19 滅亡への扉
第一回帝国議会。都に住む住民を代表した議員達による行政が幕を開けようとしていた。
議員は軍人、文官のみならず、農民や商人からも選出された。この議会が成功すれば、帝国は神に見守られた、人民による人民の為の国として大きな一歩を踏み出せるのだ。
議場には議員だけではなく、多くの民衆が詰め掛け、その歴史的瞬間を見に来ていた。
「ダイナ様、大丈夫ですか?」
「モトロ、手を離さないでね……」
「はい……」
美しい装束に身を包んだ女帝は、白髪の小姓を伴って議場に訪れた。少年は絶えず浄化の魔術を掛けながら女帝の隣に控えているが、その距離感はどう見ても仲睦まじい恋人同士である。
初めこそ賛否両論あったが、その二人の見目麗しさは多くの民衆にとって目の保養となっていた。
その後ろには薄緑色の髪の文官と栗色の髪の女戦士が二人を見守るように立っている。
議場の入り口には赤毛の青年と黒髪の青年が鎧姿で並び、警戒網を張っていた。
各方面から選出された議員達に続いて、議長が入場した。議長を務めるのはこの国の最高法曹であり、女帝の父親、ダルセルノである。
「それでは、只今より第一回帝国議会を開催いたします」
議長の挨拶から議会が始まった。
◇◇◇◇◇
周囲は真っ暗だ。
前に進んでも、戻っても、狭くて暗い通路がただひたすら続いている。
一羽の小鳥が暗く狭い通路を行く。一心不乱に、自分が今どこにいるのかを確認しながら、確実に歩みを進めている。
見取り図は頭に叩き込んでいる。間違える訳にはいかない。
ツグミはダルセルノの隠し部屋に通じる通風口の出口を目指していた。
ツン、と鼻を突く匂いがして思わず歩みを止めた。目的地が近い。
ツグミは慎重に進み、その匂いの元が目的地である事を確認した。
出口を塞いでいる金網に近付くと、風を操ってそれを留める螺子を一つ一つ丁寧に外して行く。
それにしても酷い匂いだ。
肉や卵が腐ったような匂いと香木の香りが混じり合って嗅覚を刺激し、思わずむせ返りそうになる。
螺子が全て取れると、金網がガタリと音を立てて外れた。部屋の主が不在であると分かっているからこそ出来る芸当だ。
ツグミはその出口から小鳥の身を踊らせると、悪臭漂うおぞましい部屋に降り立った。
「……くっさ……!」
部屋の中央は特に酷い。
ツグミは人型に戻ると空色の髪にまとわりついた埃を払いながら、用意していた燭台に明かりを灯す。
明るくなった途端、視界に飛び込んできた光景に驚き、立ち竦んでしまった。
「なんや……これ……」
部屋の隅にある大きな檻の中にはおびただしい数の虫や蜥蜴、蛇の死骸が転がり、その中央には木彫りの人形。
人形には薄緑色の髪が一房巻き付けられ、何者かの血液で『ダイナ』と名が刻まれていた。
そして人形には真っ黒い蛇が巻き付き、その毒牙を突き立てている。
フィアードから説明を受けてはいたが、実際に見るとそのおぞましさは想像を軽く凌駕している。
「あの蛇を……殺せばええんやな……」
ゴクリと息を飲む。あれはただの蛇では無い。数多の生き物の中で生き残り、死した全ての命を呪いとして一身に受けている呪詛の塊だ。
ツグミが魔力をためると、蛇はすぐにそれに気付き、その鎌首をもたげて金色に光る目でツグミを睨みつけた。
ぞわり、と全身が粟立つ。
しかし今日、この場で、この仕事を任されたのは自分である。自分にしか出来ない仕事だ。ツグミは唇を噛み締め、蛇に向かって風刃を放った。
蛇は恐ろしい程の速度で反応してその風刃を躱すと、檻の隙間からスルリと抜け出した。
足元に這い出てきた黒い蛇はみるみる大きくなり、部屋を覆い尽くす程の大きさになった。体の太さだけでツグミの胸元まである。人など一飲みにしてしまいそうだ。
「げっ!」
ツグミは最初の一撃で仕留められなかった事を悔やんだ。呪詛の塊である蛇には実体がないのだ。大きさなど簡単に変えられる。
蛇は巨大な頭から赤い舌をチロチロと出し、金色の目で目の前の空色の髪の少女を見据えた。
身構えるツグミの背後から鋼のような尾が迫る。咄嗟に飛び上がって尾から逃れると、今度は二又に分かれた赤い舌が鞭のように襲いかかる。
まるで蛇に丸呑みにされる小鳥のように、ツグミの身体に舌が巻き付き、そのまま巨大な口に引き摺り込まれる。迫る毒牙から猛毒が滴り落ちる。
「離せっ……!」
ツグミが放った風刃が赤い舌を根元から切り離し、毒牙をへし折った。すかさず巻き起こした旋風で自らの身体を巻き上げる。
「!!」
蛇は気が狂ったように咆哮し、その巨大な頭を振り乱してのたうち回った。
ツグミは襲いかかる尾を弾き返し、そしてその巨体を無数の風刃で切り刻んだ。首筋に深々と風刃が突き刺さり、その巨体が大きく跳ねた。
「!!!!!」
蛇はこの世の物とは思えない恐ろしげな断末魔を上げ、その傷口から黒い煙を出して床に崩れ落ちる。
その死体はすぐにサラサラと砂のように崩れ、跡には何も残らなかった。
「……これで……、大丈夫なんか……?」
あまりの恐ろしさにヘナヘナと座り込む。
檻を開けて中の人形から髪を外し、名を削り取った。
これで呪いが解けたかどうか、確認しなければ。
ツグミは部屋の扉に向けて思い切り突風をぶつけてみた。
内側からなら開けられそうだと思った勘は正しく、扉はあっけなく開き、少女はダルセルノの部屋の窓から議場までを一気に飛んだ。
◇◇◇◇◇
モトロはダイナの身体を蝕んでいた膿のような物が瞬く間に消えたのに気付いた。思わずその手を握り直す。
「陛下……」
ダイナは小さく頷いた。作戦は成功したようだ。
しかし、議場はそれどころではない状態だった。
「俺達はこの男が議長なのは認めない!」
民衆のみならず、議員の中にもダルセルノを議長と認めないと言う者が現れ、議事が進まないのだ。
そして議長はというと、自分の仕掛けた呪いが解呪された反動か、突然具合が悪くなったようで、喋ることも出来ずに座り込んでいる。
部屋から離れさせる為に、議長という餌を用意したのだが、まさかそれがここまで問題になるとは思わなかった。
「おい! ダルセルノ! 何とか言ったらどうだ!」
民衆からは野次が飛ぶ。記念すべき第一回議会と言うことで、公開にした事が災いした。
フィアードがどうしたものかと思案していると、今度は議長の目の前の床が跳ね上がり、中から武装した若者達が一斉に現れた。フィアードは慌ててダイナの周りに結界を張る。
議場には基本的に武器の持ち込みを認めていなかったので、武装しているのはサーシャ、警備に当たっているアルスとヨタカ、親衛隊の数名のみである。
彼等は咄嗟に剣を構えたが、それよりも早く、若者達のリーダーらしき青年がダルセルノに剣先を向けた。
「おい、何が帝国議会だ。こいつが議長じゃ話にならないな! 今からこの場は俺達が支配する。新しい時代の幕開けだ!」
無造作に纏めた茶色い髪に、頬に傷跡。青緑の目には強い意思が光っている。
「……レイモンド……!」
フィアードが弟をなんとかしようとダイナの結界を解き、魔力をレイモンドに放とうとした瞬間、頬に短剣が当てられた。
「フィアード兄さん、ごめんなさい。人質になって貰うわ」
「ルイーザ……、お前達……」
いつの間にか紛れ込み、機を伺っていたようだ。サーシャはセルジュを拘束し、四者の間には緊張した空気が張り詰めた。
アルス達が動く時間もなく、議場はあっという間に反対勢力により制圧されてしまった。
「……それで、貴方がたはどうしたいのです?」
それまで黙っていたダイナが真っ直ぐにレイモンドを見た。
「俺達にはあんたは必要ない。神の色を纏ってるだけで、世界を自分の物だと思うのはどうかしてるぜ!」
「じゃあ、貴方はどうするの? 私は争いの無い世界を目指したいの。もちろん貴方達とも争いたくはないわ」
ダイナはそれとなく自分の体調を確認する。まだ体力は限界に近く、魔力も殆ど無い。
この場で彼等が暴れたとして、止めるだけの力は無い。
「あんたは国の事なんか忘れて、その少年と二人で幸せに暮らしたらいいさ」
その言葉にダイナは自嘲した。モトロの事は大切だと思うが、二人で幸せに暮らしたいと思う相手は彼ではない。
「私は今日のこの議会をもって、全権を議会に譲るつもりでした……」
「……え……?」
レイモンドが目を丸くする。彼が捕らえているダルセルノも驚いているので、恐らく誰も知らなかったのだろう。
「せっかくですから、議員の選出もこの場でやり直して下さって構わないのよ。父上が議長なのがお気に召さないなら、貴方が議長になる?」
ダイナの挑戦的な言葉にレイモンドが怯んだその時、ダイナの側に控えていた侍女がいきなり彼女に倒れ込んできた。ドスッという衝撃が背中から身体の中に響く。
「え……ハーミア……?」
侍女が隠し持っていた短剣がダイナの背中に突き刺さっていた。
「陛下!」
モトロが悲鳴のような声を上げた。
ダイナの目に映るハーミアは虚ろだった。そう言えば、今回は彼女はダルセルノの情婦だった。呪いの解呪と同時に、彼女に仕掛けられた引き金が引かれたのかも知れない。
全ての動きが緩慢になり、モトロが咄嗟にハーミアに氷の刃を向ける。
レイモンドは突然の出来事に呆然とし、ダルセルノの唇がニヤリと笑った。
議場に一羽の小鳥が飛び込んできた。フィアードの視線がそちらに向く。
小鳥は瞬く間に空色の髪の少女の姿になり、フィアードに向けられている短剣に気付き、顔色を変える。
床を蹴ったツグミはフィアードに短剣を突きつけている女を吹き飛ばし、庇うように彼に抱きつき、勢い余ってそのまま二人で床に倒れ込んだ。
ダイナの心が悲鳴を上げた。
「どうして……? 私を見て……!」
何故、皆が自分に注目している時に、彼だけがこちらを見ていないのだ!
刺された背中が熱い。モトロが慌てて治癒を掛けようとしてくれている。
だが、フィアードは体を起こし、ツグミと何か話してから倒れた妹に声を掛けている。
サーシャとアルスが駆け付けて、崩れ落ちる自分の身体を支えてくれる。
フィアードはツグミに言われて初めてこちらを見た。
そのハシバミ色の目が大きく見開かれ、ようやくこちらに向かって一歩を踏み出したが、何かを確認するようにツグミに振り返った。
刃には即効性の毒が塗られていたようだ。全身があっという間に言うことを聞かなくなり、意識が朦朧とする。
弱り切っていた身体はその衝撃に耐え切れず、彼女の命を散らすしかなかった。
ーー嫌よ、どうしてフィアードは私を見ていないの? こんなの……嫌!
薄れゆく意識の中、ダイナは自分に背を向けていた青年の事を恨んだ。
◇◇◇◇◇
目を覚ますと、すぐ側に乳白色の髪があった。モトロだ。
恐らく付き添っていてそのまま眠ってしまったのだろう。
ダイナは寝台から降りようとして、全身の倦怠感に顔を顰めた。
ーー呪いが残ってる?
おかしい。解呪されたのを確認したのに。
モトロがハッと顔を上げ、慌ててダイナの手を取った。
「駄目ですよ。今日は記念すべき第一回帝国議会なんですから、もっとちゃんと休んでおいてください!」
「……え?」
ゴクリと息を飲む。
そう言われてみれば、朝起きた時と同じ寝間着を着ている。背中に痛みもない。
「……また……?」
議会当日のやり直しということか。
ダイナは舌打ちしたい気分だった。どうせならもっと前からやり直したかった。
しかし、今からやり直して出来ることはなんだろう。
「フィアードを呼んで」
モトロは頷いて、伝声管からフィアードに連絡をつけた。
「お食事はどうなさいます?」
「いただくわ」
モトロは隣室のハーミアにダイナが起きた事を伝えに行った。
とりあえず、反抗勢力が議場に入れないように、あの隠し通路を塞いでしまおう。
そして、ハーミアから短剣を没収しておけばいいだろう。
ツグミは解呪に成功したようなので、それは今回はそのままにしておく。
これで何かが変わるだろう。
どうやら自分が死んでも駄目らしい。では何が正解なのだろうか。
ダイナは少しずつ状況を変化させながら、正解を探し続ける。
いつか、この無限の回廊から抜け出せると信じて……。
これで第二章「帝国の興亡」は完結です。次回から最終章「たまゆらの花嫁」です。