14 焔の客人
帝国の遷都が無事に終わり、都では遷都と女帝の誕生日を記念して盛大な宴が催された。
真新しい宮殿には色彩豊かな旗や幕が掲げられ、床には花弁が敷き詰められていた。実りの季節を感じさせる様々な料理が次々と運ばれてくる。
「ダイナ様ー!」
こちらでも彼女は凄まじい人気である。
現人神を一目見ようと、朝早くから宮殿の前庭には人集りが出来ていた。
朝から侍女達に飾り立てられて疲れ果てたダイナは運ばれてくる料理を横目で見ながら、無理やり貼り付けた笑顔でバルコニーから手を振っている。
その左右にはダルセルノとサーシャが立っている。側近であるフィアードはバルコニーには出ず、バルコニーを覆う結界を張りながらその窓際で控えていた。
ダルセルノが演説をするために一歩踏み出した。反対側の窓際に控えていたツグミが合図を受けて、彼の声を風の精霊に乗せて拡げ、群衆の元に届ける。
「諸君、我らを快く迎えてくれたことに感謝する。我が娘、ダイナも十六の誕生日をこの新しい土地で迎える事が出来、大変喜んでおる。
我らはこの地を都とし、商業、工業、文化の中心たらしめんことを約束しよう。皆の働きで、この国を盛り立ててくれることを期待している。
神の護りの元、励みたまえ」
ダルセルノが言葉を切ると、群衆からは拍手と喝采が沸き起こった。
一呼吸おいてからダルセルノは窓際の二人を呼び寄せ、ダイナの隣に並ばせた。両手を広げて群衆を静めると、再び喋り始める。
「そして、我らはここに一つの宣言をする。この碧の娘と、我が息子、フィアードの婚姻を認め、長きに渡って続いてきた人間と魔族の諍いに終止符を打つことになった」
群衆からはざわめきが起こる。魔族と神族の確執は有名だ。無理もない。
しかし、バルコニーではそれ以上に驚きを隠せずに思わずダルセルノを振り返る女帝の姿があった。
「……お父様……息子って……?」
ダイナの声は風の精霊に乗っていなかったので、群衆には聞こえない。サーシャがこそりと耳打ちする。
「……そういう事になっているんです」
やや呆れた響きに、ホッと胸を撫で下ろした。
成る程、欠片持ち全てが神の化身の身内であれば、象徴として分かり易い。
事情を知っている者であっても、実際に同じ屋敷で暮らしていたのだから、養子にしていたと言ってしまえば問題ないのだろう。
「二人の婚姻を友好の証として、神の御前にて宣言しよう!」
動揺するダイナの横で、フィアードとツグミが肩を並べて立ち、群衆に一礼した。
ざわめきが歓声に変わり、二人を祝福するかのように、バルコニーを色とりどりの花弁が花吹雪となって舞い踊る。恐らく控えていた他の碧の魔人による計らいだろう。
ダイナはチラリとフィアードを見た。
彼はこれまで見たこともないほどに肩の力が抜け、隣に立つ少女に柔らかい笑みを向けて、その肩を抱いていた。
空色の髪の少女はうっすらと頬を染めている。人目に晒されているからか少し落ち着きがなく、モジモジとしながらフィアードの服の端を弄んでいる。
そんな二人の姿は、外から見て仲睦まじく、とてもお似合いに見えた。
ダイナは笑顔の仮面を貼り付けたまま、二人を祝福するように、ただ機械的に両手を打ち合わせるのであった。
◇◇◇◇◇
帝国は栄華を極めた。
各地の有力者達がこぞって宮殿を訪れ、ダイナと謁見しては忠誠を誓っていく。帝国は戦わずして、周辺諸国をまとめ上げるに至った。
ダルセルノの提案で通貨が制定されると、物資は自ずと都に集まるようになった。やがて、都を中心とした物資輸送の交通整備などが急務となり、軍部の殆どがその道普請に奔走した。
その日は遠方からの客が訪れていた。
都は大陸のほぼ中央に位置する。彼らはその大陸の北西部、火山地帯を抜けた先から来たと言う。
込み入った案件のようなので、その日の最後の謁見に回されたが、文句も言わずにただ大人しく控えの間に佇んでいるらしい。
「あの辺りは溶岩ばかりで、人が住んでいるとは知らなかったわ……」
客の素性を知らされ、ダイナは耳を疑った。碧の魔人達に命じ、大陸の大まかな地図を作成させてはいたが、火山地帯は噴煙で上空からは近付けなかったのだ。
止むを得ず、数人の魔人が徒歩で山を越えたが、そこには荒涼とした溶岩の大地が広がるだけであったと言う。
神の間と名付けられた謁見の間で、ダイナはその日最後の客を迎えた。
フードを深く被った小麦色の肌の男女が跪き、ダイナに忠誠を誓う。
「表を上げなさい」
ダイナの声に、二人は顔を上げた。二人の金色の双眸に息を飲む。
「……貴方がたは……」
客の身体から陽炎のような魔力が僅かに立ち上った。
その雰囲気の変化に気付いたのはダイナとフィアード、ツグミである。
フィアードはダイナの周りに結界を張り、ツグミは魔力を高めて身構える。
ダルセルノとサーシャはその異様な緊張感に気付いて狼狽していた。
「ほんたらに警戒しなくてもええ」
男はニヤリと笑い、被っていたフードを外した。無造作に整えられた、肩ほどの長さの鮮やかな緋色の髪が現れる。
「なっ……緋の……?」
ダルセルノはその身体的特徴から彼らが何者かを推測したようだ。
「だえでもええから、ちっと、おれたちの国に来てけれ」
男が言うと、隣の女が溜め息をついた。女がフードを外すと、同じく緋色の髪がキッチリと後頭部でまとめ上げられている。
「どなたでも構いませんので、一度、私達の国に来ていただけませんか?」
ダイナは初めて会う緋の魔人に緊張しながら、チラリとフィアードを見た。
「……お前達の国とは、火山の向こうなのか?」
フィアードが口を開く。
女が頷き、喋ろうとする男を制した。
「十年ほど前の噴火で、我々の国は多大なる被害を受けました。田畑は溶岩に焼かれ、街は火山灰に埋れ、命からがら逃げ出した国民は、不毛の大地で困窮を余儀なくされています」
「……それは、緋の魔族の話なのかしら?」
ダイナはなんとなく腑に落ちない。緋の魔人は火の精霊の加護を受けているのに、火山でその街が滅びるなどあり得るのだろうか。
「我々は、緋の魔人でありながら、人間の国を守護する一族の末裔。緋の魔族とは無縁でございます」
「うちも聞いた事があります。緋の魔人には、人間に与している一族がおるって……」
ツグミが口を挟み、一同が納得する。
「それで、私達に何を望んでいるのですか?」
ダイナの問いに、女は即答する。
「困窮している国民の救済です」
まあそうだろう。ダイナは小さく頷いて目を細めた。
「どのような状況か、何が必要か、貴方がたは判断出来ていますか?」
生命力が強く、寿命の長い魔人と人間では、事態の受け止め方が違うだろう。
そもそも、十年前の噴火の影響で困窮しているのに、今更救済を求めに来るのは遅すぎる。人間達の殆どが死に絶えているのではないかとすら思えてくる。
「貴方がたが国民に最後に会ったのはいつですか?」
「……五年ほど前です……」
その答えにダイナは溜め息をついた。人間は一ヶ月もあれば餓死してしまうのだ。これは彼らの感覚に頼ってはいけない。
「わしが行こう」
いきなりダルセルノが前に出た。
「お父様……?」
「この中で一番わしが状況判断できるからな。救済に掛かる経費も考えんといかんし、遠方との外交の機会にもなろう。移動は碧の者に任せれば、大分短縮できるじゃろう」
「じゃあ、うちが一緒に行きます」
ツグミが言うと、一瞬フィアードの表情が曇った。
「うむ。では、サーシャ、フィアード、後のことは任せた。では、お主ら、隣の間で詳しい事を話し合おう」
ダルセルノはやけに張り切って三人の魔人を従えて隣の間へと消えて行った。
ダイナは何やら胸騒ぎがするが、それが何故なのかは分からない。未来見でも、何もかもがボヤけて見える。
サーシャもそれは同じらしく、二人は暗い面持ちで顔を見合わせた。
◇◇◇◇◇
上空に浮かんだ黒髪の青年が、図面と地面を見比べている。
豆粒のように見える赤毛の男が、彼に向かって手を振ったので、彼は図面を畳んで音もなく彼の目の前に急降下した。
「うおっ! びっくりしたぁ!」
赤毛の男は大袈裟に驚いて従兄を迎える。黒髪の青年もそれを見て苦笑した。
「お前が呼んだんだろ」
「ああ、悪い。どうだった? 真っ直ぐ道は引けるか?」
「途中にあるあの木が邪魔だな。一旦迂回すると、傾斜の関係で戻りにくい」
歩道ではなく、荷馬車が往来できる道となると、なかなか思い通りにはいかないものだ。
「そうか……。じゃあ、木を切るしかないな! よし、一段落したら俺が切ろう」
土で真っ黒になった顔から歯が覗き、その白さが一層際立っている。
「……アルス、俺は土建屋になりたかった訳じゃないんだが……」
実に楽しそうに土砂を運ぶ従弟に、青年はげんなりして呟いた。
「いいじゃないか。平和な証拠さ。お前がいるお陰ではかどってるんだから、そんな事言わないでくれよ!」
逞しい腕で背中を叩かれて着衣が土で汚れ、青年ーーヨタカは心底不愉快な顔をする。
彼は従兄が戦いではなく、ただ楽しそうに土木作業に従事しているのが気に入らない。
「剣の腕が泣くぞ……」
「いいんだよ。剣なんか使わない世の中が一番だ! あとはまあ、嫁さえいれば文句はない!」
アルスは土砂をまとめると、工具類の中から斧を取り出し、道を遮っている大木の元に歩き出した。
「お前みたいな女癖の悪い男、相当な物好きにしか相手出来ないな」
「よく言う! お前が寝取るくせによ!」
「俺に靡く程度の女には、お前の嫁は務まらんさ」
ヨタカも工具を持ってアルスの後に続く。文句をいいながらも作業をこなす二人を遠巻きに見ながら、他の兵士達も岩を砕き、石を運んで地均しの作業を続けていた。
カーンカーン
斧が大木を穿つ音がリズム良く響き始めると、ヨタカは木に紐を掛ける。
半分以上に切れ込みが入ったのを確認し、いつの間にか集まった兵士達が紐を一気に引いて、大木を引き倒した。
「根が太いな。これもある程度取らないとダメだな」
汗だくになったアルスは切り株を更に細かく砕きながら、実に楽しそうに足元を確認している。
「血の気の多いやつは、土いじりさせると落ち着くんだってよ」
従弟を見守っている所に突然声を掛けられ、ヨタカは舌打ちした。こんな事をするのは一人しかいない。
「……今度は何だ?」
いきなり隣に現れた薄緑色の髪の青年に振り向きもせずに問い掛ける。
「いや、ツグミがダルセルノとちょっと遠出する事になったからな、しばらく彼女の代わりを頼む」
「はっ! 俺みたいな半端者より、よっぽどマトモな奴がいるのにな」
「お前は一応軍属だからな」
お互い目も合わせずに楽しそうなアルスを見守っていると、彼がようやくこちらに気付いた。
「お、フィアード、どうした?」
フィアードは彼の扱いはよく分かっている。難しい事は言わず、簡潔に要件だけ述べる。
「ヨタカをしばらく借りる。いいか?」
「おう。構わないぜ」
あまりにもアッサリと言われて、ヨタカがガクッと項垂れた。
その時、上空を大きな影が覆った。アルスが何事かと顔を上げ、作業中の兵士達も手を止めて空を見上げる。
「……なっ……!」
空色の大きな翼を持った馬が背に数人の人影を乗せて空を駆けて行くのが見え、アルスは息を飲んだ。
「……ツグミか……」
「……ああ……」
ヨタカの呟きにフィアードが頷いた。