21 うたかたの婚約者
爽やかな一陣の風が二人の薄緑色の髪を撫でるように吹き抜けた。
「ダイナ様……俺は……」
「いいの!」
フィアードの言葉を遮り、ダイナはぎゅっと彼の背中を抱き締める。
「お父上は……」
「私が説得するわ。私はフィアードじゃないと駄目なの!」
「ですが……」
「お願い!」
ダイナの懇願にフィアードは溜め息をつき、空を仰いだ。
「……俺が貴女に逆らえる訳ないでしょう?」
◇◇◇◇◇
執務室の父を訪ねたダイナは、開口一番に結婚の許しを請うた。
「ならん!」
父親の一喝に、ダイナは唇を噛み締めた。当然の反応だ。だが、ここで引き下がる訳にはいかない。
「何故ですか!」
「フィアードは罪人の子です」
質問に答えたのは父親ではなく、彼女の叔母であり、義母でもある栗色の髪の女性だった。
念の為に同席して貰った彼女からのまさかの反対に流石のダイナもたじろいだ。
「……知ってるわ! でも、それとこれとは関係ないでしょ? 彼が罪を犯した訳では無いんでしょ?」
「……彼の父親の罪は、それだけ重いのです……」
言い淀む様子にダイナは苛立った。
「彼のお父様は何をしたの? サーシャ、貴女はいつも肝心な事を教えてくれないのね! 私達の結婚を反対するなら、私が納得できる理由を聞かせて!」
愛された記憶の無い父親が反対するのは仕方ない。だが、大好きなサーシャに反対されるのは身を切られるような思いだ。
「それは……」
「いい。わしから話そう」
喋りかけたサーシャをダルセルノが制し、重々しく口を開いた。
「フィアードの父親、ガーシュはわしの前の村長だった」
ドキリ、とした。前村長、という言葉を何処かで聞いた事がある。いつだろう。
「かの者は産まれて間もないお前を誘拐し、魔族の手に渡そうとしたのだ」
「……え……?」
ダイナの目の前が暗くなる。足元がグラリと揺らぎ、その場に座り込んだ。
「その罪に問われ、夫人もろとも公開処刑されたのだ。フィアードは欠片持ちだったから、わしが引き取った。何か他に聞きたい事はあるか?」
「……いいえ……」
ダイナは呆然としてサーシャを見る。彼女は瞑目して頷いた。その様子から、父の言葉が真実である事が分かる。
「気になるなら記録を調べるがいい」
ダルセルノは吐き捨てるように言い、サーシャを伴って執務室から出て行ってしまった。
「……そんな……」
ダイナはフラフラと壁の書架に歩み寄り、まるで気が狂ったかのように過去の記録を探し始めた。
公開処刑が行われる時には必ずその記録が残っている筈だ。
目を皿のようにして背表紙を確認していたダイナは、自分が産まれた頃の記録を見付け出して書架から取り出した。床に座り込んでその頁をめくる。
中を開いてみてアッと思わず声を上げた。
筆跡が違う。そして、筆跡が父親になった以降の記録の多さと比較すると、明らかに年毎の処刑の数が少ない。
そして注目すべきは筆跡が変わったその年。
おびただしい人数の処刑者がいる。その殆どが家族単位で処刑され、未成年の子供は奴隷として売られていた。
罪状は「前村長、ガーシュの幇助」が大半を占めている。
そして、前村長ガーシュの記録を捲る。
「……魔族との内通、及び鍵の略取。人民の扇動」
ダルセルノが言った事だけでなく、更に他の村人を巻き込んで騒動を起こした事になっている。
夫妻は騒動の責任を取って公開処刑になり、成人したばかりの長男フィアードは欠片持ちだった為に特別に恩赦を受けてダルセルノの家人となった。未成年の子供達は例の如く奴隷として売られていた。
この年、神族の村は血で血を洗う抗争が起こったようだ。他ならぬ自分が原因で。そして、その犠牲者となったのが彼女の想い人であるフィアードだったのだ。
「……そんな……」
ダイナの手から記録が落ちる。
何も知らなかった。自分が村にとって災いの種になっていたなど。
神の化身として村人から愛され、大切にされてきたと思っていた。
その影で、このような血生臭い事件が起こっていたとは……。
ダイナが床に落とした記録を拾い上げ、立ち上がろうとした時、不意に扉が開いた。
「……ダイナ様……」
書類を運んできたフィアードは、執務室で過去の犯罪記録を抱きしめているダイナを見て息を飲んだ。
「読まれたんですね……」
自分も何度も読んだ記録だ。遂に彼女がその事実を知ってしまった。
フィアードは机に書類を置くと、座り込んでいるダイナから記録を受け取り、書架に戻した。
「……私、何も知らなくて……」
「誰も話さなかったから当然です」
フィアードは書類を片付けながら静かに言った。
「だからダイナ様……今朝の話は」
「イヤよ!」
ダイナは首を振った。
「だって、フィアードは被害者じゃない! 何も知らなかったんでしょ?」
「……そうですね」
フィアードは溜め息をついてダイナの前に跪いた。
「だったら貴方は悪くないもの。それとも……私が……嫌い?」
声が震えた。怯えたような目で目の前の青年を見る。
彼は困ったような笑顔を浮かべ、少女の髪の乱れを整えてやった。
「嫌いな訳ないですよ」
ダイナは恐る恐る青年に寄り添う。青年は少女の身体を優しく受け止め、その頭を撫でた。
「過ぎた事です。貴女はいつもの貴女でいて下さい」
「うん……」
◇◇◇◇◇
翌朝、ダイナは父親の部屋の扉を叩いた。
「なんだ」
「お父様、私です。入ります」
ダイナは強引に扉を開けた。ツンと嫌な匂いが鼻についた。
「お父様……何を飼ってるんですか?」
部屋の隅には大小様々な檻があり、虫や蜥蜴、蛇などが飼育されている。
鼻についたのは生き物の匂いだけではない。何処かからほんのりと血臭のような匂いもする。ダイナは眉を顰めた。
「ふむ、ちょっとした研究じゃよ」
ダルセルノは悪びれずにニヤリと笑うと、肘掛け椅子に座った。
「どうした。こんなに朝早く」
ダイナはダルセルノに向かい合うように長椅子に座った。
「記録を読みました」
「そうか。これで分かっただろう? あの男との結婚は認める訳にはいかん」
「……でも、本人は罪を犯してません。罪人の子であったとしても、欠片持ちとしてお父様の元で働いてきた事で、もう罪は償われたのではありませんか?」
ダルセルノは腕を組んだ。
「それでは……わしがお前達の結婚を許せば、お前はわしに何を誓う?」
「……私が……ですか?」
「ダイナ、お前の持つ神の力を、わしの為に使うと約束できるか?」
しまった、と思った時にはもう、彼女の心の中にダルセルノの漆黒の腕が入り込んで来ていた。無理矢理誓いを立てさせられる苦しみに顔を顰め、ダイナはダルセルノを睨みつける。
「……それで、フィアードとの結婚を認めて下さるのですね……」
「……まあ、いいじゃろう」
ダイナの予想以上に強い意志にダルセルノは頷くしかなかった。そこまであの男に入れ込んでいるとは正直思ってもいなかったが、それを餌に協力を確約出来るのであれば僥倖であろう。
「本当に?」
一転してダイナの顔に喜びが広がった。頬が上気し、色違いの双眸には輝きが宿る。
この娘のこれだけの喜びの表情を見たのは初めてかも知れない。
「ただし、婚礼は十五の誕生日だ。それまでは閨を共にしてはならんぞ」
一応念を押しながら、ダルセルノは冷ややかに娘を見た。たったそれだけの事で、神の力を思い通りに使う事が出来るのであれば容易いことではないか。
なんと単純なことか。いくら神の力を持っていても、所詮は小娘と言うことか。
「ありがとう、お父様!」
交換条件として何を約束したのかも忘れてダイナは結婚を許された喜びに舞い上がり、父親の部屋を飛び出した。
◇◇◇◇◇
「フィアード!」
彼の部屋の扉を叩くと、扉がひとりでに開いた。
「……ダイナ様……どうしたんですか? こんなに朝早く」
寝台から身を起こしたフィアードは目を丸くしていた。
ダイナは顔を赤らめて扉をいそいそと閉めると息を弾ませ、フィアードの寝台に駆け寄った。
「あのね! お父様が許してくれたの!」
「え?」
咄嗟に何の話か分からず、フィアードは首を傾げた。
ダイナははやる気持ちを抑えきれず、彼の胸に飛び込んだ。
「十五の誕生日に結婚していいって!」
ぎゅっと抱きついて、大好きな彼の匂いを胸いっぱいに吸い込む。
「本当ですか?」
フィアードは驚いてダイナの身体をそっと起こし、その愛らしい顔を覗き込んだ。
「……ほ、本当よ!」
ダイナは至近距離にフィアードの顔があることに気付いて狼狽える。目線を彷徨わせ、耳まで赤く染めて俯いてしまった。
「それじゃ、遠慮なく……」
フィアードはクスリと笑うとダイナを抱きかかえたまま、身体を返して少女に覆いかぶさった。
青年の突然の行動に恐慌状態になり、少女は慌てて青年の身体を押し上げる。
「あ、えっと! あのね! それは……婚礼までダメだって……!」
フィアードは真っ赤になって必死に言い繕う少女の姿に吹き出した。
「ダメですよ、ダイナ様。男の寝所に押し掛けて抱き付いたりしては。何をされても文句は言えません」
少女の身体を起こし、乱れた髪を整えてやる。ダイナは真っ赤になったまま俯いて、少し震えていた。
初めてフィアードを怖いと思った。フィアードも男なんだと実感した。
「ご……ごめんなさい。私が浅はかだったわ」
フィアードはダイナの額に口付けると、その頭を優しく抱いた。
「じゃあ、続きは婚礼の後に……」
「……はい……」
胸が早鐘を打ち、息苦しい。だがそれがなんだか心地良く、ずっとこのままでいたい。ダイナはゆっくりと両腕をフィアードの背中に回した。
「フィアード……」
◇◇◇◇◇
二人の甘美な時間は唐突に終わりを告げた。
兵士の一人がフィアードの部屋の扉を叩いたのである。
ダイナが大慌てで自室に転移したのを確認して、フィアードは扉を開けた。
「……どうした?」
明らかに機嫌が悪い上司に兵士はゴクリと息を飲んだ。どうやら間が悪かったらしいと後悔しながらも、手短に要件を伝えなければ、更に彼の機嫌を損ねるという事を知っていた。
「はっ! ダイナ様の護衛をしたいと、傭兵が一人やって来ております。どうやらサーシャ様のお知り合いの息子だとか……」
「……ならサーシャの所に行けばいいだろ? 何故俺の部屋に来た」
ギリ、とハシバミ色の目で兵士を睨みつけ、縮み上がる姿を見て少し溜飲を下げた。
「も……申し訳ありません!」
「まあいい、行こう。お前はサーシャを呼びに行け」
「はっ!」
兵士は大抵が恭順を示した国の一兵卒であり、フィアードの管轄だ。神族の戦士達は親衛隊としてダイナやダルセルノの直接の警護を行っており、サーシャが統括している。
しかし、傭兵が一体何の用だろう。今現在、まともに戦えるのはサーシャしかいない。腕が立つ護衛が欲しいのは確かであり、その傭兵が護衛として使えるのであれば問題はないのだが。
フィアードは兵士が扉を閉めるのを確認してから手早く着替え、その傭兵が控えているという部屋まで転移した。
扉を開け、一目見て、強い、と思った。
肩に掛かる程度の赤毛。見上げる程の体躯。鍛え上げられた肉体。その立ち姿には緊張感はないが、隙もない。
敵意が無いことを示す為に武器は兵士に預けている筈だが、フィアードはその迫力に思わず立ち竦んだ。
赤毛の大男はフィアードの姿を認めると、人懐こい笑みを浮かべた。
「おうっ! あんたが側近か? コーダから来たアルスだ! よろしくな!」