22 思い出の選別
赤毛の傭兵はその戦闘能力の高さと明るい人柄を買われ、ダイナの護衛と兵士達の剣術指導に当たることになった。
人当たりの良さからか、兵士達にも慕われ、親衛隊からも一目置かれる存在となった。彼を中心とした酒盛りがよく開かれている事からもそれがよく分かる。
「なぁ、ダイナ様の婚約者って本当か?」
アルスにあてがわれた小屋に着くなり、フィアードはそう問われて面食らった。
仕事以外の話をした事はなく、今日始めて飲みに誘われ、いきなりの質問である。
「……誰から聞いた?」
まだ公開はしていない筈だ。アルスは肩を竦めた。
「ご本人が吹聴して回ってるぞ。だから、お前の護衛もしろってよ」
フィアードは溜め息をついた。アルスはそれを肯定と受け取った。
「本当なのか! 凄い勇気だな。だって、神の化身だろ? まだ子供だし、いくら可愛いからって……俺は無理だなぁ……」
アルスはまるで珍獣を見るような目でフィアードを見ながら杯に酒を注ぐ。彼は既に女好きで有名になっており、村の女の噂の的になっている。
「俺に拒否権はないんだ。まあ、来年の婚礼にはもう少し大人になってるだろうしな……」
フィアードは杯に注がれた酒に口をつける。アルスは一気に杯を空けると、再び自分の杯に酒を注ぐ。
「なんだ、そうか。やっぱりなぁ。まぁ……自分好みの女に育てる楽しみ方もありか……。でも、お前の立場ってどうなるんだ?」
「さあな。結局の所、俺もダイナ様もダルセルノには逆らえないからな……」
ろくに話した事もないこの男に何を話しているんだろう、と不思議に思いながらも、酒の勢いもあるのかつい口が滑ってしまう。
「何か、他の奴らもそんな事言ってるんだが……、ダルセルノって何でそんなに影響力あるんだ? ただのちっさいオッサンだろ?」
お前から見れば誰でも小さいさ、と独り言ちながらフィアードは杯を呷るが、ふと違和感を感じてアルスを見た。
「影響……無いのか?」
「何の事だ?」
アルスはキョトンとしている。
「ダルセルノに名前を呼ばれても平気か?」
「……?」
あの男に名を呼ばれるだけで、精神的に屈服させられてしまう。それが漆黒の能力らしい。
しかし、アルスには全く心当たりがないようだ。
フィアードはふとある可能性に気付いた。名前が鍵になっているのならば、それを偽っていれば漆黒の能力が及ばないのかも知れない。
「アルスってのは偽名か?」
「そんな小細工してねえぞ?」
「……じゃあ、何で……?」
今度はフィアードが首を傾げる。どうやらアルスにはダルセルノの精神支配を受け付けない何かがあるらしい。
「そうか、だからダイナ様はお前を近くに置くことにしたのか……」
フィアードは杯を置いて呟く。
「おい、俺にはよく分からないんだが……」
「いや、お前はそのままでいい。さっきの話は他言無用だ。ダルセルノからの理不尽な命令があっても、その場では嫌な顔しないで適当に受け流してくれ。
今後、ダイナ様がお前を頼りにする事があると思うから、それまではダルセルノに敵意を向けるなよ」
「ああ……。よく分からないが、雇い主に逆らう気はないぞ?」
アルスの的外れな答えにフィアードは苦笑した。この裏表のない性格がある意味羨ましい。
「ま、それでいいさ。それより、お前は今まではどんな仕事をして来たんだ?」
なんとなく話題をすり替えると、アルスはよくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに身を乗り出してきた。
「おう、戦場に行く事も多かったけど、大抵は用心棒だったな。すっげえ金持ちの用心棒やった時はよ……」
いずれこの男の存在がダイナを救う事になるかも知れない。フィアードは漠然とそう感じながら、男の自慢話を聞き流していた。
◇◇◇◇◇
降り始めた雪を踏みしめ、件の建築士達が新しい図面を手に再びダイナの元に訪れた。
「ふむ。これならば大分予算を削れるな。後はこの村からの街道の整備が必要になるくらいか……」
ダルセルノは機嫌良く図面を見ているが、隣に座るダイナはただ頷くだけだ。
「よし、それでは春になったら着工だ。今のうちに準備出来るものは準備しておけ」
ダルセルノが言うと、建築士達はホッとして設計図を片付けた。半年間お預けを食らって必死で書き直しをしていたのだ。すぐにでも着工したいくらいだろう。
「お父様、もう冬です。春まで村に滞在された方が……」
何もそんなに急がなくても、とダイナは主張したが、ダルセルノは取り合わない。
「いや、今の内なら大丈夫じゃろう。谷を越えればそれ程雪は積もってないしな」
ダルセルノが言うと、隣に控えていたサーシャが頷いた。
「分かりました。私が送ります」
「うむ。頼んだぞ」
サーシャが頷くのを見て、ダイナはなんとなく不安を覚えた。
◇◇◇◇◇
その数日後から天気が崩れ、降り始めた雪は刻一刻とその量を増やした。やがて強い風が吹き始めて吹雪となり、村は深い雪に覆われた。
建築士達を送りに行った筈のサーシャの帰りが遅い。
ダイナは窓を全て打ち付けた真っ暗な部屋の中で同じ年頃の少女達と身を寄せ合って暖炉を囲んでいた。
石造りの建物の中ではこの屋敷が村で一番大きい。不安を感じた村人が多く避難してきているのだ。
皆、帰りの遅いサーシャを心配し、彼女を心配して塞ぎ込んでいるダイナを元気付けようと必死だ。
「お帰りが遅いのは、きっと先方でゆっくりされてるからですわ」
「サーシャ様なら大丈夫ですよ。何処かに避難されてるんですよ」
当たり障りのない言葉が虚しく響く。隙間風が暖炉の炎を揺らし、吹雪の音が聞こえてくる。
「……そうよね……大丈夫よね……」
ダイナは自分に言い聞かせるように言う。だが、不安は拭えない。彼女が無事に帰って来る姿が見えないのだ。
少女達が気分を変えようと話題を探していると、扉を開く音がした。
「ダイナ様……」
燭台を手に部屋に入って来たのは彼女の婚約者であった。
「フィアード……」
ダイナが青年の名を呼ぶと、少女達が色めき立った。二人の婚約はいつの間にか周知の事となっていたのだ。少女達はダイナの隣を空け、興味津々といった顔で二人を見守る。
フィアードは少女達に軽く会釈してダイナの隣に跪き、そっと耳打ちした。
「お父上がお呼びです」
「分かったわ」
ダイナが頷いて立ち上がると、少女達はほぅっと溜め息をついた。彼女達にとって、この二人が並ぶ姿を見るのが至福のひとときなのだろう。
ダイナは少女達に会釈してフィアードの腕にその細い腕を絡め、足元を確かめながらゆっくりと扉へ向かった。
「……サーシャ様が……」
歩きながら呟いたフィアードの声が暗い。続く言葉を聞いてダイナの背中に冷たい汗が流れた。
そんな筈はない。彼女はいつも側にいてくれた。
「……とにかく案内して……」
ダイナは心の動揺を少女達に悟られないように、ゆっくりと部屋の扉を閉めた。
フィアードがダイナを連れて来たのは執務室だった。
ダルセルノがいつものように椅子に座って両手を組んで机に肘をついている。
そして、床には雪にまみれた麻布に包まれた何かが横たえられている。
その大きさにダイナの心臓が跳ねる。
「……お父様……」
フィアードはダルセルノの合図で部屋を出た。ダイナは不安な面持ちでその背中を見送る。
扉が閉まったのを確認し、ダルセルノはおもむろに口を開いた。
「お前、約束は覚えているな?」
ダイナはゴクリと息を飲んだ。神の力を彼の為に使うというあの誓いの事だろうか。
ダルセルノは立ち上がり、ゆっくりと麻布の前に立った。
「お前の持つ神の力をわしに見せろ」
麻布をめくると、サーシャが子供を抱えて倒れていた。
ドクン、とダイナの心臓が大きな音を立てる。
いつも優しく自分を見守ってくれていた筈の白銀の目は固く閉ざされ、冷え切った白い肌にも唇にも赤みがない。
「……どうして……?」
こんな事は今まで起こらなかった。何故、彼女がここで倒れているのか理解できない。
「道に迷ったこの子供を助けようとしたようだ。つい先ほど、警戒に当たっていた兵士達が発見した」
ダイナはヨロヨロと座り込んだ。遷都を回避した結果がこれか。これだけ大きく歴史を変えてしまったのだ。何かしら影響があるとは思っていたが、まさかこんなに身近に犠牲が出るとは。
「お前の力は神の力だ。人の死を無かったことにする事も出来る筈。さあ、やってみせるのだ!」
父親の言葉にダイナは呆然とした。
何を言っているのだろう、この人は。死んでしまった者を救うなど、出来る筈が無いのに。
「漆黒の力で傷を無かった事に出来るだろう? あれと同じ原理で蘇生が出来る筈だ! さあっ!」
無理矢理腕を掴まれ、ダイナは父親の顔をボンヤリと眺めた。
「子供だぞ? サーシャはこれを助けようとしたのだ! ダイナ! 蘇生してみるんだ!」
そう言われてサーシャが抱いている子供を見る。男の子だ。歳の頃は七歳くらいか。
まだ未来のある、サーシャが助けようとした命である。
ダイナはボンヤリとしたまま、その子供に手を翳す。この子はまだ死んではならない。サーシャが助けようとしたのだから、生きてもらわなければ……。
漆黒の闇がフワリと子供を包み込み、その身体に刻まれた時を巻き戻して行く。
子供の頬に赤みが戻った。フゥッと吐息をついたのを確認し、食い入るように見つめていたダルセルノは満足気に頷いた。
ダイナは子供をサーシャの腕から解放し、長椅子に寝かせて毛布を掛けた。安らかな寝息を立てている。どうやら蘇生は成功したようだ。
ダルセルノは目を輝かせる。
「……素晴らしい! これが神の力か……! さあ、次はサーシャだ!」
ダイナは全身を襲う倦怠感に判断力を奪われ、言われるがままにサーシャに手を翳す。
先ほどと同じように漆黒の闇が彼女の亡骸を包み込む。
頬に赤みが戻りかけた時、ダイナの脳裏に様々なサーシャの姿が写り込んだ。
赤毛の青年と背中を合わせて勇ましく戦う姿。
矢をつがえて空に向けて放つ姿。
迫り来る敵から身を呈して彼女を守ろうとする姿。
制服に身を包み、凛とした空気を纏って議場に立つ姿。
そのどれもが彼女にとって大切な思い出で、どれもがサーシャだった。
でも、それはこのサーシャではない。
サーシャの身体は温もりを取り戻している。後は離れてしまった魂を戻すだけだ。
ダイナは魂に刻まれた全ての記憶からこのサーシャの記憶だけを選ばなければならないと悟った。
「どうした?」
父親の声に首を振ることしか出来ない。
もし何の予備知識もなく、全ての記憶を戻してしまったら、きっとサーシャは壊れてしまう。
だが、彼女にとって、全てが大切なサーシャとの思い出だ。選ぶ事など出来ない。
「無理です……お父様……」
「何?」
「サーシャは……助けられません……。ごめんなさい、お父様……サーシャ……」
ダイナは力なく首を振りながらサーシャの亡骸に抱きついた。ほんのり赤みが指していた頬がまた色を失い、温もりが消えて行く。
ダルセルノは舌打ちして彼女を睨み付ける。親しい者には蘇生を妨げる何かがあるらしいと察しはつくが、そう簡単に納得出来る物ではない。サーシャは彼の妻でもあるのだ。
「あれ……僕……」
長椅子に寝かされていた子供が目を覚ました。身を起こしてキョロキョロと辺りを見回し、ダイナに気付いた。
「あ……僕を助けてくれたんですか……」
子供はサーシャに駆け寄り、その身体に触れた。その手が細かく震えているのは寒さのせいではないだろう。
「この人は……震える僕をずっと温めてくれてたんです……」
「ええ。彼女は貴方が助かって、きっと喜んでるわ……」
神の力は万能でも、それを使う自分の何と弱い事か。ダイナは溢れる涙をこらえて笑みを作り、子供の頭を優しく撫でた。