13 帝国の隆興
少女が塔の上でボンヤリしていると、いきなり無数の風刃が上空から降り注いだ。
「ちょっと! 何すんのよ!」
ダイナは咄嗟に宮殿全体を守れる程の巨大な結界を張って風刃を弾き返した。
もうすぐ完成する宮殿に向かって何ということをするのだ。ダイナはギリと歯軋りして色違いの双眸で辺りを見回す。
「何処にいるの! 出て来なさい!」
返事は無い。
ダイナはカアッと頭に血が昇った。
落ち込んで思い出に耽っている所を邪魔されたのだ。そう簡単に見逃すわけにはいかない。
「そっちがそのつもりなら……!」
無尽蔵に近い魔力を練り上げ、恐らく敵がいると思われる辺りに向かって散弾のように放った。
夜の闇に無数の白銀の筋が走る。音はないが、それが充分な破壊力を秘めた光であることは分かるものには分かる。
突然、闇の中に旋風が起き、その白銀の光を弾き返した。
「ちっ、流石やの……」
旋風の中からバサリと一羽の鷹がダイナの目の前に舞い降り、人の姿を形作った。その頬に赤い筋が走っている。
ダイナは腕を組んでスッと目を細めた。空色の髪と目の青年だ。
「……碧の……、どういうつもり? 私が誰か分かってるんでしょ?」
「当たり前や。あんまり人使いが荒いからな、ちょっと文句言わして貰おう思てな」
碧の青年は口元に皮肉めいた笑みを浮かべてダイナを見る。
神の化身を前にしながら、その堂々とした姿はむしろ清々しく、ダイナはすっかり毒気を抜かれてしまった。
彼女は体の緊張を解き、乱れた髪を整えながら青年に向き直った。
「そんなに人使いが荒いかしら?」
言われてみると碧の魔族の協力を得てからは、確かにかなりの頻度で広範囲への連絡や運搬を頼んでいる。
「おう。族長もビビって何も言わへんから調子乗っとるやろ」
青年は自らが起こした風に乗り、プカプカと宙に浮かび渋面を作る。
「そう……、ごめんなさい。貴方達の魔術がとても便利だったから……」
ダイナは反省した。
どの作業にどれだけの労力がかかる、などを確認しないままにドンドン仕事を振っていたのだ。
これでは不満が募って、却って悪い影響が出てしまう。
「分かればええ……。いきなり攻撃して、悪かったな」
「ええ、驚いたわ。でも、宮殿に少しでも傷が付いていたら、貴方を叩き落としてたかもよ」
青年の素直な謝罪は心地良く、ダイナは少し冗談めかして肩を竦めた。
「充分危なかったど……おっかない女やな。それより、一人でこないな所に来て何しとるんや? 親父は一緒ちゃうんか?」
キラリと青年の目が光ったのをダイナは見逃さなかった。
「ああ、お父様を狙ってたのね。お生憎様。私が勝手に遊びに来ただけ。お父様は神族の村の執務室よ。
貴方も運が良かったわね。私一人じゃなかったら、すぐに捕えられて牢屋にぶち込まれてたわよ」
この建設中の宮殿にダルセルノが来るのを狙っていたのだろう。
そしてたまたま見つけた女帝に挨拶がてら攻撃を仕掛けたと思われる。
「そうけ。そら悪かったな」
そう簡単に捕まる気はなさそうだ。その傲岸不遜な態度にダイナは吹き出した。
「いいえ、お陰で問題点が分かったわ。ありがとう」
ダイナは両手を胸の前に置いて微笑んだ。少し気分が晴れた。この青年に感謝しなければ。
「おやすみなさい」
敢えて名を問わずに青年に軽く会釈し、彼女は自分の居るべき所へ帰る事にした。
◇◇◇◇◇
月明かりの差し込む部屋で、二人の人影が並んで座っている。
微妙な距離感を保ちながら、それぞれが何か考え込んでいるようだ。
「……つまり……」
「……せやから……」
二人は同時に口を開き、そして押し黙った。
ぎこちない空気が二人の間に充満し、やがて青年の方が深い溜め息をついた。
「つまり……もともと、神族の村長は魔族の代表でもあって、欠片持ち達が化身を独占しないように見張ってたってことか?」
「……そうや……」
自分が必死で説明した内容を端的に纏められ、少女は少し苦笑いを浮かべて頷いた。
「じゃあ……今の状況は、お前達魔族にとっては悪い状況じゃない訳だ」
「せや。だから、化身の呼び出しにも応じたし、命令にも従うとる。うちらは別に化身と対立するつもりは無かったんや」
少女の言に、フィアードは渋面になった。
「てことは、親父もお袋も……死に損ってことかよ?」
ツグミは少し困った顔をして青年に向き直った。
「多分、あんたが生まれたことで、ガーシュも悩んだんちゃうか? 魔族総長の跡取りが欠片持ちやったやなんて、前代未聞やからな」
つまりフィアードは、神の化身を巡って対立する両者の立場を一身に背負っていることになるのだ。
父親として、どうするべきか相当悩んだだろう。
魔族総長の役割は神族の間では絶対の秘密であったから、結局、欠片持ちとしての教育しか施されることはなかったのだ。
「……別に、俺は欠片なんて欲しくなかったのにな……」
欠片があったからこそ、彼は生かされそして地獄を見たのだ。
欠片が無ければ、父とその使命を分かち合い、何らかの対策が取れたのかも知れない。
ポツリと呟いたフィアードの膝に、空色の髪の少女がポン、と手を置いた。
「……過ぎてもうた事や、どうにもならん事をクヨクヨ言うんはアホらしいで?」
空色の目がフィアードを覗き込む。
「まあ、そうかもな……」
フッと笑ったフィアードの唇に、ツグミのふっくらとした唇が重なった。
フィアードのハシバミ色の目が一瞬大きく見開かれた。身体を重ねても、唇を重ねていなかった事に今更気付く。
鼻腔をくすぐる甘い香りに酔いながら、高い位置で纏められた空色の髪に触れる。
彼女の細い腕がフィアードの背中にゆっくりと回される。その豊かな胸の膨らみを感じて、しなやかな肢体を優しく抱き締めた。
「ツグミ……」
初めて彼から名を呼ばれ、ツグミの目から涙が溢れた。やっと心を開いてくれた……。
「フィアード……うち……な」
「……悪かった……。俺……」
彼女の事を性欲の捌け口としか見ていなかった。まるで娼婦のように抱いてきた自分を恥じ、フィアードはどうしたらいいのか分からなくなってしまった。
「ええんやで。こうやってるだけでも……幸せやから……」
真円を描く月が地平線に輝き、紺碧の空は徐々に白み始めていた。
◇◇◇◇◇
実りの季節。空は高く澄み渡り、筋上の雲が薄っすらと地平線との境を彩っていた。
帝国の宮殿がようやく完成し、いよいよ遷都の時がやって来た。
普段なら収穫を終えて落ち着いているはずの村は、荷物を積んだ馬車や荷車、大荷物を背負って移住しようとする人々で溢れ返り、祭りのような喧騒に支配されていた。
「この村ともお別れなのね……」
しみじみと馬車の小窓から外を見る少女に、隣に座る栗色の髪の女性が頷いた。
「仕方ありません。この土地ですと、これ以上の住民を受け入れることは出来ませんから……」
地形的にこれ以上の拡張も出来ない。周辺に田畑を作るにも限界があるのだ。
「ダイナ様ー、万歳ー!」
「万歳ー!」
女帝を見送ろうとする黒山の人だかりから歓声が上がる。
流行病にいち早く対応し、患者を治療院に集めて皓の魔族による治癒を施したことで、流行病は瞬く間に鎮静化した。
その手腕を国民達は褒め称え、女帝は今や生き神として崇め奉られているのである。
村を離れる女帝を見送りたいという国民の希望を汲んだことで、このお祭り騒ぎとなったのである。
魔術による結界があるので、帝国の要人が住民の前に姿を見せる事には然程の問題はない。
「すごい歓声……」
自分に向けられる歓声を聞きながら、以前の遷都の時を思い出していた。
碧の魔族との戦いに疲弊した国民達は流行病に倒れたが、捕縛した皓の魔族を上手く従える事が出来ず、多くの命を失った。
戦いと病の責任から逃れるように、帝国の要人達は夜の闇に紛れてコソコソと荷物を運び出したのである。
そして移住した先の宮殿の地下には多くの奴隷達が眠っていたのだ。
やはり、自分の選択は間違っていない。この歓声がその証拠だ!
ダイナは国民達の歓声を心に焼き付けた。
「出発!」
軍部を纏める赤毛の青年の指揮で、騎馬と馬車が隊列を作って動き出す。
歓声は一段と大きくなり、人々はダイナの馬車に千切れんばかりに手を振っていた。
馬車に揺られながら、流れ行く景色をボンヤリと車窓から眺めていると、隣のサーシャが恐る恐ると言った体で口を開いた。
「……ダイナ様……」
「何?」
「フィアードのこと……聞きました?」
「何のこと?」
キョトンとするダイナの様子に、サーシャは口ごもる。
「猊下は、フィアードとあの碧の魔人を結婚させると言っていますが……」
「なんですって?」
思わず大きな声が出てしまい、ダイナは慌てて自分の口を塞いだ。
口を塞いだその手が小刻みに震え出す。
「……彼は……何て言ってるの?」
「特に何も……ただ、実際にそれなりの関係であることは認めてましたけど……」
サーシャは青ざめる少女を見て、胸が締め付けられる気がした。
彼女が幼い頃からずっとあの青年を想い続けている事をよく知る者として、今回のダルセルノの決定は残酷としか言いようがない。
「猊下は……神族と魔族の友好の証になる、と仰ってましたが……」
サーシャの言葉が胸に突き刺さる。魔族との和平を言い出したのはダイナだ。否やを唱える訳にはいかない。
ダルセルノとしては、いつまでもフィアードに拘られるのが面倒になったのかも知れない。
「遷都して最初の式典で発表すると……」
サーシャが言うと、少女は青ざめたまま、小さく頷いた。
「……あの二人、いつから……?」
「……兵士達の話では、彼女が前村長の事を調べていたのが切っ掛けではないか……と」
「前村長って……?」
ダイナが首を傾げると、サーシャはハッとして目を逸らした。
そのただならぬ雰囲気に、ダイナは眉を顰めた。
「サーシャ? 何の話なの?」
「……猊下の前の村長の事です……。陛下はご存知なくて当然です……」
サーシャは引きつった笑みを浮かべて誤魔化した。ダイナは何か腑に落ちない気がしたが、深く考える程の余裕はなかった。
「でも……二人が結婚するってことは……フィアードはずっと私の側近でいてくれるのよね?」
彼女の記憶に刻まれているのは、彼女に背を向けて逃げ惑い殺される二人のありとあらゆる姿。
今回、二人の仲が認められるなら、何処かへ逃げてしまうような事は無いだろう。そして目の前で死んでしまうようなことも……。
「ダイナ様……?」
「ずっと……私の隣に、サーシャとフィアードが居てくれるなら……私は……それでいいわ」
色違いの双眸からはポロポロと涙がこぼれ、彼女の旅装束を濡らした。
サーシャは運命に翻弄される気の毒な姪の頭を優しく撫で、その肩を抱き寄せた。
馬車はガタガタと車輪を軋ませながら、新しい土地へ続く道を走って行った。