23 黄昏の祝宴
雪が溶け、春の日差しが暖かく木の芽を照らすようになった頃、神族の村は「神都」と名を改められ、その広場では女帝の義母、サーシャの葬儀がしめやかに執り行われていた。
吹雪の中で子供を救い命を落とした彼女の遺体は冬の間氷室に保管されていたらしく、生前の美しさをそのまま保っていた。
黒い装束に身を包み、俯いて最愛の義母を見送る女帝の姿に国民は涙し、その傍らに立つ婚約者との幸せを祈っていたーー一部の者を除いて。
「ダイナ様、大丈夫ですか?」
寝室に送り届けた喪服の少女はボンヤリと寝台に座ったまま天井を見上げている。
大切な人を見送ったばかりの彼女に掛ける言葉ではないのは分かっているが、他にどう声を掛けたらいいのか分からず、フィアードは囁き掛けた。
「大丈夫な訳ないじゃない……」
ポツリと呟いた言葉にフィアードはホッと息をついた。どうやら聞こえているらしい。
「すみません。あの吹雪の後からずっと、お父上とお二人で篭りっきりでしたから、皆が心配していたんですよ」
「……そう……」
サーシャが遺体で運び込まれた事は翌朝には皆の知る所となっていたが、この父娘は執務室に閉じ籠り、それを隠そうとしていた。
一体何をしているのだろう、と様々な憶測が飛び交ったが、結局遺体を保管する氷室を用意していたらしい。
しかし、ダイナはその噂をあっさりと否定した。
「……あのね、お父様は……どうしてもサーシャを蘇生したかったの」
ダイナの告白にフィアードは耳を疑った。
「……蘇生……ですか……」
死した者を蘇らせるという禁断の術。過去に様々な呪術師や魔族、欠片持ち達が試したと言われているが、成功した例はない。
「出来ないと思う?」
ダイナが自嘲気味に問い掛けてくる。フィアードの背筋に冷たい汗が流れる。この少女が何者なのか、思い返して鳥肌が立つ。
「……可能なんですか?」
「あの子はね、蘇生出来たの……」
あの子と言うのが、例のサーシャに助けられた子供の事だろうと容易に想像できる。奇跡的に一命を取り留めたと言われていたが、まさか蘇生していたとは。フィアードは息を飲んだ。
フィアードは今、彼女が話そうとしている事の重大さを感じ、慌てて消音の結界を確認する。
「……でもね、サーシャは無理だった……」
ポロリと涙がこぼれる。
「子供はね、ただサーシャが助けようとしたんだからって思っただけで蘇生出来たのよ。でも、サーシャはダメ……色んな事を考えちゃうから、上手く能力が働かないの。神の力なんて、私に使いこなせる訳無いのよ……」
「ダイナ様……」
ダイナは何かから自分を守るように自分自身を抱き締める。
「お父様にずっと責められ続けたの。この出来損ない、何とかしろって……。でも……無理なものは無理なの!」
フィアードは眉を顰めた。
「……まさか、暴力を……」
ざわり、と身の毛がよだつ。思い通りにならないから、この小さな少女に手を上げる……ダルセルノならやりかねない。
フィアードは震えながら泣いている少女を抱き締めた。
「気付かなくてすみませんでした。俺が止めていれば……」
「皆がサーシャの死を知ってるって分かって、やっと諦めてくれたわ……。流石に今更生きていました、とする訳にいかないからって……」
声が震えている。一体どんな目にあったのだろう。考えるだけで腑が煮え繰り返りそうだ。
フィアードはダイナの頭を掻き抱くように抱き締めた。
ダイナの細い両腕がフィアードの背中に回される。
「……フィアード……」
ダイナは青年の胸に顔を埋めた。
◇◇◇◇◇
翌朝、扉を叩く音で目覚めたダイナは自分が喪服のまま眠っていた事に驚いた。一体いつの間に眠ってしまったのだろう。
久しぶりにゆっくり眠れた気がして首を巡らすと、寝台に寄り掛かるように自分と同じ髪色の青年が眠っている事に気付いた。
「フィアード……」
ずっと側にいてくれた。それだけで胸がいっぱいになる。
「ダイナ、入るぞ」
答えを待つ事なく扉を開けたのはやはりダルセルノだ。
彼はフィアードの姿を認め、冷ややかな目でダイナを見る。
「おい、約束が違うな……」
「ただ側にいてくれただけよ!」
ダイナの声でフィアードが目覚め、慌てて寝台から離れた。
ダルセルノは目を細め、舌打ちする。
「ふん、そのまま寝ただけか。意外と真面目なんだな、フィアード」
見られた! ダイナの顔に朱が刺す。
フィアードはギリとダルセルノを睨んで一礼すると、そのまま退出した。
「今から部屋に来るんだ。ダイナ」
ダルセルノは寝台のダイナの腕を掴んで引きずり下ろした。
「もう葬儀は終わりました!」
「まだ実験は終わっていない!」
ダルセルノの言葉にダイナは呆然とする。
「あの男との結婚を認めてやるんだ。ダイナ、大人しく言う事を聞くんだ。いいな!」
自分はなんと恐ろしい誓いを立ててしまったのだろう。ダイナは父親に追い立てられるように部屋を出た。
少女が連れて来られたのはダルセルノの寝室だった。
むせ返るような血の匂いが立ち込めている。
昨日埋葬した筈のサーシャの遺体が部屋の中央に置かれ、その周りに赤黒い模様が描かれている。
「やはり、獣の血では上手くいかないな……。次の手段を取るか……」
ダイナが蘇生を拒んだので、それからはダルセルノ自ら蘇生を行う為の実験が繰り広げられてきたのだ。
一番の問題は魔力量であった。
ダルセルノはありとあらゆる呪術を試し、魔力の増幅を図っているが、思い通りの魔力量には到達せず、蘇生には及ばないのだ。
「……もう止めて下さい、お父様……」
「お前が蘇生すれば済む話だ。それが出来ないなら協力しろ」
ダルセルノは手元の資料に目を通し、ニヤリとダイナに笑い掛ける。その目は何かに取り憑かれているかのようだ。
「獣の血の次は何を試すと思う?」
「……」
「次は人の血だ。そして処女の血、子供の血……。魔力の増幅量はその質によるらしいぞ。どうだ、お前が力を貸せば、余計な血は流れずに済む……」
「……お願いです。もう、サーシャを眠らせてあげて下さい……」
ダルセルノは手を変え品を変え中途半端な蘇生を繰り返していた。そうやってサーシャの遺体が弄ばれるのをもう見たくない。
「……では、お前はわしに何をしてくれる?」
ダイナはゴクリと息を飲んだ。父親が最も欲している物を知っている。だが、狂気に犯されたこの男にそれを与える事によって、自分達が、帝国がどうなってしまうのか、考えるだに恐ろしい。
「……ダイナよ。わしが最も欲しい物を与えてくれると言うなら、この実験は終わりだ。サーシャを眠らせてやる」
ダイナは少し考え込んで、妥協点を見出した。震える唇で言葉を紡ぐ。
「……婚礼の後……。私の望みが叶ってからでは駄目ですか……」
ダルセルノは腕を組み、ジロリとダイナを見た。これ以上追い込むのは得策ではないだろう。
「……ふむ。仕方ないな。それでは婚礼の翌日には、わしの望みを叶えて貰おう」
「……分かりました……私に出来る事でしたら……」
ダイナは自分が万能では無い、と念を押し、フラフラと部屋を出た。
これで婚礼の翌日まではこの部屋に来る事もないだろう。そう思うとホッとする反面、婚礼を心待ちに出来ない辛さに涙がこぼれた。
◇◇◇◇◇
離宮の建築は滞りなく進んだ。ダルセルノの提案で採用された通貨により、その地には各地から職人や商人が集まるようになり「商都」と呼ばれるようになった。
フィアードは二都の間の転移を繰り返し、連絡や運搬などと休む間もなくいいように使われていた。ダルセルノは二都間の転移魔法陣をダイナに作成させ、作業効率を飛躍的に上昇させることに成功した。
そして秋になり、神都では女帝の成人を祝う宴が執り行われた。各方面から有力者が集まり、口々に祝いを述べている。
この日は女帝と側近の欠片持ちとの婚礼も兼ねていたが、女帝の義母の喪が明けていないこともあり、そちらは内々での発表となっていた。
多方面からの祝辞を受け、盛大な宴が行われた後、帝国の主要な者達と神都の住民に向けて小さな宴を催した。
その場でダイナとフィアードの結婚の発表がなされた。
二人は並んで座り、誓いの杯を交わした。神族の婚礼では本来ならば巫女や神官が立ち会うが、ダイナ以上に高位の存在がないので、二人の婚礼は至って簡素な物となってしまった。
婚礼が終わり、列席者に酒が振舞われるようになると、ダイナの友人でもある神族の若者達は二人に祝福を述べに来たが、ある一定以上の歳の者達は何か含みのある顔で祝いを述べる。
「ダイナ様、おめでとうございます」
「こんなに早くご結婚されるとは思いませんでしたよ」
彼等の殆どがフィアードを見ない。あるいは、冷ややかに睨みつけている。
ダイナはそれに気付きながらも彼等に微笑み掛ける。もしあの記録を見ていなければ、この連中の態度に動揺したことだろう。
無論、父親であるダルセルノも二人には一切近寄らず、取り巻きの男達と酒を酌み交わしていた。
皆に祝福して欲しいとまでは思わなかったが、ここまで邪険にされるのも不愉快だ。
ダイナはぐったりとして早々に宴を切り上げることにした。
自室に戻り、扉を開けてハッとする。
部屋の奥に、今までよりも一回り大きな真新しい寝台が飾り立てられて鎮座している。
家人達の計らいか、部屋中に生花が飾られ、湯浴みの準備までされていた。
「……あっ……!」
宴の喧騒で疲れ果て、今日が何の日なのかすっかり失念していたのだ。
足音が近付いてきて彼女の後ろで止まった。ドクン、と心臓が跳ねる。
「……ごめんなさい……私……」
「今日はお疲れですよね。おやすみを言いに来ただけです」
慌てて振り向くと、思い焦がれていた青年の優しい笑みがあった。
「違うの! そうじゃなくて……」
どうしてこんな大切な事を忘れていたのだろう。ダイナは取り乱し、青年の腕にしがみついて部屋に引き摺り込んだ。
「……ダイナ様?」
フィアードはダイナの突然の暴挙に目を丸くしたが、その顔が真っ赤になっている事に気付いて吹き出した。
「私、こんな大切な事を忘れてたの。だから、一人で戻ってしまって……」
フィアードはクスクスと笑いながら扉を閉め、狼狽えている少女の頭を撫でた。
「そうですか。じゃあ、俺は今晩どうしたらいいんですか?」
「……意地悪……」
ダイナは恥ずかしくて顔が上げられない。
頭を撫でていた優しい手が彼女の肩を抱き、ゆっくりと少女の身体を青年に引き寄せる。
「ご成人、おめでとうございます。ダイナ様」
耳元で言われ、心臓が飛び出しそうになる。青年の胸に顔を埋める。
「……ありがとう……」
「そう言えば、お約束してましたね。続きは婚礼の後……って」
「……はい……」
「今日は大丈夫ですか?」
「……はい……」
ダイナは消え入りそうな声で答えた。
一年半前とは違う。ちゃんと心の準備は出来ている筈だ。
胸が早鐘を打ち、息苦しい。頭の芯がぼおっとして何も考えられなくなってきた。
ダイナが顔を上げると、その潤んだ色違いの双眸にフィアードの目が釘付けなった。まだ子供だと思っていた少女が、そこはかとなく女の匂いをさせている。
「フィアード……」
ダイナの口から熱い吐息が漏れ、吸い寄せられるように二人の唇が重なった。
ダイナの細腕が縋り付くようにフィアードを抱き締める。
フィアードはゆっくりと唇を離し、少女を抱き上げて寝台へと歩を進めた。