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女神の帝国 〜想いの迷宮〜  作者: 倉原晶
第二章 帝国の興亡
17/25

17 邪悪の影

「おはようございます、陛下。アルスです」


 アルスは扉を叩いた。女帝の部屋に直接訪れるのは初めてだ。


「……アルス? どうしたの?」


 扉の向こうから驚いた声が聞こえる。


「少し待って……」


 ゴソゴソと何か物音がして、扉が開いた。開けたのは白髪の少年で、アルスはその事実に呆然とした。


「おう、お前がモトロか」


「はい。おはようございます、アルス様」


 美少女と見紛う程の美貌。身長はダイナより少し高い位で、二人が並んだ時の見目麗しさはかなりのものだろう。

 思わず嘆息しかけ、慌てて首を振った。


「お前、いつも陛下のお部屋に……?」


 アルスの言葉にモトロは赤面する。


「アルス、どういう風の吹き回し? 貴方が私の部屋に来るなんて」


 ダイナは寝間着に肩掛けを羽織り、寝台に腰掛けていた。寝起きのためか髪が乱れていて、いつもとは大分雰囲気が違う。


「いや、妙な噂を聞いたんで……。まさかとは思ってたんですが……」


 もうこれは、どう考えても噂通りの関係だ。アルスは頭を抱えながら、とりあえず部屋に入って扉を閉めた。


「あのっ! 僕は長椅子で寝てますので、決して陛下にそのような不埒な真似は……!」


 噂の事は知っているのだろう。なんとか申し開きをしようとする少年の言葉にアルスは眉を顰めた。


「……そうなのか?」


 彼の感覚では、寝所を同じくする女性に何もしない事は寧ろ失礼に当たる。女性としての魅力が無い、と言っているのと同義なのだ。


「おい、同じ部屋で寝てて手を出さないってのはどういう了見だ? 陛下は充分魅力的だろうが!」


 アルスに詰め寄られ、モトロはオロオロする。どちらにしても怒鳴られると知り、涙目になっている。


「えっ……でも……!」


「いい加減にしてよ、アルス」


 ダイナは呆れて溜め息をついた。噂になっている事は知っている。


「私の身体が弱り過ぎていたから、モトロは心配して泊まってくれてるだけよ」


 立ち上がり、近付いて来たダイナを見て、アルスは息を飲んだ。青白い肌にガリガリに痩せてしまった腕。以前は少女らしい柔らかみのある体つきだったのに、薄く、細くなってしまっている。

 執務中はゆったりとした装束を身につけているので、全く気が付かなかった。


「一度、夜中に倒れられた事があったので……」


 モトロの治癒でも体内に根付いてしまった毒は中々取り除けず、数時間おきに治癒を掛ける必要があることが分かったのだ。

 その話にアルスの顔色が変わった。


「フィアードには言ったんですか?」


「……彼には言ってないわ。関係無いもの……」


 ダイナは頬を染めてアルスから目を逸らす。やはりフィアードに対する意趣返しの意味合いが強かったようだ。


「あの……今日、僕からフィアード様にご報告に伺うつもりだったんです」


「だったら今から行くぞ!」


 アルスは慌てて取り繕ったモトロの手首を掴み、そのまま部屋から飛び出した。

 途中、朝食を運ぶ侍女とすれ違ったが、そのままフィアードの部屋に向かう。


 フィアードの部屋の扉を乱暴に叩くと、いつものように扉が勝手に開いた。


「……アルスに……モトロ? どうした?」


 窓際の机で何やら調べ物をしているフィアードが顔だけをこちらに向けて目を丸くした。


 ◇◇◇◇◇


「憲兵だー!」


 早朝の貧民街(スラム)に喧騒と怒号が飛び交う。貧しい身なりの青年達が走り回り、その後を武装した兵士達が剣を片手に追い回している。


「危ないっ!」


 たまたま通りかかった子供が兵士にぶつかりそうになった。

 仲間達を誘導していた灰金髪の青年は思わず兵士の前に飛び出し、弾き飛ばされた子供を受け止めた。

 剣の柄で殴られたらしく、子供の頬が赤くなり、唇の端から血が一筋流れた。


「おい、大丈夫か!」


「……うん……」


 子供が弱々しく頷いた時、青年の腕が乱暴に掴まれた。


「やっと捕まえたぞ!」


 しまった、と思った時には青年の腕は縛り上げられていた。


「こいつは確か、首謀者の身内だったな……」


 兵士は青年を蹴り上げて無理やり立たせる。睨み付けてくるハシバミ色の目に苛立ち、剣の柄で殴りつけた。


「不穏分子を捕らえろ、と言われてなけりゃ、この場で斬り殺してやったのにな!」


 兵士は唾棄してからその青年を仲間に投げつけた。

 首謀者の関係者を捕らえた事で気を良くした他の兵士達は意気揚々と引き上げて行った。

 兵士は呆然としている子供の顎を掴んで自分の方を向かせる。


「おい、ガキ。リーダーに伝えろ。あいつを返して欲しければ大人しく出頭しろってな!」


 捨て台詞を残して兵士が去ったのを確認し、茶髪の青年が建物の隙間から現れた。仲間もパラパラと現れる。


「おい、レイモンド……どうする?」


 レイモンドは苦虫を噛み潰したような顔で宮殿の方を睨み付けた。

 彼によく似た女性が子供を労わりながら、他の仲間に聞こえないように耳打ちする。


「今、都にダルセルノはいないわ。だから……多分……セルジュは大丈夫よ」


「兄さんにどれだけの権力があるか分からないさ。それに……無理矢理魔人を嫁に当てがわれて鼻の下伸ばしてるようじゃ、俺達の事なんか忘れてるんじゃないか?」


「レイモンド兄さん……」


 女性の表情が曇る。青年の青緑の目がギロリと妹を睨みつける。


「ルイーザ、俺達の敵は帝国だ。それを忘れるな」


 ◇◇◇◇◇


 フィアードは自室に三人分の朝食を運ばせ、二人を長椅子に座らせた。


「で、朝っぱらから何の用だ」


 部屋着のまま、肘掛け椅子に腰掛けると、目の前の赤毛の青年が赤銅色の目でジロジロと彼を見て言った。


「お前、寝てないだろ? 大丈夫なのか?」


「調べ物をしていたら朝になっただけだ。一眠りしようと思った所に、お前らが来た」


 果汁を飲み、朝食を食べ始めると、アルスもそれに倣って食べ始め、肩を竦めた。


「そりゃあ悪かった……」


「すみません」


 モトロは朝食に手を付けずに恐縮している。


「まあいい。それだけ急ぎの要件だろ?」


 フィアードが言うと、アルスが頷いた。


「陛下の事だ」


 フィアードの手が止まる。カタン、と食器を置き、モトロに向き直る。


「なんだ、まさか結婚したいとか言うんじゃないだろうな?」


 ギロリとモトロを睨み付ける。


「お前が陛下の部屋に泊まってるのはあくまでも治療のためだからな。ある程度は仕方ないが、間違えても懐妊とかさせるんじゃないぞ!」


 苛立ちを隠しもせずに怒鳴りつける。まるで娘の恋人に八つ当たりするかのようだ。


「いえあの、そうじゃなくて……」


 モトロはどうしたらいいのか分からず、視線を彷徨わせる。これでは彼の言い分を聞いて貰えるとは思えない。


「おい、お前、陛下の事ちゃんと見てるか?」


 アルスは深く溜め息をついた。自分はともかく、彼は側近として近くに控えるのが仕事の筈だ。


「……どういう事だ」


「陛下の容態だ。こいつとどうこう言える体調じゃないぞ」


「え?」


 フィアードは目を見開いた。最初の治療で彼女はすっかり元気になり、それからは治療と称してこの少年と睦み合っているとばかり思っていた。


「僕の力が行き届かず……申し訳ありません。普通の解毒であれば一度でほぼ浄化出来るんですが、陛下の体内の毒には浄化が効かないんです。

 お食事には何も入っていませんし、飲み水も問題ありません。ご病気という訳でもありませんし、どのようにして毒を盛られているか全く分からないんです」


「……なんだって……?」


 目の前が暗くなる。


「僕が数時間おきに浄化しているので、普通に生活出来ているように見えるだけです。……まるで、身体の中で毒が作られているかのような……」


 フィアードはフラリと立ち上がり、机に置いていた本を手に取った。ペラペラと頁を捲り、手を止めた。


「……これか……」


「その本は何だ?」


 アルスが首を傾げた。


「呪術の本だ。ダルセルノの部屋にあった」


「なんだって?」


 聞いたことがある。邪霊、死霊などに贄を捧げて行うという邪な術のことだ。

 魔族に対抗する方法として人間が編み出したが、その実践には必ず犠牲が伴うことから、多くの土地で忌避されてきた。

 アルスの背中に冷たい汗が流れた。


「陛下が部屋に入れないと言っていたんだ。ダルセルノ付きの侍女が掃除する時に俺が部屋に入ってこれを見付けた」


 ゴクリとアルスが息を飲んだ。


「扉に呪術による仕掛けがしてあった。出入りを禁じる者の名を刻むという物だ。陛下のお名前があった。俺の名もあったが、侍女が扉を開けたから入る事が出来たんだろう」


 部屋に緊張が走る。


「それから、隠し部屋のような物があったが、そこはダルセルノ本人しか入れないようになっていた」


「中で何が……」


 アルスの声が掠れる。


「俺も中で何をしていたのか気になってたんだが……多分、そこで陛下への呪いが掛けられたんだろう……」


「呪いですか! それじゃあ僕の力では……」


 モトロはその形のいい眉を顰めた。

 フィアードは溜め息をつく。


「……仕方ないモトロ、お前は今まで通り、陛下のお側で浄化し続けてくれ。この事は他言無用だ」


「噂はどうするんだ?」


 アルスは昨夜のフィアードの言葉を思い出したが、彼は渋面で首を振った。


「この際、その噂を隠れ蓑に利用するしかないな。本当に呪術が行われているなら、何処からその事実が漏れるか分からないが……。

 帝国内部に対立があると分かれば、不穏分子の思う壺だ。人心が乱れる元になる……」


 不意に部屋の隅の鈴が鳴った。

 フィアードは一旦言葉を切って鈴の下の紐を引く。伝声管の蓋が開いた。


「フィアードだ。どうした?」


『おはようございます。先ほど、不穏分子の首謀者の一角と思われる男を捕らえました。いかがいたしましょう』


「分かった。すぐ行く」


 フィアードは蓋を閉じ、すぐに着替えようとして手を止め、二人に振り返った。


「それでは、僕は陛下のお部屋に戻ります」


 モトロは慌てて立ち上がる。朝食に手を付けていないのは仕方ないだろう。


「俺もそっちに行った方がいいか?」


 アルスも立ち上がる。フィアードは少し考え込んだ。


「いや、お前は陛下のお側に。サーシャと二人で陛下をお守りしてくれ」


 今のままではダイナはか弱い少女だ。出来るだけ多くの守りが必要だ。


「モトロ、お前も戦えるな」


「……はい……」


 フィアードの問いにモトロは躊躇いがちに頷いた。戦った事はないのかも知れない。だが、彼の魔力は高い。


「陛下を頼んだ」


 自分が守りに回れないなら、この少年に託すしかない。


「分かりました……」


 二人が部屋から出ると、フィアードは部屋着を脱ぎ捨てた。背中の五つに連なった焼印が疼く気がした。

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