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女神の帝国 〜想いの迷宮〜  作者: 倉原晶
第二章 帝国の興亡
16/25

16 清水の癒し

 日の光を感じ、ゆっくりと瞼を開ける。もう夕方だ。夕べ泣き腫らしたからか、目の周りがヒリヒリしていた。


 ダイナはフラフラと寝台から降りると、そのまま部屋の奥の洗面台に向かった。鏡にはげっそりと窶れた自分の顔が写っている。


「……最悪だわ……」


 侍女がまだ起こしに来ないので、井戸から水を転移させて洗面器に水を張り、顔を洗う。

 たったそれだけの事で、どっと疲れが出たことに驚いて、再び鏡の中の自分を見る。


 何かがおかしい気がした。

 食事を摂れ、とフィアードに言われた。彼の結婚でショックを受けたものの、食事が喉を通らなくなった訳ではない。それなりに食事はちゃんと食べている筈だ。

 そもそも、昨夜、フィアードに言われるまで、痩せてしまった事に気付いていなかった。では何故、これ程までに窶れてしまったのだろう。

 病気にかかっているような気はしない。今までも(・・・・)発病してないのだから、先天的な病ではない。


「……毒……?」


 思わず呟いた自分の言葉に鳥肌が立った。

 食事に何かが混ぜられていたのかも知れない。命を取るとまでいかずとも、魔力を失わせて無力化する事が狙いであれば、既に功を奏している。


 問題は、それを誰が成したか……。


「……お父様……?」


 まさか、と思いつつ、最近の自分の態度の変化を考えるとあり得る事かも知れない。


 不意に扉を叩く音がしたので、慌てて顔を拭いた。


「ダイナ様、治癒術師をお連れしました」


 侍女の声だ。しばらく休んでおくようにフィアードが言っていた事を思い出す。通りで侍女が起こしに来なかった訳だ。


「起きています。どうぞ」


 ダイナが答えると、侍女が一人の少年を連れて来た。


「……!」


 その少年を見て、ダイナは息が詰まるかと思った。

 乳白色の髪、水色の目。少女もかくやと思わせるような整った顔立ち。その顔立ちは目の色こそ違えど、あの襲撃(・・・・)の時の少女に酷似していた。

 あまりにも驚いて、穴が空くほどその少年を凝視する。

 少年はその無遠慮な視線に顔を赤くして俯いてしまった。


「ダイナ様、この者はモトロと言いまして、治療院で一番の腕を持っています。これから陛下の選任に、とフィアード様が任命されました」


 侍女はダイナが興味を示した事に気を良くしている。

 ダイナとて年頃の少女なのだ。不毛な恋よりも健全な相手を当てがった方がいい、と常々思っていたのだろう。


「……そう……」


 ダイナは溜め息をつくと、寝台に戻った。あれは違う未来(・・)、それにあの女とは別人だ、と自分に言い聞かせる。せっかくなので、ちゃんと診て貰おう。


 少年は恐る恐る寝台に近寄って頭を下げた。


「モトロと申します。あの、お加減はどうですか?」


 少年はまだ緊張しているようだ。


「見ての通りよ。少し魔力を使ったら目眩がしたわ。どうしたらいいか教えて」


 ダイナは少年を気遣い出来るだけ優しく答える。しかし、間近で見るとやはり似ている。


「……失礼します」


 少年はダイナの手を取り、瞑目した。清浄な気配が少年の手から流れ込み、身体中に染み渡っていく。


「あの、お食事は召し上がってますか?」


「ええ」


「そうなんです! いつもちゃんと召し上がってます。それなのに、どうして……」


「ハーミア、貴女は黙ってて」


 口を挟んだ侍女を制し、ダイナは少年に向き直った。


「ごめんなさい。ちょっと待って下さる?」


 少年の治癒の邪魔をしないように、空いている手で侍女を下がらせてから、ふうっと吐息をついた。


「食事に何か混ざってたのかしら?」


 ダイナの言葉に少年の緊張が高まる。


「……そう」


 それを肯定と受け取り、ダイナは天井を仰いだ。


「身体の中に溜まっていた分は取り除きましたが、失った体力はどうしようもありません。しばらくはご無理はなさらぬように……」


 モトロは複雑な表情だ。身内による薬物の投与。それに気付いてしまったのだ、無理もない。


「ねえ、貴方によく似た女性を知ってるんだけど……」


 あまりにも重苦しい雰囲気に少し違う話題を振ると、モトロは意外そうにダイナを見た。


「それは、多分僕の母です」


「あら、やっぱり」


「何処で会ったんですか? 母は……あの、その……仕事柄、出掛けることは無いと思うのですが……」


 少年の顔が赤くなる。ダイナはハッとして片手で口を塞いだ。あれは違う未来(・・・・)の出来事だった。


「……た、たまたまよ」


「申し訳ありません。卑しい女の息子が陛下のお身体を触るなど……、すぐに代わりの者を寄越します」


 慌てて立ち上がるモトロの服を掴む。


「ダメよ! この事をこれ以上広めたらダメ! 貴方のお母さんの事は関係無いわ!」


「……陛下……」


「多分、父は私の魔力を封じたいだけ。だから、貴方は時々私を浄化しに来てくれればそれでいいわ」


「陛下、それでは……」


「それでいいの」


 少年はしばらく考え込み、意を決したようにダイナの目を真っ直ぐに見つめた。


「分かりました。じゃあ、僕は毎日様子を伺いに参ります。お食事は僕が全て浄化しますから、それから召し上がって下さい」


「ええ、そうしてくれるなら……」


 その勢いに押されて、ダイナは思わず頷いてしまった。


「はい。そうさせて下さい!」


 モトロはホッとしたように顔を綻ばせた。

 ダイナは溜め息をつく。


「……分かったわ。じゃあ、貴方には私の話し相手になって貰うわね」


 治癒術師として抱え込むと色々と憶測を呼ぶ。寧ろ、お気に入りの少年として抱え込んでしまおう。

 ダイナはニコリと少年に笑い掛けた。


 ◇◇◇◇◇


 女帝が魔人の少年を抱え込んだという噂は瞬く間に広まった。

 どうやら閨も共にしているらしい、という噂も広まり、それまで女帝を崇拝していた民衆の心に影を落とした。


「なあアルス、お前、陛下の護衛なんだろ? あの噂はどうなってるんだよ」


「さあなぁ。俺もこうやってお前らと汗水垂らして働いてて、最近宮殿には行ってないからな」


 日に焼けた肌がうっすらと汗ばみ、土埃で所々白くなっている。

 アルスはそれをパタパタとはたきながら、肩を竦めた。


「あんな清純そうなお姫様でも、ヤる事はヤるんだなぁって、俺らの間では評判なんだけどよ」


 土木作業中の男達は手を休め、ニヤニヤと顔を見合わせている。


「陛下もお年頃だからなぁ。まぁ、相手が魔人だから話題になるだけだろ?」


 それにしても、あの一途な少女がそのような行動に出るとは。あの男に対する意趣返しにしても大胆な事だ、とアルスは溜め息をついた。


 バサリという羽音と共に、アルスの肩に闇色の鳥が止まった。鋭い嘴に爪。小ぶりの猛禽類は、当然のようにその肩で寛いでいる。


「どうした?」


 アルスが尋ねると、鳥は面倒そうに羽根を震わせる。


「あいつが呼んでるぞ」


 この場合、あいつというのが誰なのかは聞くまでもない。


「そうか」


 アルスは手を止めて汗を拭った。


「悪い。呼び出しだ。後は任せたぜ」


 道具を片付けながら同僚に断りを入れると、闇色の鳥を肩に乗せたまま、作業小屋に繋いでいた馬に乗る。


「ヨタカ、先に帰っててくれ」


「了解」


 声を掛けると、闇色の鳥はフワリと舞い上がって、もと来た方向へ飛び立った。

 アルスは手綱を引いて馬の首筋をポン、と叩いた。


「行くぞ」


 馬はその呼び掛けに応えるように首を振ると、颯爽と宮殿に向かって駆け出した。


 ◇◇◇◇◇


 執務室の扉を叩くと、返事の代わりに扉が開いたので、そのまま入室する。


「アルス、来たか」


 執務机で膨大な資料に囲まれたフィアードが顔を上げた。


「おい、なんだか変な噂が立ってるが……」


 アルスの第一声にフィアードは苦笑する。


「一番腕のいい治癒術師の派遣を依頼したんだが、まさか、あんな少年とはな……」


「治癒術師だったのか……」


 アルスはホッと胸を撫で下ろした。それならば然程問題はないだろう。


「一ヶ月ほど前に陛下が倒れたんだ。それで依頼したんだが……」


 治療の翌朝、あの少年から聞いた内容は驚くべきものであった。


「どうやら、食事に何か入っていたらしい」


「……何だと?」


 アルスの目が光る。

 この宮殿内でそのような事を出来る者は限られている。

 フィアードは頷いて溜め息をつく。


「念のために、あの少年を側に置いておくしか無い……」


 本当ならば侍女として仕えても不自然ではない女性が良かったのだが、この事を知ってしまったあの少年を宮殿から出す訳にもいかない。


「そういうことか……」


 アルスは得心がいったと頷いた。


「どんな噂が立ってるんだ?」


 フィアードは頭を抱え込みたい気分だった。何故、依頼する時に女性を指定しなかったのか。彼女は年頃の少女だというのに。


「閨にまで引き込んでるってよ」


 噂を本気にしていないアルスは軽く肩を竦めた。


「……」


 フィアードの表情が曇る。


「おい、本当なのか?」


 流石にアルスの顔色も変わる。根も葉もない噂であればその内に鎮静化すると思っていたのだが。


「……そういう噂が立つのは仕方ないかも知れない……」


 かなり用心したのだが、やはり人の口に戸は立てられないと言うことか。

 フィアードの言葉にアルスは息を飲んだ。恐ろしい可能性に気付き、思わず呟く。


「おい、もし懐妊でもしたらどうす……」


「言うな!」


 フィアードは自分でも驚く程、大きな声でアルスの言葉を遮っていた。

 考えたくない事だ。まさかそんな事になるなど思いもしなかった。

 青ざめるフィアードに、アルスが畳み掛ける。


「でもよ……どうするんだ。猊下の留守中にこんな事になって……」


 ダルセルノが帰って来た時、どのように申し開きするのか。


「分かってる。それよりも……」


 フィアードは手元の資料をアルスに投げ渡した。憲兵が最近捕縛した者達の一覧とその報告である。


「貧民街の不穏分子も動き出してる……」


 アルスは渡された資料を見ながら、兵士達から聞かされている現状を報告する。


「ああ。噂がまた起爆剤になりそうだぞ。その少年を遠ざけるように、お前がなんとかするしかないだろ?」


「……陛下は俺の言葉を聞いてくれなくなったんだ。サーシャは陛下のためにはそいつが必要だとか言うしな……。

 アルス、お前が護衛として、出来るだけそいつと距離を置かせてくれ。人の目がある時だけでも構わないから……」


 フィアードは絞り出すように言った。

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