩れ落ちてしまった。
目の前がグルグルと回っている。
「あ……ヤバ……」
魔力を使いすぎた。これでは脱出は出来ない。
しかも先ほどの爆音で、きっと他の区域にいる兵士達にも勘付かれてしまっただろう。
ツグミが観念して目を閉じると、風を切る羽音が近付いてきた。
「でかい音立てるな! ボケ!」
大穴の向こうから怒鳴りながら一羽の鷹が飛び込んで来る。この作戦の相方でもある碧の青年だ。
「ノスリ! あかん!」
この上、彼がこの少女に襲い掛かるのは勘弁して欲しい、と慌ててヒバリを自分の陰に隠すが、ノスリはそれよりも部屋の惨状に息を飲んでいる。
「これは……派手にやったのお……」
「……大丈夫なんか?」
変身が解ける様子もない。ノスリは至って冷静だ。
「何がや?」
どうやらヒバリの意識が無ければ大丈夫なのかも知れない。それならば、なおのこと、今のうちにここから脱出しなければ。
「ここの兵士は全部片付けてんけどな……魔力切れや。悪いけど運んでくれへんか?」
ツグミの言葉にノスリは一瞬ムッとしたが、ハアッと溜め息をついて頷いた。
「……しゃあないのぉ」
ノスリは人型に戻ると、軽々とヒバリを抱き上げた。ツグミはその肩に両手を回す。
「お前ほど上手ないからな、ちゃんと掴まっとけや」
ノスリは壁の大穴から一気に飛び降り、そのまま風に乗った。
自分で言うように人を運ぶのは苦手らしく、不安定なままフラフラと空中を移動するのは非常に心細かった。
ノスリはなんとか都近くの丘に二人を下ろすと、再び鷹の姿になって空に舞い上がった。
「おおきに。……次に動く時も直前の連絡になるよって、よろしくな」
「はよ、あいつの仇を取らせろや」
ノスリは憮然として呟き、夜の闇に消えて行った。
ツグミはヒバリを抱え、ノスリが準備していた小屋に入った。中には着替えや食料が揃っている。
固く絞った手拭いでヒバリの身体を拭いてやる。白い肌の至る所に痣が出来ていて、ツグミの心を締め付ける。
寝間着を着させてやり、寝台に寝かそうとすると、ヒバリがゆっくりと目を開けた。
「んっ……」
ヒバリは焦点の合わない目でツグミを見て、ニイッと笑った。
「……上手くいった?」
「アホ! あないに仰山相手しおって! ぶっ壊れるやろ!」
思わず怒鳴ってしまった。
あの部屋には十一人もの兵士が屯していたのだ。それを知っていれば、彼女を一人であの部屋に入れなかったのに。
ヒバリはあの惨状を思い出してフッと笑った。
「ふふ……。壊れそうなのも……いいものね……」
「……あんたなぁ……」
心配した自分が馬鹿だった、と思う程ケロリとしている。ツグミは脱力して溜め息をついた。
「それで、ツグミの方は上手くいったの?」
ヒバリはゆっくり身を起こして、自分に治癒を掛けている。やはり節々に無理はあったのだろう。
「ああ。北の兵舎は全滅や。流石に帝国も動くやろ。それで、これからやけど……」
言い掛けたツグミの唇をヒバリの白い指が塞ぐ。
「考えちゃダメ。作戦立ててもダメよ」
「……せやけど……」
「返り血でドロドロじゃないの」
ヒバリが念じるとツグミの身体をフワリと霧が覆い、返り血や汗を洗い流した。白髪の少女はニコリと微笑んだ。
「はい、綺麗になったわ。……私の事は気にしなくていいのよ。どうせそれしか出来ないんだし。ちゃんと役目が果たせて良かったわ」
「ヒバリ……」
「それに……私ばっかりいい思いして、貴女に損な役回り押し付けてごめんなさいね……」
うっとりとした表情で笑うヒバリを見て、ツグミは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「あれが……いい思い……なん?」
「ふふっ……」
ヒバリは頬を赤らめ、トロンとした顔で小さく頷いた。
どうやら、本人は大変いい思いをしたらしい。ツグミは理解の範疇を超えた好き物ぶりに呆然とし、その一見清純そうな少女の顔を見つめていた。
◇◇◇◇◇
ダルセルノの自室に移動して話を聞いた二人は、ゴクリと息を飲んだ。
しばらく考えて、フィアードが重々しく言葉を発する。
「……実行犯は碧の男女と見て間違いなさそうですね」
「ちょっと待てよ!それじゃあ……その白い髪の娘は、囮ってことか?」
アルスはそのおぞましい作戦に眉を顰める。起きている兵士を足止めする為に少女に色仕掛けさせるとは……!
「分からん……。ただ、酒盛りをしていた兵士どもがその娘を見た途端、我先にとこぞって犯しておったようだ……」
ダルセルノの能力では、自分の立ち位置でのみ過去を見ることが出来るのだ。先ほどの距離では詳しい事は分からない。
フィアードは簡単に場所を変えた彼の判断に腹を立てながらも、聞いた情報を整理していく。
ダルセルノ付きの侍女が三人分の朝食を運んで来たので、フィアードとアルスは部屋の隅の長椅子に並んで座った。
「でも……十一人もいた兵士全員が夢中になるのは、いくらなんでもおかしいよな……」
フィアードの言にアルスは深く頷いた。中には妻帯者もいた筈だ。男所帯であるので、同性を好む者もいたと考えられる。
「そうなんじゃ。しかも、娘は喜々として受け入れておる。何らかの暗示か……」
ダルセルノは肘掛け椅子に腰を下ろし、朝食に添えられた果汁を飲む。
「あるいは薬か何か……」
フィアードは自分の知識を総動員して考えるが、そのような魔術は聞いたことがない。恐らく薬の類であろう。
「それにしても……恐ろしい刺客じゃな……。サーシャには相談も出来やしない……」
ダルセルノの顔色が悪い。あの現場にサーシャが行っていたら、そしてこの話を聞いていたらと思うと、ゾッとする。
「サーシャが気付いていなかったということは……この作戦を立てて実行したのが、彼女の就寝後……ということになりますが……」
「そんな僅かな時間で、これだけの事をしでかしたのか……」
ダルセルノは杯を置いて腕を組む。
「……何が目的だ?」
「その少女……乳白色の髪ということは皓の魔人ですよね」
二人は朝食に手を付けない。ダルセルノはそれに気付かず、目の前の問題に夢中である。
「そうか……北の塔か……」
「恐らく」
フィアードが頷くと、ダルセルノは難しい顔をする。
「奴らがいないと、帝国は病に滅ぼされる……」
「……特効薬が見つかったと聞きましたが?」
「日輪草か……。栽培が追いつかん。それより皓の魔人を派遣する方が早いからな……」
「……魔人に協力要請すれば良かったんじゃ……」
空腹に苛立ったアルスが口を挟んだ途端、彼はフィアードとダルセルノの双方から鋭い目付きで睨みつけられて、二の句が継げなかった。
「では、私はこれから重点的に北の塔を見張ります。
俺が東の兵舎に泊まるので、しばらくアルスは西の兵舎に寝泊まりしてくれるか?」
フィアードはチラリと隣のアルスを見た。その淡々とした物言いにアルスは仰け反る。
「……おう」
「異変があれば狼煙を上げる。でいいな」
「……おう」
「ふむ。ではわしは……」
ダルセルノは一人だけ食事を終えて口元を拭う。フィアードは口調だけは丁寧に、冷ややかに言った。
「いつも通りで。結界を二重にしておきます」
「頼んだぞ」
二人は長椅子から立ち上がると、軽く一礼してダルセルノの部屋を辞した。
廊下を歩きながら、アルスは赤毛をガシガシと掻く。
「くっそ、腹へった……。あいつ、一人だけ食いやがって……」
「お前は食えばいいだろ」
フィアードが言うと、アルスは人差し指を突き付けた。
「お前が手を付けないのに食えるかよ!」
一応、フィアードは女帝の側近、アルスは護衛である。立場を考えたのだ。
「ああ……それは悪かったな。……でも、よくあんなの見て食う気になるな……」
フィアードは兵舎の惨状を思い出して顔を顰めた。思い出すだけで吐き気がする。
アルスはそんなフィアードを見てケラケラと笑う。
「へぇ……結構な修羅場をくぐって来てると思ってたけど、意外と甘ちゃんだな、お前。戦場でそんな事言ってたら、すぐに死んじまうぜ」
「……悪かったな……」
実戦経験の無さを指摘され、フィアードは憮然として歩みを早めた。早くこの能天気な男と離れたい。
「それよりよ、ハーミアのことだけど……」
すぐに追いついて来たアルスに唐突に切り出され、フィアードは首を傾げた。
「ハーミア?」
「……お前、名前くらい覚えてやれよ」
アルスは溜め息をつく。
「ああ、あの侍女か」
そう言えばそんな名前だった、と思い出すが、顔も殆ど思い浮かばない。
何度も身体を重ねた割には記憶に残らないつまらない女だ、と結論付ける。
「お前、なんか酷い事言ったらしいな。そもそもお前は、女に対してだな……」
どうやら泣き付かれたらしいアルスはくどくどと説教を始めた。
フィアードは心底不愉快な顔でアルスを睨みつける。
「それが?」
言っても無駄だ、そう悟ったアルスは言葉を切り、ハアッと息をついて肩を竦めた。
「……いや、もういいよ……」
元気をなくしたアルスを見て、フィアードはニヤリと笑って窓の外を指した。もう大分日が高く上がっている。
「そろそろ陛下の散歩の時間だぜ? 大丈夫か?」
「げっ! マジか!」
週に一度の散歩を楽しみにしている女帝を待たせる訳には行かない。アルスは慌てて走り去った。
「……うぜー奴……」
フィアードはその後ろ姿を見送りながら、ポツリと呟いた。