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女神の帝国 〜想いの迷宮〜  作者: 倉原晶
第一章 碧と皓の軌跡
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2 空色の眼差し

 少女は賑やかな酒場の雰囲気にすっかり飲まれてしまった。念のために本来は空色の髪を黒く見せるようにしているが、これだけ多くの人間がいると、ばれてしまうのではないかと気が気ではない。

 女一人というだけでも目立っているのだが、本人はその事は気にしていないようである。


 言われた通りの料理を注文して食事をしていると、背の低い中年男性が寄って来た。


「あのな……白姫に用があると聞いたが、うちは刃傷沙汰はごめんなんだよ」


 少女はキョトンとする。


「え? 刃傷沙汰って……」


「いや、女がこんな所に来るのは大抵そうだからな。『注文』を知ってる事は稀だが……な」


 ああ、そうか。少女は納得した。この店は飲食のみならず、色も売っているのだ。その商品である姫に男を取られたと、その妻や恋人が刃物を持って押しかける事も多いのだろう。


「ああ、ちゃうちゃう。ただ会いたいだけや。面会、面会」


 少女のあっけらかんとした様子に圧倒され、男は奥の赤茶けた扉を指差した。


「おおきに~!」


 少女は席を立ち、およそその場に似つかわしくない態度で扉を開けた。


 受付を済ませ、突き当たりの扉を開けると、そこには乳白色の髪を結い上げた妖艶な気配を纏う少女がいた。


「……あんたが白姫……ヒバリか」


 濡れた赤い唇が小さく笑みを刻む。


「ええ。族長から話は聞いているわ」


「うちはツグミ。よろしくな」


 二対の空色の視線が交差した。


 ◇◇◇◇◇


 深夜の宮殿奥深く、女帝の寝室の隣の部屋は濃密な男女の匂いに包まれていた。

 一糸纏わぬ姿で身を踊らせているのは女帝の侍女。一方で男はその下で彼女の細い腰を着衣のまま抱えている。


 激しい息遣いが部屋中に響き渡り、やがて、女は男の上に覆いかぶさった。


 女は男の薄緑色の髪を梳くと、その額に口付けた。女が着衣に手をかけようとするのを男がやんわりと制する。


「ねぇ、たまには肌の温もりを感じたいとか思わないの?」


 男は女を振りほどき、面倒臭そうに着衣を正した。


「何故?」


 ハシバミ色の目で冷ややかに見つめられて女は動揺する。


「だって……ほら、普通は……」


「恋人と寝たければそうすればいい」


 無表情に言い捨て、男は立ち上がる。もう用は済んだのだ。長居は無用である。


「フィアード!」


 女がその背中に抱きつき、腰に手を回す。フィアードはゲンナリした表情でその手の甲を叩く。


「あのね……貴方と寝た後、ダイナ様が私を睨むことがあるの……。もしかして気付かれてるのかしら……」


 女の言葉に男は吹き出した。始めて見せる笑顔に女は顔を赤くする。


「当たり前だろ。俺でも見える(・・・)んだぜ?」


「……えっ」


「お前がいつも違う兵士と寝てるのも、時々お偉方の上で腰を振ってるのも、全部見えてる(・・・・)ぜ。ダイナ様も気の毒だな。とんだ淫売が侍女で」


 女の顔が羞恥で真っ赤になる。フィアードは女に向き直ると、落ちている服を投げつけた。


「まあ、こっちは助かってるからな。わざわざ外に女を買いに行く手間が省けるってな」


「……ひどい……!」


 実際の所、遷都してまだ日も浅く、市井に出るのが危険なこともある。特に商売女を利用した罠などいくらでも想定可能なので、寧ろそれに適した人材を侍女として採用しただけなのだ。


「お前がわざわざ陛下の隣の部屋でこうやってるのは、陛下に対する嫌がらせだと思ってたけどな」


「……そんな……」


「ま、お前は侍女としてはそこそこ優秀だから、陛下が黙認してるなら気にしなくていいんじゃね?」


 フィアードは馬鹿馬鹿しくなって、扉を開けた。


「じゃあな」


 振り向きもせずに扉を閉めた。さっさと自室に戻りたいが、警備の為に廊下は必要以上に入り組んでいる。


「……あー、めんどくせ……」


 フィアードは気怠さを誤魔化すように首を振る。そして軽く息をついた瞬間にその姿は掻き消えた。




「おはようございます、ダイナ様」


 侍女の顔色が優れない。ダイナは寝起きの頭で理由を考えるが、よく分からないので首を傾げた。


「どうしたの? 具合が悪いなら他の者に任せなさいよ」


「いえ、そうではなくて……」


 この女帝があの男に寄せる想いは周知の事実である。昨夜の事を全て見られて(・・・・)いたかと思うと、今すぐにでも暇乞いしたくなる。


「貴女、時々具合が悪くなるわね。ちゃんとお休みを貰えるようにお父様に言っておくわ。……今日はもう休みなさい」


 ダイナの言葉に裏はなさそうだ。侍女は恐る恐る顔を上げて彼女の主を見た。


「あの……フィアード様が……」


「え? フィアードが来てるの?」


 パアッとダイナの顔が明るくなる。その表情はとても彼等の情事を覗き見ていたとは思えない。


 そう言えば、彼女が自分の欲求の為に能力を使った所を見たことがなかった。だからこそ、父親があそこまで大きな顔をしていられるのではないか。

 睨まれていると思っていたのも、自分で勝手に後ろ暗さから被害妄想に取り憑かれていただけかも知れない。

 侍女はフィアードに嵌められた事に気付いた。


「いえ……、何でもありません……。申し訳ありません。……少し……休ませていただきます……」


 侍女が下がるのを見て、ダイナは首を傾げたままモタモタと着替え始めた。

 用意されている服を見ると、今日は大した予定はないらしい。

 彼女はホッとして飾り気の少ない装束に袖を通した。




「それで、ダイナ。気に入った男はいたのか?」


 父親が赤毛の護衛を引き連れて訪ねてきて、おもむろに言った。

 ダイナは窓際の椅子に座り、別の侍女に朝食を運ばせたところだった。


「……そんなに簡単に気に入りませんわ。皆、恐れおののいて近付いて来ませんもの」


 昨日の茶会のことだ。

 結局、男達はダイナの姿を見に来ただけで、直接会話しようとすらしなかったのだ。

 どうせ、本人が無意識で遠ざけたのだろう、と父親は頭を抱える。


「自分で選べんなら、わしが選ぶぞ」


「そうして下さい。どうせ、私の気持ちなんか考えて下さらないでしょ?」


 一口大に切った果実をポイと口に放り込む。これ以上喋りたくない意思表示だろうか。


「……フィアードは駄目だ」


 父親の言葉にダイナは諦めたように目を伏せた。


「分かってるわ。……だったら誰でも同じだもの」


「……ふむ……」


 娘の色彩を全面に押し出して建国まで至ったのだ。今後、この国を維持する為にはどうすればいいのか。

 地方の有力者と婚姻を結び、その地盤を盤石にするのか、神族の血を薄めないよう、村の出身者と結婚させるべきか。

 ダルセルノは歳のせいか、そのようなことばかり考えている。


 娘はそんな親心には気付きもせず、朝食を食べ進めている。


「この国はお父様が作ったもの。私はただのお飾りに過ぎませんから……」


 幼い頃からの暗示が効いているのか、ダイナは抵抗する事がない。彼女が本気で逆らったら誰も止められないことが分かっているダルセルノにとって、この暗示は絶対に解けてはならないものだ。


「悪いようにはしない。……邪魔したな」


 ダルセルノはクルリと踵を返して、ダイナの部屋を後にした。


 ◇◇◇◇◇


 白姫ことヒバリを館から連れ出すのは非常に困難だった。

 母親が行方不明だという事を盾に、館の主人を説得し、(しろ)の村から持参した金銀でなんとか身請けの形を取る事ができた。

 それよりも問題なのは彼女の特異な体質だった。彼女は同一空間にいる異性に欲情し、無意識に誘惑してしまうという。

 色を売る仕事は正に天職といえるだろう。しかし、ここから出なくては作戦は遂行できない。


 身請けの説得の最中もヒバリは館の主人を誘惑して押し倒し、衣類を剥ぎ取ってその上に馬乗りになったのだ。ギョッとしたツグミは彼女を無理やり引き離すのに苦労した。

 館から出ても、道ゆく男全てが振り返り、そしてヒバリは熱に浮かされたようにフラフラと男に近付いて行く。

 聞いていた話よりも酷いではないか。寄って来る男達を撃退しながら、ツグミは必死に考えて、彼女の周りを旋風で覆うと影響が少ないことに気付いた。


「凄いわ! こんな事、思いつかなかったもの!」


 ヒバリは上機嫌で道を歩いている。

 夜道でも男は割と外を出歩いているのだ。昼間はもちろん、夜でも普通に道を歩けたことなど無いらしい。


「因果な体質やな……まるでヨシキリや……」


 同じような体質の男を知っている。ゲンナリとしたツグミの言葉に、ヒバリは目を輝かせた。


「お父さんを知ってるのね! じゃあ、もちろん……」


 どうもこの白髪の少女は、頭の中も色事でいっぱいなようだ。彼女が何を言おうとしたのか気付き、ツグミは嘆息して肩を竦めた。

 目の色を見て眷属の血を引いているのは分かっていた。そしてこの体質。もしやとは思ったが、どうやら彼女は知人の娘らしい。


「あんたなぁ……自分の立場、分かっとる?」


「分かってるわよ。私が囮になるんでしょ?」


 何でもないことのように言われ、ツグミはドキリとした。

 彼女が男達を引きつけている間にツグミがその男達を消して行く。彼女の命の保証は無いのだ。


「あのね……私、外に出られただけでも嬉しいのよ」


 ポツリと呟くヒバリの肩をツグミは黙って抱き寄せた。そうだ。彼女はあの館に幽閉同然に閉じ込められ、ただ訪れた男達の相手をし続けていたのだ。


「私の母も息子も宮殿に捕らえられたって聞いたわ。でも、あそこに居たら何も出来ないでしょ?」


「そうやな……」


 魔人の寿命は人間に比べて遥かに長い。一見少女でも、その実年齢は計り知れない。ヒバリのような性癖ならば、子供の一人や二人いてもおかしくはないだろう。


「こんな私でも、役に立つことが出来るんだって……嬉しくて。これで母も息子も助け出せるかも知れない。頼んだわよ、ツグミ」


「……任せとき……」


 ツグミの肩に責任がズシリとのしかかる。彼女はゴクリと息を飲んだ。


 彼女の母親が暮らしていたという水車小屋が見えて来た時、ヒバリは急に足を止めた。


「あ、そうだ。作業員が二人いるのよね……。面倒だから、もう行っちゃいましょ。善は急げって……ね」


「えっ、うちまだ準備できてへんで?」


 荷物も何も揃っていない。このまま帝国に攻め込むなど、正気の沙汰とは思えない。


 ヒバリが軽く跳躍すると、その体はみるみる小さくなり、一羽の小鳥の姿となった。小鳥はクルリとツグミの周りを旋回し、誘うように飛び立ってしまった。

 慌ててツグミも小鳥となって後を追う。鳥に姿を変えたということは、(あお)の魔人の血を引いている証拠だ。


「それにしても……これが無計画っちゅうことか……。怖すぎるな……」


 空を飛びながら、慌てて相方に連絡する。彼はヒバリの影響が届かない所から、宮殿の空間に干渉することになっているのだ。


 宮殿まではまだ遠い。

 鳥の姿の維持は精神状態に左右される。案の定、眼下を男が通り過ぎる度ヒバリは人型に戻って落下して行く。


「……まったく……!」


 ツグミは旋風でヒバリを巻き上げると、空中で素早く詠唱して天翔る馬(ペガサス)を呼び出した。いつもより小さいが、二人で乗るなら大丈夫だろう。


「ほら、乗って!」


 ヒバリを引き上げ、二人でその空色の馬に跨る。

 ヒバリは空色の目を大きく開いて眼下を見、そしてツグミを見た。


「凄いわ、ツグミ! 貴女、こんな事が出来るのね!」


「……ま、まあな……」


 正面切って褒められるのは恥ずかしいものだ。確かにこの魔術はツグミが考案したもので、他の者は使えない。

 魔人の殆どが詠唱することを知らないからだ。

 だが、魔人の中には高すぎる魔力を制御する為に詠唱を行う者がいるのである。詠唱すれば、魔術の自由度は上がるのだ。


「あんたにも出来そうや……」


 お世辞でなく、ツグミはヒバリの潜在魔力を高く見ていた。


「ふふっ。そうかしら?」


 ヒバリはやや自嘲気味に笑い、ツグミのしなやかな身体を後ろから抱き締めた。その空色の髪に顔を埋める。


「……じゃあ、無事に帰ったら教えてね……」


「……そやな。うちも、あの店の料理、もっと食べたいからな……」


 トクントクン、とどちらのものか分からない鼓動を感じ、ツグミは不可視の手綱を引き締める。

 ペガサスが速度を上げた。


 雲の合間を縫って、二対の空色の目が近付いてくる都を見つめる。

 ペガサスがゆっくりと高度を落とすと、空色と乳白色の髪がフワリと舞い上がった。

 二人は馬上で見つめ合い、そして強く頷いた……神に弓引く為に。

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