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女神の帝国 〜想いの迷宮〜  作者: 倉原晶
最終章 たまゆらの花嫁
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24 たまゆらの花嫁

 ようやく綻び始めた蕾のような少女が幾分緊張した面持ちで真新しい寝台に横になっていた。

 美しく結い上げられていた薄緑色の豊かな髪は解かれて広がり、寝台を彩っている。


 細い肢体を覆っている花嫁衣装の下からは、白磁の肌が覗いていた。


「綺麗ですよ……」


 父親から暴力を受けたのではと心配していたが、どうやら痕が残るようなことは無かったようだ。


 青年の繊細な指が衣装をはだけ、ゆっくりとまだ若いそのきめ細やかな肌を堪能していると、少女が震える声で言った。


「……恥ずかしいから……そんなに見ないで……」


「そんな……勿体無いですよ」


 青年は恥じらう少女を愛しく思い、その唇に自らのそれを重ねた。

 少女の動悸がその可愛らしい胸を震わせ、青年の気持ちを昂らせる。

 青年が少女をそっと抱き起こしてスルリと衣装を剥ぎ取ると、その中からはシミひとつない美しい肌が現れた。

 余りにも穢れの無いその肌に圧倒され、いつもならば胸元に必ず付ける赤い所有の証を付ける事に躊躇してしまう。


「……フィアード……私だけなんてズルい……!」


 真っ赤になった少女が色違いの目で恨めしそうに青年を見上げていた。

 自分だけが肌を晒しているのは不公平だ、と目で訴えられ、フィアードは苦笑する。確かにその通りだ。


 フィアードはダイナをそっと横たえ、枕元の燭台の蝋燭を吹き消した。寝所は闇に包まれる。


「フィアード?」


「これなら恥ずかしくありませんね?」


 フィアードはそのまま少女の細い肢体を抱き締めた。


「そうじゃなくて……」


 戸惑うダイナの手がフィアードの着衣に伸びる。


「生地が当たって痛いの……」


 ドキリ、として慌てて身を起こす。

 今まで抱いてきた女達の誰にも肌を見せていない。行きずりの経験豊富な女ばかり相手にしてきたので、それでも問題はなかったのだ。

 しかし、彼女は明らかに初めてである。いきなり着衣のまま抱かれてはその玉のような肌が傷んでしまうだろう。

 何よりも彼女は今日から妻となったのだ。


「そうですね……、すみませんでした」


 今宵は月も雲に隠れている。灯りも消したので見える事はないだろう、と、フィアードは自らも服を脱ぎ捨て、少女の首筋に口付けた。


「ん……」


 少女は恥ずかしそうに青年の背中に手を回した。

 その時、運命の悪戯か、一瞬雲が切れて月明かりが彼の背中を照らし出した。


「……え……?」


 ボンヤリと目を開けた少女の目に信じられない物が写った。

 罪人の証であるVの字の焼印。それだけならば分かるが、それが五つ、連なっているではないか。

 そして、背中に縦横無尽に走る無数の傷痕。


 このまま見て見ぬ振りをしてしまいたい、そう思い目を瞑るが、青年の指が少女の胸の先端に触れた瞬間、思わず身を引いてしまった。


「……!」


 フィアードは少女を怯えさせてしまったのかと慌てて動きを止めた。


 ダイナは恐る恐るフィアードの身を起こして、目を見張った。その気になれば彼女の目は闇など関係なく見る(・・)ことができる。

 胸に腹に、傷痕は無数に刻まれていた。


「……フィアード……これは……」


 少女の視線に気付き、フィアードは身体を起こして寝台に座り直した。


「……すみません……。お見せするつもりは無かったんですが……」


 フィアードは苦々しい顔でダイナを見る。彼女の目を誤魔化す事は出来ない。いずれこうなる事はなんとなく分かっていた。

 先程までの熱はすっかり冷め、ダイナの顔色は真っ青だ。


「……その傷……もしかして……」


「ダイナ様、もう過ぎた事です」


 やはり見せるべきでは無かった。フィアードは深い溜め息をついた。


「背中の焼印は……」


「弟達を庇っただけですよ。お陰で彼らは普通に奴隷として暮らしている筈です」


「でもっ、そんなに沢山……」


 一つでも充分苦しい思いをする筈だ。五つも焼印を受けるなど、生き地獄のようなものではないか。


「ちゃんと治療していただきましたよ」


「そういう問題じゃないじゃない。それに、どうしてそんなに傷があるの? 痕が残るなんて……!」


 フィアードは言葉に詰まった。


「お父様なのね……」


 ダイナの声が震えている。


「ダイナ様……?」


 フッとその姿が消える。

 フィアードはギョッとして寝台から飛び降り、慌てて服を身につけた。

 毛布を掴み、遠見(とおみ)で彼女の姿を探す。ダイナは一糸纏わぬ姿で何処かへ転移してしまった事になる。

 もし家人や客に見つかったら大事だ。焦る気持ちを抑え込み、目を皿のようにして屋敷中を見て(・・)回る。


「……居た!」


 少女が姿を消してから数分でその居場所を見つけられたのは幸運だった。周りに人影はない。フィアードは迷わずに彼女の元に転移した。


 ◇◇◇◇◇


 宴の余韻に浸っている都民の中にその青年はいた。

 黒髪の青年は浮かれている都民達を冷ややかに眺めながら、ようやく見つけた従弟ーー警備に当たっている赤毛の青年の肩を叩く。


「忙しそうだな、アルス」


 赤毛の青年は振り返り、すぐに人懐こい笑みを浮かべた。


「お、いつから来てたんだ?」


「丁度一週間前に来た。お前がここで働く事になったって親父さんから聞いてな。様子を見に来ただけだ」


「割といい都だろ?」


「そうか? 俺には閉鎖的に感じるけどな」


 従兄の毒のある言葉にアルスは肩を竦める。


「まあな。でもあっちの村ほどじゃないだろ? お前も一緒に働かないか? どうせ居場所もないんだろ?」


「……もう少し様子を見てから決めるさ」


 黒髪の青年はその空色の目を細め、女帝達が暮らす屋敷を眺めた。


「女帝と結婚した欠片持ち……何て名前だ?」


「ん? フィアードのことか?」


「そいつの噂がちょっと気になってな……」


 アルスは眉を上げた。そう言えば、一部の連中からはあまりいい噂を聞かない。


「へぇ……、どんな噂だ?」


「いや、その父親の名前を聞いたことがあるだけなんだが……。ま、一応報告に行って来る。またな」


 黒髪の青年は何かを自己完結して、従弟の青年背中を叩き、夕闇に消えて行った。


「……おう、またな!」


 アルスは首を傾げて従兄を見送った。


 ◇◇◇◇◇


 ダイナは今は物置になっている離れにある座敷牢に転移した。しばらくフィアードに部屋として与えられていた所だ。

 幼心に、なぜ自分と同じ髪色で、神に連なる者が、このような座敷牢で暮らしているのか理解できなかった。

 しかし、罪人の子だから、という理由でなんとなく言いくるめられ、詳しい事情など聞く事すら思いつかなかったのだ。


 ダイナは座敷牢で一体何が行われていたのか、どうしても知らなければならないと思った。

 様々な荷物が溢れ返る部屋全体を見渡しながら、ゆっくりと右目に意識を集中させると、何もない部屋に、まるで少女と見まごう程に線の細い少年が壁に両手を繋がれている姿が映った。

 少年が身に纏っているのはただの布切れで、殆ど裸に近い状態だった。

 その隙間から覗いている肌は赤く腫れ、所々から血が滲んでいる。


 若き日の父親が鞭を持って現れ、少年を容赦無く打ち付ける。反抗的な目を向けると殴る蹴るの暴行も当然のように行われた。

 傷口に何かを塗り、苦しみ悶える少年に唾棄する。爪の間に針を刺して嘲笑する。そして焼印の痕に更に赤く燃える炭を押し付ける父親の醜悪な顔に吐き気を覚えた。


「……な……!」


 余りにもおぞましい拷問の数々に、ダイナは震えが止まらなくなった。


「……ダイナ様……、見て(・・)しまったんですね……」


 ダイナが震えながら立ち尽くしていると、フィアードは持ってきた毛布をその肩に掛けた。本人は自分が何も身につけていないことにすら気付いていなかったようだ。


「ねぇ、あれはどういうこと?」


「何をご覧になったのか分かりませんが、見たままの事です……」


 出来ることならばもうここには来たく無かった。傷痕が疼き、記憶の淵に沈めていた暗い衝動が蠢く。


「だって……」


「俺が親父と同じ目的を持ってないか知るために、ありとあらゆる拷問を受けました。その結果、俺が何も知らなかったので、家人として仕える事になったんです」


「……いつまで?」


「お父上がサーシャと再婚されてからは無くなりましたよ。サーシャが庇ってくれたので……」


「でも、それって……」


「だいたい五年間ですね。その間で、俺は嫌という程自分が罪人の子だと痛感させられました……」


 少女の肩が震えている。

 彼女の好意に甘えて一緒になる事で、自分の立場も取り戻す事が出来るかと思ったが、そうは問屋が下ろさないようだ。


「ですからダイナ様、やっぱり俺みたいな男とは一緒にならない方が……」


「……せない……」


 ダイナは震える拳を握り締めている。今見たばかりの少年の姿が胸を締め付ける。


「……ダイナ様?」


「許せない!」


 無抵抗の人間を嬉々としていたぶるような男に力を貸すことを誓ってしまった自分も許せない。

 ダイナの感情が昂り、薄緑色の髪がフワリと舞い上がる。漆黒と白銀の光が迸り、空間に歪が広がった。


「ダイナ様!」


 フィアードは慌ててダイナの周りに結界を張る。

 自分ごときの力で止められるとは思えないが、何もしないよりはマシだろう。

 ダイナの周りに不可視の繭が現れた直後、乾いた音と共にその繭は粉々に砕け散った。


「……!」


 フィアードが思わず自分の身を庇った瞬間、ダイナの姿がかき消えた。


「ダイナ様!」


 ◇◇◇◇◇


 宴の後、この地に来て親しくなった数人の仲間達と酒を酌み交わしたアルスは、千鳥足で与えられた小屋に戻って寝台に身を投げ出した。


 実りの季節でもあり、宴の料理は大変美味であった。

 美味い料理に美味い酒、後は女がいれば最高に素晴らしい夜になるな、と独り言ちていると、不意に人の気配を感じた。


「……?」


 扉が開いた記憶は無い。だが、確かに誰かいる。微かに女の匂いがするので、誰かが予め小屋に潜んでいた事に気付かなかったのだろう。酔っていたのだから有り得そうな事だ。


「誰だ? 俺の帰りを待っててくれたのか?」


 アルスは寝台から降りてその人の気配のする方に手を伸ばす。毛布が手に触れたので、ぐいっとその細い腕を引き寄せた。

 さしたる抵抗もなく、その細い身体はアルスの腕の中にスッポリと収まる。アルスはその女性に口付けしようとして息を飲んだ。


「……え……?」


 闇に慣れた目が、信じられないものを捉えた。

 漆黒と白銀の目。それだけで腕の中の少女が何者か分かり、背筋に冷たい汗が流れる。


「……ダイナ様……?」


 今日婚礼を終えたばかりの少女は一糸纏わぬ姿に毛布を被っただけの出で立ちで、微かに震えていた。


「ど……どうしたんですか? あ、もしかして、フィアードの奴、初めての女を抱いた事なかったんですね! お可哀想に……!」


 アルスは慌てて少女を寝台に座らせ、燭台に火を灯して自分の上着をダイナに着せてやる。

 初めてなのに乱暴に扱われ、怖い思いをしたのだろう。思いやりの無い男や余裕の無い男によくある事だ。


「俺からあいつにちゃんと言っておきますから、朝にはちゃんとお部屋に戻って下さいね。こんな所にいたら騒ぎになります!」


 アルスが水差しの水を杯に注いでいると少女が小さく首を振った。


「……違うわ……。アルス、貴方にお願いがあって……」


 水を受け取りながら、ダイナはふぅっと一息ついた。

 大丈夫だ。落ち着いている。


「……願い?」


「ええ」


 冷静に考えても、これ以外の選択肢は無い。間違ってはいない筈だ。

 ダイナはアルスに向き直り、その赤銅色の目を見つめた。彼なら大丈夫だ。信頼出来る。


「……お父様を……殺して」

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