18 決裂の刃
捕らえられた青年達は皆、後ろ手で縛り上げられ、腰縄を掛けられていた。牢獄に続く大部屋に連行されたのは今朝方捕らえられた七人の青年達だ。
「ご苦労……」
帝国文官の制服に身を包み、長い薄緑色の髪を後ろで一つに束ねた青年が大部屋に入って来た。
その髪の色だけでその男が何者か分かった虜囚達は一斉に息を飲んだ。
兵士が一番端に繋いでいた青年を突き出す。
「フィアード様、この者が首謀者の一人です」
薄汚れた灰金髪。貧しい身なりの青年はヨロリとフィアードの目の前に倒れ込んだ。兵士がその髪を掴んで顔を上げさせる。
強い意思を宿したハシバミ色の目がフィアードを見据える。
「……!」
フィアードは息を飲んだ。だがすぐに自分の動揺を兵士達に気付かれていない事を確認し、小さく吐息をついた。
「よし。この者は俺が尋問する。他の者達は牢へ」
「はい」
兵士達は指示に従って青年の腰縄を切ると、残りの六人を連れて奥の牢へと消えて行った。
フィアードは隣の小部屋に青年を連れて行き、手早く結界を張ってから縄を解いた。
「……セルジュ……お前、何やってるんだ!」
「フィー兄……」
一目見て分かった。自分に一番似ていた弟なのだから当然だ。よく兵士達に気付かれなかったものだ。
まさか実の弟が不穏分子として暴れていたなど、呆れて言葉も出ない。
「お前、俺の立場分かってるんだろ? 猊下がいないから良かったようなものの、猊下に捕まったら間違いなく公開処刑だぞ!」
「そんなのだから、レイ兄があいつを倒そうと思ってるんだ」
セルジュは縄の痕をこすりながら、肩を竦めた。
フィアードはその言葉に驚きを禁じ得ない。
「レイモンドが首謀者かよ……。やめてくれよ……」
「レイチェルが死んだんだ」
セルジュの呟きにフィアードは眉を顰めた。
「何だって……?」
弟妹達を奴隷として売り飛ばすが、殺しはしない。それが彼がダルセルノに仕える為の条件だった筈だ。
体のいい人質とも言えるが、とにかく弟妹達が生きている、ということだけが彼の辛い暮らしを支えていたのだ。
「あの後、三年くらいして、お腹が腫れてあっけなく……。薬師の手配すらしてもらえなかったって、姉ちゃんが……」
病気ならば仕方がない。だが、もっとしてやれる事があっただろう。
愛らしい末の妹。別れた時の寂しそうな泣き顔しか思い出せないのが辛い。
「……ルイーザも一緒なのか」
「うん。俺とレイ兄は宮殿の建築の奴隷として紛れ込んだんだ。姉ちゃんも同じ事考えてたみたいで、工事中に再会したんだ。それでレイチェルの事を聞いて……」
「それで、蜂起したってことか……」
セルジュは頷いた。また頭痛の種が一つ増えてしまった。
フィアードは溜め息をついて天井を仰いだ。このまま弟を見逃す訳には行かないが、だからと言ってダルセルノの帰りを待つと処刑されてしまうのが目に見えている。
「なあ、何が問題になってるんだ? 俺は陛下の側にいるからよく分からない。陛下は本当に頑張ってるんだ。反感を買うような事はしていないと思うんだが……」
セルジュは顔を顰める。
「魔人の少年を閨に引き入れてても?」
「……あれは……自由恋愛だと思ってくれ。彼女にも支えは必要だ。公務を疎かにはしてないだろ?」
流石に苦しいが、少年に何かを貢いだなどの噂が立っていないのが幸いしたのか、渋々納得してくれた。
「レイ兄は、税が高すぎるって言ってたぞ?」
「税が……?」
フィアードは首を傾げる。確か、農民は収穫の一分五里、商人は二分、それ程負担になるとは思えないのだが……。
「収穫量を多く申告させて、実際は倍以上を収めさせられてるんだ。商人もそうだ。利益じゃなくて、売上で税を計算させられてる」
「……なんだって……?」
明らかな水増しではないか。フィアードの目が泳ぐ。税務もダルセルノに任せていた。彼の息がかかった連中による徴収だ。
「分かった。すぐに調査する。ダルセルノが戻るまでに何とかする」
やはり問題はダルセルノだ。彼は彼なりに国の事を考えていると思っていたのだが、甘かったようだ。
フィアードがどうしたものかと思案に暮れていると、俄かに外が騒がしくなり、扉が叩かれた。
「大変です! 奴らが攻めて来ま……ぐぇっ!」
フィアードが慌てて扉を開けると、目の前に剣先が突きつけられた。
足元には数人の兵士が気を失って倒れている。
「よう、久しぶり。兄さん」
「……レイモンド……か」
フィアードのこめかみから冷たい汗が滴り落ちる。
「覚えててくれて嬉しいぜ。とりあえず、セルジュを迎えに来ただけだ。今回は他に用は無いからな」
「レイ兄!」
セルジュはスルリと扉をすり抜け、レイモンドから短剣を受け取って構えた。
彼らの仲間達が牢から虜囚を次々と解放する。
「……お前、この剣は……」
自分に突きつけられている剣が余りにも立派で、彼の身なりに合っていない。しかも、その柄と鞘には見覚えがある。
「宮殿の荷物から失敬した。懐かしい剣だろ? 兄さんの成人式以来だな」
「お前ら、こんな事したら……」
「まあ、もう少し様子を見といてやるよ。ダルセルノがいない間にせいぜい立て直す事だな。期待してるぜ、兄さん」
「ぐっ!」
レイモンドはフィアードを蹴り飛ばすと、仲間を連れ立って颯爽と消えて行った。
「……くそっ、待て……」
兵士がなんとか起き上がろうとしているが、どうやら脚をやられたようだ。
「……追っても無駄だ。あいつらは宮殿の建設に関わってた。俺達よりも抜け道に詳しいだろう……」
フィアードは脇腹をさすりながら身体を起こし、倒れている兵士達を助け起こす。どうやら人死には出ていないようだ。
「彼らの要求は聞いた。陛下にお願いして、恩赦があった事にしておこう……」
いくら政治犯だとは言え、あっという間に逃亡を許してしまったのだ。処分を恐れていた兵士達はフィアードの言葉に胸を撫で下ろした。
「……俺の弟達が馬鹿な事をして申し訳なかった。だけど彼らの要求ももっともだ。俺は猊下に何もかも任せすぎてたんだ……」
蹴られた肋骨が軋んで痛い。
「猊下が戻るまで、まだ日がある。問題点を洗い出すんだ」
フィアードは唇を噛み締め、自分に言い聞かせるように呟いた。
◇◇◇◇◇
およそ一年を経て、ダルセルノは帰還した。火山の向こう側は思ったよりも復興が進んでおり、その補助を申し出て来たらしい。
ダイナの容態は一進一退を繰り返し、なんとか公務には支障が出ない状態を保っていた。傍らにはいつも白髪の少年が寄り添っていたが、いつの間にかそれが当然のようになり、誰も彼の存在に異を唱えなくなっていた。
ダルセルノは帰って早々に税の水増し徴収により尋問を受けた。一通りの尋問を終え、彼は全てを部下の勝手な判断だと断じ、体調不良を理由に部屋に引きこもるようになった。
帝国はダルセルノから実権を奪い取り、ダイナを中心に据えた国作りを目指す事となったのである。
「それでは陛下、議会の召集については明日……」
「……分かったわ」
一日の公務が終わり、文官達が退室するとフィアードはダイナに近付いて耳打ちした。
「歩けますか?」
「……」
顔色が悪い。恐らく立ち上がれないのだろう。
フィアードは女帝を抱き上げて部屋の前まで連れて行くと、そこで控えていた白髪の少年に目配せした。
帝国議会を制定して行政を議会に一任する事になり、ようやく議員の選出が終わった。近々、記念すべき第一回議会が開催されるのだ。
ダイナはフィアードにしがみついたまま部屋に入り、寝台に下ろされるとすぐに毛布に潜り込んだ。モトロがすかさずその手を取り、浄化を掛ける。
彼女の身体はもう限界を迎えている。これ以上の無理はさせられない。
ダルセルノの思惑では、彼の帰還の頃には女帝は既に病床にあるはずだったのだろう。出迎えたダイナを見て顔色を失っていたのは記憶に新しい。
しかし結局、彼は呪いの存在を一切否定し、解呪を行わなかった。
フィアードはこれ以上の呪いによる干渉を防ぐ為に、ダイナの寝所に複数の結界を張り巡らせ、呪いはモトロに浄化させていた。
しかし、それでは根本的な解決にはならない。なんとかして解呪しなければ、と様々な分野でその方法を模索しているのだが、中々思うように進まない。
「モトロ、どうだ?」
一心に浄化を行う魔人に尋ねた。
「はい……、呪いが強くなっているかも知れません……」
モトロは額に汗を浮かべる。浄化しても浄化しても、次々と身体を蝕む膿のような物が湧いてくる。
「モトロ、もういいわ。下がって……」
不意にダイナがその手を振りほどこうとした。モトロは慌ててその手を握り直す。
「ですが、陛下……」
「少し、フィアードと話があるの」
ダイナの言葉を受けてモトロは渋々手を離し、退出した。
「どうされましたか?」
モトロに聞かせられないような内容など、余程の事である。
フィアードは消音の結界を張った。
「お父様から、取り引きを持ち掛けられたわ」
「えっ……?」
確かダルセルノは自室に引きこもったままの筈だ。一体いつ、顔を合わせたのだろう。
「昨夜、私の身体から魂が抜けて、お父様の寝所に連れて行かれたわ。そこで、お父様がとんでもない事を言ったの」
「……」
そんな事まで出来るのか、と息を飲む。魂を取り出すなど、なんと危険な事をするのだろう。
「お父様に永遠の若さを与えるならば、この呪いを解く、と……」
フィアードに戦慄が走った。確かに神の化身の能力ならば可能かも知れない。
「陛下……それで……」
「受ける訳ないでしょ? 思い切り断ってやったわ……。その代償が、これよ……」
ダイナは苦しそうに胸を押さえ、肩で息をしている。顔色は真っ青で、脂汗が浮かんでいる。
「モトロ!」
焦ったフィアードが大声を上げると、モトロが弾丸のような勢いで飛び込んで来てすぐに浄化を始めた。
モトロは泣きながらダイナの手を握る。
「どうして……、たった一人の血を分けた娘なのに……、どうしてこんな酷い事が出来るんですか……!」
モトロは押し殺した声で血を吐くように呟いた。
フィアードもそれは常々感じていた事だ。ダルセルノには実の娘に対する愛情という物が一切垣間見られない。
ただ、たまたま自分の娘として生まれてきた神の化身を有効利用しているようにしか感じられないのだ。
「モトロ……」
ダイナは申し訳なさそうにモトロを見る。二人とも母親の温もりを知らずに育った事で意気投合し、お互いに他人とは思えないような不思議な関係を築いていた。
「ありがとう。貴方がいてくれて良かった……。とにかく、第一回議会の開催まで、倒れる訳にはいかないわ。それまで宜しくね、モトロ」
「陛下……」
モトロから惜しげも無く送られてくる清浄な気配に包まれ、ダイナはゆっくりと眠りに落ちていった。